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バカ高いかまぼこが見たい


壁掛け時計を見て、カレンダーを見て、スマホのロック画面を見て、SNSを見て、ゾッとする。

12月30日…

年末ってこと…?

一年中気温20度越えのこの国で迎える年末は、二度目。

しかしながらやはり、半袖で迎える年末というのはどうもしっくりこない。

年末は寒いものだと、体に染みついているのだ。12月生まれだし。

ルワンダにいながらも、誕生日は盛大すぎるくらいに祝ってもらったし、クリスマス会もしたし、M-1も敗者復活戦、決勝、ネクストデイまで観たし、恋人に誕生日おめでとうなどと送ったが…やはりどこか現実味がない。


日本にいると、生きているだけで季節の移り変わりを実感できる。

11月に入るころからコートが手放せなくなり、だんだんと街が煌めきだす。

各所で電飾が輝き、あらゆる店でその時期だけの音楽が流れ、マライヤ・キャリーと山下達郎の印税に思いを馳せる。

それが終わると、昨日までが夢だったかのようにすべての飾りが取り払われ、音楽は鳴りやみ、スーパーではバカ高いかまぼこが並べられ始める。


日本の”シーズン意識”はものすごい。

12月26日にはもう、山下達郎はどこにも現れない。


私の住むルワンダ、東部県キレヘ郡ニャムガリセクターニャムガリセルでは、クリスマス感も、年末感も、皆無である。

もちろん山下達郎もいない。

国民はほとんどがキリスト教なので「メリクリ~あけおめ~」の挨拶はあるものの、365日、なんも変わらない。

雨季と乾季が交互にやってくるだけ。

売ってるものも、人々の装いも、村の景色も、ずっと一緒。ずっしょ。


私も今、半袖半ズボンでアイスコーヒーをすすりながらこの文章を書き殴っている。正確には、打ち殴っている。


とはいえ、トイレの床に水をぶちまけてピカピカに磨いたり、こうして年内最後の記事を書いたりしているのは、「一年を締めくくろう。今年のことは今年のうちに」みたいな日本人精神ゆえだろう。


今年一年を振り返ってみると、大分いろいろあったなあと思う。

辛いこともたくさんあったが、今までの人生で一番、自分と向き合えた一年だったように思う。

何が得意で、何が苦手で、何が必要で、何が不要か。

何が好きで、何が嫌いで、誰が好きで、誰が大切か。



自分で選んだ道は、「自分に向いている、できるはず」と言い聞かせたくなるけれど、そうとも限らない。

選んだからこそ、「自分に向いてない、別の道を行こう」とわかることだってある。

向いてない道を選んだ自分を責めるのではなく、その道を選び、進んでみた自分を褒める。

ダメな部分を繕って、良く見せるより、ダメな部分はダメな部分で受け入れて、良い部分を伸ばす。

友情は、付き合いの長さに比例しない。

昨日ビールを飲んだからと言って、今日飲んじゃダメな理由にはならない。

真空ジェシカは賞レースに向いていない。



何の話してたっけ?

あと私、別にそんなにかまぼこ好きじゃなかった。

良いお年を。





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