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芥川賞受賞作『東京都同情塔』を読み、コンテンツ制作の在り方について考えた

こんにちは。Yuriです。

第170回芥川賞受賞作の九段理江さんの小説『東京都同情塔』を読み、自分の本業であるコンテンツ制作について考えたので記事にします。


『東京都同情塔』

芥川賞を受賞した『東京都同情塔』は、ChatGPTを一部使って書いた小説であるということでも話題になった作品です。

ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名沙羅は、仕事と信条の乖離に苦悩しながらパワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と、実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。

Amazonの紹介文より

東京オリンピック2020で、イラク出身でイギリス国籍の建築家、ザハ・ハディド氏の案にいったんは決まりながら、白紙撤回された新国立競技場ですが、この小説では、そのザハ案をもとに国立競技場が立てられた日本が舞台になっています。

そして、現代社会におけるカタカナ語のあいまいさ、ポリコレ重視表現へのアンチテーゼともいえるような小説でした。

タイトルの「東京都同情塔」は、舞台となる刑務所「シンパシータワートーキョー」を日本語に訳した名称です。

コンテンツ制作の視点から考えるポリコレ

ポリティカルコレクトネス。訳してポリコレ。(Political Correctness/PC)
アメリカ発祥の概念で、性別や人種、職業や宗教などに対し公正で中立的な表現を使用することです。

例えば、Businessmanは男性であることが前提の表現なので、性別関係なく使える表現Business personと言いましょう。あるいは、日本語の例ですと、多様な性に配慮して「彼氏」「彼女」とは言わず「パートナー」と言いましょう、など。

私は多様性を認め合うような社会になっていくこと、個性を発揮できるような生き方を支持しているので、ポリコレの方向性自体には賛成です。

ただし、企業のコンテンツ発信者としては、非常に悩ましくもあります。
というのも、多様性を配慮した表現を使うことで、以下のようなことが起こりうるからです。

・言葉を変えることが目的ではないのに、実態としては言葉狩りっぽくなってしまう

・ポリコレやりすぎると「ほら、うちポリコレ配慮していて最先端でしょ」といったアピールになりがち

もちろん、企業としてアピールすることは悪いことではありません。むしろ、発信してアピールすることだって大事。
ただ、アピールだけが目的になってしまうことも、正直心がもやもやするわけです。

このあたりのモヤモヤが『東京都同情塔』ではよく表現されています。

犯罪者って呼ぶのって良くないよね
であれば、別の呼び方にしよう。(どんな呼び方なのかは小説を読んでのお楽しみ)

表現の問題なの?
ほんとにそうなの?

とズシリと現代社会のモヤモヤを刺されたような気持ちになりました。

一方で、賛同できないこと

ポリコレやりすぎ問題への指摘にはグサリとやられた私ですが、一方でどうしても賛同できなかった部分もあります。

それが以下の2つです。

・ChatGPT(生成AI)への批判
・カタカナ語への批判

もしかしたら私は作者の意図を読み違えているかもしれませんが、私の感じたことを書きます。

全体のコンテクストから、私は生成AIへの批判やカタカナ語のあいまいさへの批判を込められた小説なんじゃないかなと感じました。私が感じ取った批判は以下のようなものです。

・生成AIはポリコレを守るので、プレーンで中立で暴力のない表現しかできないから違和感がある

・カタカナ語にするとあいまいさからマイルドになり、暴力のない優しい表現になる

共感する部分がある一方で、全面的にこの考えには賛同できないなと思うこともあります。

まず、生成AI批判。
まだ新しいテクノロジーと言えるわけですよね。たしかに違和感はあるかもしれないけど、新しいテクノロジーを支持して応援したい私としてはちょっと物足りない批判です。

この小説だけでなく「生成AIはだめだよね」といった感想をよく耳にしますが、本当にそうでしょうか?まだ発展途上でデメリットもあるけど、ユーザーとしてはどう活用するかが問題であって、完璧を求めたり批判したりするのってどうなんでしょう?

洗濯機に対して「手洗いの方が質がいいから、私は全部手洗いです」っていう人どれくらいいますか? 繊細なものは手洗いしたとしても、タオルも手洗いしたいでしょうか。

安易な新テクノジー批判の風潮がはびこってしまうと辛いなと感じます。

また、カタカナ語も、確かにあいまいになるのはその通りだと思います。
でも、日本語にない概念はどうしたらいいでしょう?
例えば「リーダーシップ」って日本語にどう翻訳しましょうか?統率力あたりが近そうですか、英語でいうリーダーシップの概念とはやや違いますよね。

作者がこうした批判をしたかったわけではないかもしれませんが(作者もAI使っていますしね)、なんとなく生成AIやカタカナ語(外来語)への過剰な批判を誘うような印象を受けたので、やや不安が残る小説でもありました。

まとめ

色々感想を書きましたが、『東京都同情塔』は読みごたえがあり、かつ、非常に考えさせるという意味で、とてもおすすめです。
コンテンツ制作を生業としている方にとっては必読。

皆さんの中で『東京都同情塔』を読んだことがある方は、ぜひ感想や考えたことをコメント欄で教えてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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