富野監督とアニメ映画の「かたまり感」の話

このインタビューで富野監督が仰っていた話に、「それそれそれ!!!」と膝をリズミカルに打ちつけたので自分用にメモします。

頭からお尻まで見て、見終わったとき、ひとつの大きなかたまりとして記憶に残ってくれるかどうか、それが大事です。「あのシーンはよかったね」と言われてしまうのは、映画として最悪の評価です。観客はお金を出して見に行ったので、よかったところを探そうとしてしまう。そんな見られ方をされてしまうのは、ロクな映画ではないんです。
新海誠監督の作品でいい点は、いろいろなことをやっているように見えて、見終わったあとはひとつのかたまり感として印象に残るところ。だから、オジサンでも楽しめるわけです。『G-レコ』だっていろいろなシーンがあるけど、「みんなで地球1周して、月や金星あたりまで行って帰ってきました」という大きな印象しか残らない。「それを映画5本でやってるの? バカじゃない?」「うん、だけど5本とも見てしまったんだよね」、そういうかたまり感さえ残れば十分。逆を言うなら、それぐらい映画って素敵なものなんですよ。

この「かたまり感」に乏しいアニメーション映画が、特に日本には多い気がしています。

それは記事で富野監督が書いているとおり、「スタッフワークでバラバラに作る」ところ、それと個人的には「色んなもの(や意見)を盛り込みすぎてしまう」からかなと。たったひとつだけのセリフ、ここだけ伝わればあとはもういいんです! って映画も大好きだけれど、やっぱり得たいのは「ああ、面白かった!」のあの「かたまり感」ですよね。

最近増えている個人作家系(個人作家出身)のアニメーション映画は、言わずもがなこの「かたまり感」が強いわけで、だから今世界で躍進しているんじゃないかな、って思ったりもします。「かたまり感」。ああ、ほんとにわかる。それだよ。「かたまり感」。

ぼくガンダム見たことないし富野監督のこともよく存じないのですが、仕事で富野監督のインタビュー映像を編集したことがあり(その映像はネットに上がっていませんが以下で記事になっています)、カメラから撮って出しのその映像を拝見して、生真面目で実直な人柄の方なんだなと親近感をもっていました。結局それくらいしか知らないけれど、なんかいいな、と。

 インターネットによって価値が多様化している、なんて洒落臭いことを言っている人がいますが、多様化なんてしていませんよね。能力を小さく収めていっているという意味では、ひょっとしたら全体主義的になっているのかもしれない。人を全部同じようにしていく機能を果たしているのが、今のネットなのではないかという気さえします。
 だからお話しした通り、「子ども心」とはそういうものに影響されていない心のことなんですよ。子ども心が持っている夢や希望やロマンというのは、とんでもないものなんです。そのとんでもないところに根ざしていくということを、われわれはもう少し意識していかなければいけないのではないかと思います。

アニメーションは素敵なものだね……。

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