さよならロケット [short story]

 私が生まれた年――。
 何も無かったこの町に、ある時、宇宙がやって来た。


 3歳か4歳、それ位だったと思う。私が思い出せる最初の記憶だ。雲一つない空の下、大勢の人でごった返す中、私は……。父の大きな背中に肩車されながら、ぴかぴかと光る新築のロケット発射台を見上げていた。
 海風が吹き付ける断崖絶壁に立てられた、高さ50メートルに及ぶ途方もない建築物は、カガクもウチュウも判らない幼い私に、どうしようもなく駆り立てるワクワクを教えてくれた。
 父に肩車されたまま、言葉もまだおぼつかない私は、太陽も覆えないちいさな手のひらを発射台の先に向けて、何度も何度も揺らし続けた。いつでも私はこの光景を思い出せる。間違いなく私という人間の原点だ。小さな指で摘み上げた発射台の先っぽを、私はあの時、自分のポケットの中にしまって、大事に大事に育て続けてきたのだ。

 私が小学校の授業で書いた最初の「しょうらいのゆめ」は、当たり前のように(それを書くためにずっと前からウズウズしていたように!)ロケットに関する“何かしら”のお仕事につくことだった。
 けれど私が生まれ育ったK県の小さな港町では、この夢はそれほど珍しいものではなかった。周りの男の子たちが次々と宇宙飛行士だ整備士だ天文学者だと発表していくのを、私は少々ふてくされて聞いていた。クラスに子どもが10人居れば、だいたい過半数はこればかりだったのだ。
 それほどこの町は、すっかり宇宙、そしてロケット一色になっていたのだ。

 ロケット発射台と研究機関の誘致に成功した私の町は、まるで死んでいた大地が蘇ったように、生き生きと命を取り戻した。若い者が増え、周囲には産業が出来、年に数回あるロケットの打ち上げは、県を代表する観光の目玉になった。
 私の家族は、この小さな町で民宿を切り盛りしていて、一番上の姉も、その頃には既に厨房を回していた。末っ子の私は学校から帰ると、いつも割烹着を着て仕事する母や姉を見上げては、その周りをぴょんぴょんと跳ね回っていた。
 忙しい母の代わりに、よく私と遊んでくれたのは三番目の姉だ。宿のフロントにあったテーブルで、一緒に塗り絵やおままごとをした。この頃の私の一番のお気に入りは、ドール人形でも、やわらかな触り心地の積み木でもなくて……やはり、地元で販売されていた、新型ロケットの模型だった。

 そうして慎ましく暮らしていた我が家に、まもなく転機が訪れる。建壁(たてかべ)町・夢ヶ浦の「民宿ろばと」は、JARI……J国航空宇宙研究院の技術者や関係者たちが詰める定宿に指定されたのだ。そこからが物語の始まりだ。
 私の家はロケット発射の度に、ひっくり返るほどの大騒ぎが巻き起こるようになったのだ。

 その光景は、まるで夏祭りの屋台通りのようだった。大広間を占拠するアタッシュケース、そしてPCがばらばらと軒を連ね、畳の上を何十本もの黒いケーブルが這い回っている。その上を忙しく歩き回る技術者たちと、大量にプリントされた紙の資料を大急ぎで確認する関係者たち。玄関の外ではひっきりなしに誰かしらが電話していて、母や姉たちも慌ただしく動き回り、30人分の食事と寝床を用意するのに手一杯だった。
 その頃には私も、宿の仕事を手伝うようになっていて、盛り付けから配膳、掃除からシーツの交換まで一通りをこなしていた。
「ランちゃんはいつも、おうちのお手伝いしていて、偉いね」
 まるで自分の娘に向けるそれのように、くしゃくしゃの笑顔で頭をなでてくれた技術者のおじさん。いつも明るく声をかけてくれるお兄さんエンジニア。その皆の目はどれも輝いていて、今思えば、四姉妹の末っ子に生まれて得したことの一つだったな、と思う。

 そんな彼らは、夜になると、その“屋台通り”の上にあぐらをかいて、周囲に書類やラップトップをばらまき、近づいたリフトオフに向けて、その懸念点を熱心に議論していた。
 私は、この光景が好きだった。強いリーダーシップで会議を率いる責任者。若手からベテランまでが分け隔てなく発言し、全員がばらばらに、そして同じ方向を向きながら、強く声を交し合う。そのピリピリした空気と、同時に互いの信頼に満ちた雰囲気。全てが特別だった。同時に、人類の科学技術の英知が詰まった……あれほどの大きな鉄の塊を打ち上げる力が、ここ、少しささくれた我が家の畳の上で満ち満ちるのだという事実に……くらくらするような不思議を感じたものだった。
 そして、打ち上げが成功した日の夜は……。惜し気もなく振舞われる地元の幸に、美味しいお酒、そしてお酒。ようやくほぐれた緊張と、開放された安堵感。仕事をこなした熱い誇り……。全てが、宿に居る皆を笑顔で満たし続けていた。
 けれど私は、明日からこの景色が無くなってしまうのかと思うと、あまりにも寂しくて、寂しくて、部屋に戻って蛍光灯を消しても、まだ聞こえてくる宴の声に、どうしようもなく胸を痛めたものだった。翌朝に待つお別れ、掛けられる嬉しい言葉、そして挨拶として交わされる小さな約束たちを、私はこの時だけは恨み続けた。眠れるはずもなかった……。枕の中に顔を埋めて、しみになって消えていく涙を見る度、私はどうしようもないくらい――早く大人になりたい、と思ったものだった。


 “彼女”と出会ったのは、私が16歳になったばかりの夏だった。
「やぁ、磯野さん、ただいま。今回もお世話になります」
 もう、何度目の出迎えになっていただろうか……。いつも通り、大きな麦わら帽子を被った父と一緒に、顔なじんだ技術者たちを玄関で出迎えていた時だ。心地よい緊張と高揚で胸がいっぱいだった私の目が、ふと、行列の最後を歩いてきた新人をとらえた。
 その子は、女の子だった。
 同い年にも見えたその子は、何と私より3つも年上で……。それでもこの頃、ノラちゃんはまだ19歳。チームぶっちぎりの最年少で、彼女はJARIの秘蔵っ子だった。
 このころの3つの年差は大きかったけれど、それでも私達はすぐに仲良くなった。ショートヘアで、化粧っ気のない、まるでスポーツマンのような彼女は、その小さな身体で誰よりも動いて、確かにチームの一員になっていた。
 終日快晴のまま打ち上げも成功に終わり、私たちはジュースを片手に、賑やかな宴のすこし外側……、うちの中庭の縁側で、長い長いお話をした。
 いつもより饒舌なノラちゃんは、いまJARIが温めている様々な宇宙計画を語ってくれた。地球環境を汚すことなく莫大なエネルギーを確保できる宇宙太陽光発電技術。液体窒素を動力源に、太平洋を一時間半で横断する超音速機。そして、格安で打ち上げられる新しいロケット……。ロケット技術で世界一になること、この国の宇宙技術を世界に知らしめること、それが彼女の夢だと語ってくれた。静かに熱く語る彼女の声へとやさしく寄り添うように、庭先から海の波の音が聞こえていた。
 屈託なく笑う彼女の声を聞きながら、私は空いたグラスを縁側に乗せて、夢ヶ浦から見上げる星をゆっくりと仰いだ。隣で彼女も星を見上げていた。私は彼女の存在を確かに傍に感じながら、いつかノラちゃんに宇宙旅行に連れて行ってもらえる日を空想していた。

 それから数年、また数年と経つにつれ、彼女も私も、すこしづつ年を重ねて……。JARIの抱く宇宙計画が世間で公にされると、国中で宇宙技術に対する関心はますます高まった。政府もJARIに対する予算の倍々増を発表し、ノラちゃんたちはますます忙しくなっていった。
 一方の私は、地元の四年制大学で経営学を修めると、またすぐに家へ戻って、今度は正式に「民宿ろばと」の従業員として雇われることになった。彼女とは対照的な変わり映えのない日々だけれど、ノラちゃんが遠くで奮闘していることを想像する度に、そして仕事を終えた後、部屋の窓から空の星を眺める度に……私は色褪せない高揚をいつでも取り戻すことが出来た。私は私の生活を、静かに守り続けなければと、素直にそう思えた。
 ノラちゃんはショートヘアこそ変わらないけれど、女性としての凛々しさを会う度に増していった。一方で私は、化粧気のない民宿の一従業員へと落ち着いていった。けれどそのことに、劣等感はなかった。私はノラちゃんと会う度に、幼い日に憧れたあの宇宙が、まるですぐ傍にいるように感じられたからだ。私はそれだけで、十分幸せだと思えたのだ。

 ノラちゃんとの最初の出会いから、実に10年がたった。今日ほど大事な日はなかった。彼女がずっと携わっていた新型ロケットの打ち上げが明日に迫っていた。かつて彼女が話してくれた、格安で打ち上げられる新たなロケットが遂に完成したのだ。打ち上げの前の日、彼女は私を、特別にロケット発射場まで招待してくれた。
 ノラちゃんとお揃いの作業用ヘルメットをかぶりながら、かつて父の肩から見上げたように、私はその巨大な建造物を背中を反らして見上げていた。
「ランちゃんのお蔭だよ」
 彼女の言葉に驚いたあまり、きょとんとした私は彼女を見た。
「初めて会った時から、変わらずにここに居てくれてありがとう。私の夢を待ち続けてくれてありがとう。これはね、ランちゃんと私で作ったんだよ。ランちゃんが居なかったら、このロケットは、ここにはなかったんだよ」
 彼女が私に振り向いて、おどけて両手を広げてみせた。
「ね、どう? ……おっきいでしょ!」
 私を見て屈託なく笑う彼女の顔。その後ろに聳える、空まで真っ直ぐ伸びた白い花。まるで彼女をそのまま映したような、美しいロケットがそこには立っていた。
 遠くの雲が夕焼けに染まる発射場で、夢を語り合ったあの日のように、私も彼女もくすくすと笑い続けていた。


 翌朝は曇りだった。風も少しあって、打ち上げには少し不安が残る感じ。泊まっている技術者たちは皆打ち上げ場へ出払っていて、いつものことだけれど、この一瞬だけは重く深い沈黙が宿をゆるりと支配している。
 一方で外に出れば、この打ち上げを見届けようと全国から集まった何万人もの観客がひしめいていた。興奮した子供たちの声がここまで聞こえてくる。
 私はエプロンを外して台所に置いておくと、廊下で話している、少し老いた母や姉を横目に、玄関からそっと家を出た。居間のテレビからは、隣国がこの打ち上げを非難しているというニュースが微かに聞こえていた。
 テレビの中継車がびゅうっとすぐ傍を通り過ぎる。逆方向に歩いて行く観光客たちの姿。打ち上げ場の手前にあたる山が目の前まで迫っていて、私の歩く道は登りに差し掛かっていた。
 打ち上げ場への道は、途中から封鎖されている。ぎりぎり道の陰から頭を出すと、銃を持った兵士がゲートの周囲を何人もうろうろしているのが見えた。
 ここまでは想定の範囲内。私は200メートルほど道を戻って、周囲に誰もいないことを確認すると、すばやくガードレールを踏み越えて山の裏道へと入っていった。

 20分ほど登ると、打ち上げ場から最も近い高台までたどり着いた。
 右手には夢ヶ浦の町々と、それに寄り添う海岸線が一望出来る。小さな点々が散らされるように、打ち上げを見守る人々の車がそこに並んでいるのが見えた。手前には私の家も望める。一方、向かって左側はJARIの鉄柵が傍まで迫っていて、それを辿ってこのまま下ってゆけば、ロケット発射台の管制塔まですぐに着く。
 私は10年かけて、この穴場ルートを発掘していたのだ。私はにっこりと笑って静かに腰を下ろし、管制塔を見下ろしながら、その先に建つロケット発射台を見守った。
 ポケットから、小型のAMラジオを取り出して、アンテナを立ち上げる。ここからでも、管制塔のスピーカーからカウントダウンの声が聞こえてくる。けれど、やっぱり生中継の熱気は感じ取っておきたかった。
 アナウンサーの声が、発射を待つ人々の声を次々と届けてくる……。

 あぁ、その瞬間だ。
 どきどきが止まらない。いつだって、それはどきどきだった。慣れたりなんかしない!
 さぁ、火が点ったぞ……。

 3、2、1……。

 リフトオフ!

 管制塔から、海岸線から、テレビ中継から、インターネット配信から……。
 多くの人々の笑顔に見守られながら、ノラちゃんのロケットが轟音と共に空に解き放たれた。
 ロケットは私のすぐ真上を飛び越えて、美しい弧を描いて空の向こうに消えてゆく。音が完全に聞こえなくなってからも、じっと見守る私と、そしてあまたの人々。曇り空を突き破るように、私たちの心までもが空まで一緒に飛んで行ったようだった。
 そうして、10分……15分、私はそれを見続けていた。すうっと、思いきり息を吸った。自然と笑顔になった。声をあげて笑い出しそうになっていた。
 打ち上げは、成功だった!


 その時だった。
 私の背後から強烈な光が浴びせられた。えっ、と思った次の瞬間、私の鼓膜に大爆発音が飛び込んできた。
 次に襲ったのは突然の風だった。否。風、ではない。爆風と呼ぶに相応しいような衝撃だった。はじめは、自分のすぐ背後で爆発が起きたのかと思った。しかし、どうやらそうではなかった。身を屈めながらようやく振り返ると、自分の周囲の木々や緑のかわりに、遠く海岸線の向こうの街から黒煙が上がるのが見えた。
 もう一度、大爆発。今度はさらにこちらに近づいた場所からだった。これは爆発じゃない。事故でもない。他に考えられる理由はなかった。
 夢ヶ浦に、どこかからのミサイルが着弾していた。

 火柱を上げて炎上する浜辺。打ち上げを見守っていたであろう人々が逃げ惑っているのが想像できる。
 はっ、となって、ポケットの中のラジオをまた点けた。激しいノイズ。その向こうから、聴いた事のない可愛らしいチャイムと共に、臨時放送と称したニュースが届けられていた。
『隣国の著しい脅威に対する本国の行動は、現在の国際情勢を鑑みるに、先制攻撃の正当性を主張するに十分値するものであり……』
 と、ここで背後からさらに大きな音がして、私は慌てて発射台のほうへと向き直った。私は愕然とした。発射台の向こうの山、木々に隠されていた、さらなる発射台がいくつも顔を見せていた。そしてそこから、先程と同じ形のロケットが続けて打ち出された。
 爆発音に次ぐ爆発音。夢ヶ浦は黒煙と炎で今や覆い尽くされていて、ここからでは霞んで見えないほどだった。
 私の家の辺りも煙で真っ黒になっていた。あそこには、母がいる。父がいる。姉もいるはずだ。ああ、うちも、ミサイル攻撃の餌食にされてしまっただろう。誰一人、助かっているはずがないな。
 本来なら押し寄せるはずの悲しみも、驚きもなく、まるで世界で自分以外の人類が一瞬で絶滅してしまったような……、そんな気持ちで。私はその景色を、自分でも不思議なくらい、何も感じずに眺め続けていた。

 気がつくと私は、手元の鉄柵を頼りに崖を滑り降りていて、管制塔のすぐ背後まで歩いてきていた。
 建物の陰から、私は進み出た。ここの周囲がよく見渡せるコンクリートの上に出た。
 すぐ向こうに、後ろ姿のノラちゃんが見えた。
 普段の姿とはすこし違う、小さな身体に似合わない真っ白の白衣を纏っていた。ポケットに両手を突っ込みながら、ただぼんやりと空を眺めているようだ。周囲を軍隊が忙しなく動き回っていて、彼女の周りだけが、まるで何かに守られているように感じられた。
 ふと、ノラちゃんがこちらへ振り向いた。
 風に揺れる白衣の袖。彼女の短い髪がぱらぱらとそよぎ、逆立っている。
 彼女は微笑んでいた。まるで、聖母のような柔和な微笑みだった。そこでやっと、私は彼女に見つめられていることに気がついた。眼差しがしっかりと私の目を捉えて、放さなかった。私はその間―― ノラちゃんって、やっぱり綺麗な子だな、とぼんやり思っていた。

 気が付くと、私は兵士たちに囲まれていた。
 ノラちゃんと向かい合い、私も彼女をじっと見つめている。信じられないくらい、自分の顔の表面が強張っているのを感じた。
 異様に物々しい雰囲気の中で、白衣を着たノラちゃんの様子だけがいつもと変わらない。
 やさしい微笑みはそのままで、彼女は静かに話し始めた。
「ロケットの先に詰めるものを変えれば弾道ミサイルになる。宇宙空間での発電技術は、衛星レーザーに転用できる。超音速機はそのまま、絶対に撃ち落とされない戦闘機になる。……こんなこと、一度も考えたことなかったのかな」
「ずっと……」
 声に出してみて初めて、自分の声がひどく震えていることに気がついた。
「騙していたのね、私たちを」
「嘘はついていないよ、ただの一度も。先っぽに人を詰めるか、爆弾を詰めるか。それしか違わない……」
「違うじゃない!」
「技術者にとっては同じことよ」
 ノラちゃんは顔色を変えずに、まるで独り言のように呟いた。
「ランちゃんは、ここに来ては、いけなかった……」
 ざくっ、という足音と共に、ノラちゃんの周りの兵士たちが歩みを進めた。
 私に向けて銃を構えた。
 しかしノラちゃんは、ここで初めてすこし動揺したような表情を見せ、すぐ近くの兵士に小さく目配せをした。
 軍服姿の男がノラちゃんに近づき、小声で話し始めた。
「どうしますか」
「……そのままで、お願い」

 男が小さく頷き、さっと後ろに下がった。しかし兵隊は、銃を構えたまま動かない。
「あなたは、一体誰なの」
 思ったままのことを口にした。
「軍部からJARIに出向していたの。ノラってあだ名も、偽名なんだ。ずっとこのプロジェクトを指揮していたの、後ろから」
 ノラちゃんは私を見ながら、唐突に、困ったようにくすっと笑った。
「すっごい睨みつけてる、ランちゃん」
「……」
 未だ無言の私に、ノラちゃんは鋭い目で私を見つめ返すと、柔らかな物腰で話し始めた。
「ねぇ、ランちゃん。夢を抱かれて生まれない技術なんてないと思うの。夢がなくちゃ、誰もその技術に見向きもしてくれないわ。ロケットなんかは、正直、そのあたりはいいよね。宇宙技術だといえば、みんな夢と希望をもって何でも差し出してくれる。土地も、お金も、世間的な評価も……」
 ノラちゃんが歩き出した。私に向かって、一歩、また一歩と近づいてゆく。
「宇宙だけじゃないわ。夢の技術だって言えば、みんなリスクには目を瞑ってくれるの。そして馬脚を現せば、みんなで一斉に手の平を返して袋叩き……。ずっと騙していたんだ、お前たちは嘘つきだ、ってね。……だけどさ、何もかもが表裏だと思わない? 技術に罪ってあるのかな? 私は嘘つきなのかな? ねぇ、ランちゃんっ!」
 最後は叫ぶように……吐き出すように言い終えた彼女は、私の目の前まで歩み寄ると、ほとんど鼻をぶつける勢いで私の顔に食い入り―― またそっと離れた。
「嫌われたくない。解って欲しいの。私……」
 泣き出しそうなその声に、私は思わず耳を疑った。
「あなたは何がしたいの」
「自分のロケットを作ることは、私の子どもの頃からの夢だった。それはランちゃんも知っているでしょう? 私が設計案を出した、低コストで打ち上げられる新しいロケットのプランを、軍部とJARI、そしてこの国はとても気に入ってくれた。……低コストって言っても、私は経済学者じゃない。無駄のない、軽い、シンプルで、そして強い……そういうロケットを作ることが、いつしか私の全部になっていたの。つらくて、楽しくて、がむしゃらで……。世界一幸せな、夢みたいな時間だった」
 再度、背後から大爆発音。ノラちゃんも小さく目をつぶる。
 コンクリートの床がぐらっと揺れて、また落ち着いた。
 ノラちゃんは、今は空っぽになった発射台を指差す。
「そして、出来上がったの! 世界のどの国も開発していない……ううん、たとえこれの残骸がほかの国に転がっていたって、30年は同じものを作れないわ。今落っこちた奴でさえ、私のロケットよりもずっと重くて、数多くは作れないものなの。圧倒的なロケットなんだよ。ランちゃん、想像して! 今、世界中が驚いているの。私のロケットに! 三十分の一のコストで、同じくらい正確に打ち上がる。宇宙開発も、軍事技術も、これからはこの国がリードするんだ。全部が変わるの、このロケットで!」
「ロケットじゃなくて……」
 ランちゃんの言葉に耐え切れずに、私は口を挟んだ。
「……ミサイル、でしょ」
「さっきも言った。技術者にとっては何も変わらない。ほとんど同じ設計で衛星も打ち上げられるし、人だって運べる。その中身を選ぶのはクライアントよ。私じゃない……」
「選べるはずよ!」
「三流大学のエレベーターに貼られているんだよね。科学技術は平和利用たれ、って。フフッ、ある意味でそれも間違いじゃない。個人の判断は確かに重要なことだから。けれど、本物の技術者はね、ただ技術だけに興味があるの。道徳も、倫理も超えて、全てをふり切りながらただ理想へと進み続けるの。そうしないと私たちは、革新に向かうことさえ出来ない。そこまでしなきゃ、神様の頬に触れることは出来ないのよ。それが本物の技術者で……ううん、その言い方も良くないかな。えっとね、私だけ、でいい。何が正しいかは重要じゃないね。私は少なくとも、そうじゃなかったんだ」
 ノラちゃんは小さな手で、私の両肩を掴んだ。
「……ランちゃんに認めてほしいの、私のことを。だって、あの時の夢が叶ったんだよ! 『ろばと』さんの縁側だよ。初めて会った打ち上げの日の夜だよ。ランちゃんはオレンジジュースで、私はサイダーで。波の音が聞こえて、一緒に空を見上げたら、天の川があんなに綺麗に……見えて……」
 ノラちゃんの瞳の輝きが、10年前の、かつてのものと何も変わらないことに気付いて……、私は、突然、わかった。
 彼女の中には、特別な変化があったわけではないのだ。突然カネの亡者になったわけでも、殺人鬼に豹変したわけでもない。彼女は、ただただ純粋無垢に、全てを跳ね返しながら、かつての自分が「夢」と名付けたものを、変わらずに、何も疑わずに、一途に追い続けてきたのだ。
 少なくとも、誰が認めなくても、彼女は、本当にそうだったのだ、と。

「……お姉さんに、よろしくね。カマスの塩焼き、ブリの煮付け、灰干しの干物、本当に美味しかった……。ランちゃんに出会って、夢を話せたあの夜、絶対に忘れない。ここは私のふるさとだよ。だって、夢が叶った場所なんだもの! ランちゃん……。あなたのお陰なの。昨日も言った。苦しい時はね、いつもランちゃんのことを考えた。一緒に夢を見てくれた、あなたと私で、このロケットは完成したの。ランちゃんが居なかったら、私は……ここまで……」
 最後の言葉は、擦れてよく聴こえなかった。俯いた彼女は、少し間をあけると、もう一度顔を上げて、愛おしそうに私を見た。
「ランちゃん。私を……軽蔑、するかな?」
 汚れの無い、純白の花のような姿で、微笑みで……。
 彼女は、私に問いかけた。
 その瞳を見つめながら、しっかりと見つめながら。
 しかし私はゆっくりと、確かな意志を持って……首を縦に振った。

 それを見たノラちゃんは、途端に全てが抜けてしまったような、悲しい表情を浮かべて……。
 やがて口元だけ微笑むと、私の両肩から手を放し、俯きながら、ゆっくりと振り返って、その場を歩き去った。
 頭上を爆音とミサイルが飛び交う中で、彼女は管制塔の中に戻ってゆく。兵士が再び、私に向けて銃身を構えた音がした。
 何が違うんだろう。何がここまで違うのだろう。何で分かり合えないんだろう?
 私はかつて、彼女を応援していた。裏切られたと感じたとき、私は確かにそれを口にした。けれど今は、言葉にも、気持ちにも、何も整理がつかなくて、後姿の彼女を呼び止める術すらないことに、重く深く絶望していた。全身の細胞がぶくぶくと泡立つかのようだった。
 こんな結末しか無かったのだろうか。
 たった一度でも振り返る機会は無かったのだろうか。
 妄信的なロマンが、綺麗な言葉が、表現が、巧みに覆い隠していたものはないだろうか。私たちに、私に、何か考えられたことは、果たして無かったのだろうか?
 

 私は溢れ出る涙を止めるつもりもなく、最後……。発射台に向かってゆっくりと顔を上げ、焦げ臭い……まだ真昼の空を遠く見つめた。





(2015、2016)



※2015年11月23日に行われた「第二十一回 文学フリマ 東京」にて頒布した短編小説です。2016年刊行の短編集バージョンに差し替えてあります。



■=無料 □=有料 です。

 □ 横浜アリーナ/supernova
 ■ 老鷲
 ■ 真夏のサンタクロース
 ■ 橋の上のデン子ちゃん
 ■ See you, soon
 ■ 蜂起
 ■ バッテリー
 ■ 渋谷 1225
 ■ ぐりうむ達のクリスマス
 ■ 神の審判

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