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だつりょく日記 ご 【恐怖心と向き合う話】

Netflixオリジナルの
『エミリーパリへ行く』をちまちまと観ているのですが、
すごくテンポよくいろんなことが起こって、
そしてアップダウンもまたたくさんで、
思わず、人生いろいろだねぇと言ってしまいます。

知っている方はなんとなく分かると思うのですが、
創作ストーリーではあるものの、登場人物みんな、
感情表現が素直でストレート!
(日本ドラマと比べれば、海外ドラマ全般がそうかもしれんけど)

だから、この人のここ嫌だな〜って気持ちが湧く瞬間が
どの登場人物にもあるけど、
まぁそれがこの人のキャラだよねぇって思って受け入れてしまう…。

キャラクターを観ながら
自分自身を振り返って、
自分とこの人の差は何だろうと考えると、
恐怖心に振り回されているかどうかだと気づきました。


自覚無しの恐怖心って、
自分のアタマ、もしくは心の中に
ごろごろとそりゃもう、たーくさん転がっていると思います。

原始時代の人間の死因の第一位って、


仲間から殺されること、だったらしいです。
だから、私たちには本能レベルで
人に嫌われないように行動しよう!が染み付いている。

現代社会に生きていて
仲間に殺される、なんてほぼありえないような話だし、
死をストレートに怖がることはあまり無さそうだけれど、
恐怖心を深掘りしていくと、大体が死に対する恐怖なような気がします。

私は、(今の体質?的に)
外出先で体調が悪くなること、
それが理由で人に迷惑をかけることが怖いし
体調が悪い、ということ自体がしんどいから、嫌で怖い。

だからこそ、人に雇ってもらって働くことが不安で怖いし、
体のことを理解してもらえるだろうか、
理解してもらえるよう、説明できるだろうか
ってたくさん心配事を並べている。

現状から早く抜け出したいのに、
抜け出すこと、変化することを、悪化の心配を理由に、恐れている。

不安や恐怖から逃げたいのに、
逃げたいからこそ不安を並べているという、
こうして論理的に考えてみるとかなりトチ狂ったことをしています 笑

自分を守るための恐怖心は、それ自体は悪いものではないけれど、
増長させたり、それを中心に置くと、やっぱりよろしくない。

ゲド戦記の主人公、大賢人ゲドのセリフの中に

死への不安から逃れるために、
生を投げ出している。

という感じのセリフがあって、めちゃ刺さりました。
(確か、ジブリ映画原作の
『さいはての島へ』(ル=グウィン著)の中で言っていた。)

人間関係の中で、
相手と深く知り合うことで起こる衝突や、
それによって自分が傷つくことを避けるために
本音に近いことほど言えない、言わない、
と言う経験もある。

物事を正しく恐れる力やそれを乗り越える理性は、


容易には手に入らないけれど
努力をすれば必ず手に入るのだろうと
なんとなーく、感じています。

恐怖心が無くなることは多分ない。
それでも、それに振り回されないだけの、
安心を感じられる自分、勇気を持てる自分を育てていく

それが、
理性と死への気づきを与えられた人間の生なのかな〜
なんて思います。


長くなっちゃった。



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