二匹の猫 [short story]

 ここ、インド・ムンバイの港町には、今日も数多くの船が繋留され、波とともにかすかに帆の先を上下させている。
 昼過ぎだからか、既に多くの漁師は海から戻って来ていて、そのてらてらに焼けた肌を露出させながら、港のそこかしこで休んだり、数ルピーしか行き来しないしょっぱい賭博に打ち込んだり、あるいは次の仕事に移動しようとしている。

 それらの中のひとつ。漁船……と呼ぶにはあまりにも寂しいが、その「ボート」の上には、ここいらの面子の中ではだいぶ若い方に入る青年が、麦わら帽子をそっと頭に載せて、昼寝を決め込んでいた。
 今日の出来はまぁまぁだった。俺と、女と、近所のガキ共を食わせるにはぼちぼちといったところ。最近はあいつの商売も上手く行っているし、心配はいらない。魚籠の中には、自分の取り分として残したままの魚が入っている。大きいのが3匹、干すために残した小さいのが十数匹……。

「ねぇ、まーだ寝てる?」
 その声を聴いて、青年は嫌々ながら麦わら帽子をどけた。逆光に照らされた、凛々しい表情をした女が、青年の顔を見下ろしている。
「……ンだよ、もう戻ってきたのかよ」
 青年の声は不機嫌なままだ。
「いいじゃない。早く上がってきたのよ。ちょっと、場所空けてよ、場所」
「はぁ? ここに寝るのか。ちょっと、おい、おい……」
 女は無理矢理青年の隣に寝転がり、首もとに転がっていた麦わら帽子を自分の顔に載せた。

 ムンバイの日差しは強く、繊維の隙間からも日差しが照り出していた。
「ね、インドに越してきて良かったと思ってる?」
「……今、聞くのか」
「あなたが仕事でギブアップしそうになってた時は、ほんとに夢みたいな話だったけれど……。でもね、ここの時間って、ほんとにゆっくり流れていて……」
「はぁ」
「いまの床屋もいい職場だし、あなたも夢だった漁師になったし」
「昨日さんざん泣いてたくせに」
「いいじゃん、こうやって埋め合わせしてるんだから」
 女は狭いボートの上でがたがたと身体を動かし、また思い切り“のび”をした。
 顔に乗せていた麦わら帽子がずれて、隣の青年の頬に当たる。
「はー、幸せ」
「俺のひと時を邪魔しやがって……」
「いいじゃない。こんなに遠くに来ても、一緒にお昼寝できるなんてさ」

 まぁ、それは、違いないや、と思った。



(2012)


※ウェブサイト「即興小説トレーニング」にて、15分の制限時間で書いた掌編小説に一部修正を加えたものです。
お題:「栄光の猫」
original 2012.11.13.
http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=10411


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