オラフ・ショルツ首相がなぜロシアへの制裁やドイツのエネルギー供給の多様化に消極的なのか
Visegrad24が英文に訳してで紹介した@KazimierzIIIWlkのツイートの翻訳です。リンク
オラフ・ショルツ首相がなぜロシアへの制裁やドイツのエネルギー供給の多様化に消極的なのかを理解するためには、彼が若い頃に東ドイツ共産党と接触していたことを見てみる必要がある。
1970年代後半、ブレジネフ、コシギン、グロムイコらのソ連指導部は、非常に積極的な反NATO政策を実施した。
1978年には、ポーランド国境に核ミサイルSS20の配備を開始した。
1980年、レーガンが米国大統領に就任し、ソ連の脅威に対抗する為、西ヨーロッパにパーシングミサイルとトマホークミサイルの配備を決定。
その頃、ドイツ社会民主党SPDの社会主義青年組織「ユーソス」では、ゲアハルト・シュレーダーとオラフ・シュルツの2人がリーダーを務めていた。
ゲルハルト・シュレーダーがユーソスのトップ、オラフ・ショルツがその副代表だった。
当時、東ドイツにはFDJ(Freie Deutsche Jugend)という共産主義青年党があった。
FDJは「平和の為に戦う」と主張していたので、若いマルクス主義者のシュレーダーとショルツは「ヨーロッパに配備される米国の新しい中距離ミサイルに反対する若い社会主義者の結束の高まりを示す」為、FDJと一緒に行進を組織するようにユソスに提案した。
ショルツとシュレーダーが東ドイツやソ連の青年組織とハイレベルの会合を持った後、1983年に何十万人もの若者がドイツの「アメリカのグローバリズム帝国主義の攻撃戦略への完全な服従」に反対するデモを開始した。
1989年以降、「反戦」デモはソ連が強力なスポンサーになっていたことが判明した。
シュレーダーやショルツは、当時からソ連のために働いていたのではないかという疑惑がある。
最近では、ドイツの「緑の運動」が原発に反対するデモを行っている。
終わり
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