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五年後にもう一度観たい映画、「ドライブ・マイ・カー」

今年は舞台も映画もいろいろ見ようと決めています。

数々の受賞で、歴史的な作品になるかも?と話題の映画「ドライブ・マイ・カー」を見てきました。

2時間59分の大作。絶対トイレに行きたくなるので通路側の端っこの席を予約したつもりが、映画館に入って見たら隣は壁でした。一番出づらい席。なんというお籠もり感。(前もやった同じ失敗)かなりうろたえましたが大丈夫でした。

決して長くない3時間

感想を一言で言うと、「3時間は長くなかった。没頭した」というかんじです。

少々のほのぼの感はあれど、笑うシーンとかはほとんどなくて、楽しい映画ではありません。容赦ない救いようのない感は、苦手な人が多いかも。

派手なBGMとかもなく(気がする)、淡々と物語が進んでいきます。過去と未来が飛び交うなんてこともなくて、時間軸の通りに実直に進んでいくので分かりやすいかも。

そしてわざわざ映像化する必要のないシーンがない、ことが印象的です。殴るシーン、土砂崩れで埋まるシーン、幼少時代の暗い回想シーン、死体が運ばれていくシーン、そういったものがさくっとない。ちょっと潔いくらいでしたが、なくて十分わかりました。ちょうど良かった。

驚きや、ワクワクとかはなかったかな。エンターテイメント作品ではないです。意外!と思うところも個人的にはなかったです。

でも没頭した。集中して観れた。そういう意味では面白い作品です。抒情的な文学作品的な映画が好きな人とかは、大好きな部類だと思います。

むせかえるような村上春樹み

原作が村上春樹であることはうっすら知っていたのですが、もう見始めてすぐに、村上春樹みがすごかったです。原作を知らないで行ってもそう思ったと思う。「ああ、いかにも」なところが多くて、むせかえるほどでした。むんむんしていた。

私は学生の頃村上春樹を没頭して読んでいたのですが、海辺のカフカ以降は読んでいません。性描写に必要以上の過剰さを感じてしまって「?」となって以来、ぱたりと読むのを辞めました。

久しぶりに村上春樹みを吸い込んだことで、よく読んでいた学生の頃に脳がタイムスリップしてしまったようです。拗らせてしまいました。もうとにかく、話しかけないで… 説明したくない… 一人になりたい… というかんじ。懐かしい学生時代のころの感覚です。明らかに映画を見たことがトリガーになっているぽいので、面白いなあと思いました。

西島さんがよかった

俳優さんがとても良かったと思います。

特に西島秀俊さん。大好きな役者さんです。暗さとピュアさと弱さと、うまく表現していてすごいなと思いました。

映画を見ていて、俳優さん自身を感じることなく「役、その人そのもの」として見終えたときにとても充足感をかんじるのですが、今回もそうでした。

強いようで弱くて、割り切っていてスマートなようで格好悪くて、自立しているようで頼りなくて、アンバランスさがたまらなかったな。あーすてきな俳優さん。彼が出る作品は今後も絶対映画館で観ようと思いました。

運転する女の子、みさきちゃん役の三浦透子さん、西島さんの奥さんの霧島れいかさんも印象的でした。私はあまりテレビを見ないので、お二人とも初めて知った女優さんです。お二人ともちょっとどろっとした暗さ、強さがあって、この映画にあっていたと思います。

三浦さんは横顔がとても特徴的で、心を開くまいとしているような頑なな感じと、毅然とした強さが混在していて、不思議なかんじでした。鼻のラインと冷めた目つきのバランスがとてもよかった。運転席でハンドルを握る横顔はとても絵になりました。

霧島さんは、村上春樹作品に出てくる美しい女性像そのものでした。あまりにそのもので、ちょっと強すぎる、直球すぎるなあと思いました。

村上春樹作品に出てくる女性は、読みすぎたせいもありますが、私は全く共感しないし好きではありません。…男性が思い描くミステリアスで美しい理想の女性、というかんじでちょっと恥ずかしいのかも。

西島さんと霧島さん夫婦は、セックスシーンの目の演技がとても印象的でした。二人とも覚めていて、瞳孔が開いていて別の事を考えている。悲しいような悟りを開いているような、その後を暗示するような。短いシーンでしたがとても記憶に残っています。

追加 (映画を見て数日経って思ったこと)娘さんが生きていたら23歳とのことなので、この二人は新婚ではありません。とても美しくて魅力的な二人ですが、新婚ではなくてこんなに激しい性生活がありますかね…? ここで思ったのが、セックスによって書くことに目覚め、長い沈黙から覚めたた奥さんが、それを拠り所としてしまっていたのかなと言うことでした。つまり、セックス=自身の生きる理由、社会との繋がりの入口、悲しみの淵から這い出る場所、になっていたのかなと。だから複数の男性とそうすることで自分を保とうとしたし、夫もそれを分かっていたから、嫌だけど、止めたら妻がまたおかしくなってしまうと思い、黙認したのかなと(深読みしすぎですかね?)。…でもこうして、数日経って解釈が自分の中に生まれるのは面白い!すごい映画です。

唯一心が緩んだラストシーン

たくさん受賞している事実を知っているからかもしれませんが、この映画は日本人よりも外国人のほうが好みそうな気がしました。劇中劇と交互するところ、戯曲の台詞とクロスしていくところなど。

外国人の方が、どんなレビューをしているのかも後で読んでみたいと思います。

私だけかもしれないけれど、邦画ってどこか、暗い。邦画独特の、昔っぽさ、埃っぽいような薄暗さを感じることが多いです。この映画もそう感じました。でもそれが、小説を没頭して読んでいるような、煙がかった異世界感に行っているようなかんじで、マッチしていたように思います。

ラストシーンは、心がほっと温かくなって、嬉しかった。印象的なシーンです。あの車は譲ってもらったのかな、それとも二人一緒に韓国に行ったのかな。好きそうにしていた犬も飼ってもらって、表情が柔らかくなっていてよかった。

頬の傷もうっすらよくなっていたような?治療をしたのだったら、治療をする気持ちになったのだったら良かったなと思いました。

その他、印象的だったのは外で舞台稽古をするシーン。「二人の間で、間違いなく何かが起こった。これをそのまま損なうことなく、観客に伝えなければいけない」というセリフがはっとしました。演者二人の間で生まれた感情や激しさって、見ている人が座っているだけでそのまま受け取れるものではないんだなと。作って、届ける作業が役者には必要なんだなと。このセリフがあったことで主人公の舞台への思いや、執拗なまでに台詞にこだわるところも理解が出来ました。

あの古い車が意味するもの

25年ものの車。一度も故障しない、丁寧に手入れして乗ってきた車。誰にも運転させないと決めてた車。あれは、4歳の娘さんを失って止まってしまった時間そのものだったんですね、きっと。

「生きてたらあの子は23歳」とのことだったので、車との人生はそのまま、止まってしまった時からの流れなのかなと。(そしてみさきちゃんも23歳。ここにも記号があった)

韓国に渡った車のナンバーは25(のように見えた)でしたし、やはりその数字に意味があるのかなと思いました。

誰にも触らせなかった車をみさきちゃんにゆだねて、手放せた。娘さんを失ってからの時間を手放せた、開放することができた、と解釈しました。

私は運転免許がないので、車を運転したことがありません。この映画は淡々と運転シーンが続きますが、体がいやおうなしに無言でぐんぐん運ばれていくことによって、揺り動かされるもの、整理されていくものってあるんじゃないかな、と思いました。そういう意味では運転免許を取ってみたい気持ちにもなりました。

追加)drive my carは、drive myself(私を動かして)なのかもしれない

映画を見て数日経って、こう思うようになりました。

車は、止まっていた時間でもあり、傷つきたくなくて止まっていた主人公自身なのかもしれない。緻密にメンテナンスを繰り返してきた主人公の心なのかもしれない。

だから誰にも運転させなかったし、奥さんが運転する時はドキドキして小言を言った。細心の注意で動かしたいから。

そう思うと、drive my car はdrive me, myself(私を駆動させて、動かして)とも捉えられるなあと思ったのでした。駆動したのは、運転手のみさきちゃんだったと。(深読みしすぎ?)

しばらくは、記憶の中で解釈を楽しみたい

この映画、また映画館で観たいですか?と聞かれたら、答えはNOです。ネットフリックスで配信されても、見ないと思います。今回見た三時間で十分楽しめましたし、新しい振り返りなどをせずに、記憶から解釈をちょっとずつ引きずり出したりして、楽しんでいたい。そして、五年後くらいにゆっくり一人でもう一度観たいと思う映画です。



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