真夏のサンタクロース [short story]

 一面に向日葵が咲いている。夏の風が黄色い平原を駆け抜ける。8月。遠く遠くまで続く、その美しい風景に寄り添うように、常夏の海のような青空が広がっていた。入道雲が時折、この向日葵畑に塊のような影をおとし、そしてまた流れるように消える。

 そんな大平原をそっとナイフで傷つけたように、一本の黒い道路が敷かれていて、そのある地点では――樹齢何百年であろうか――荘厳な大樹が向日葵畑の真ん中にどっしりと根を下ろしていた。すぐ傍らには、古いバス停と、色褪せたふたつの小さなベンチが並べられている。

 白いTシャツに青いジーパンを履いた青年は、流れ出る汗を拭いながら、この古いバス停のベンチに腰掛けていた。また、風。どどどう。低く響く風に撫でられて、目の前の向日葵が絨毯の毛のように波打っている。

 そこへ、一体どこから来たのやら――、まるで風と共に流れ着いたかのように、ひょっこりと別の男が木の陰から顔を出した。
「やぁやぁやぁ、若いの。今日は本当にいい天気じゃのう、え?」
 真っ赤なふかふかのコート、馬鹿でかい茶色い手袋に、鼻の上までかかるモジャモジャの白い髭。男は青年の隣のベンチに腰掛けると、黒いブーツを脱ごうとして、太った身体を揺らしている。
「やれやれ、こんな日にこれでは靴の中が蒸れてしまってしょうがないわい。それに引き換え、お前さんは軽装でいいのう、え?」
 赤い帽子に隠れた眉をぐいっと吊り上げながら、男はとびきりの笑顔で青年に話しかける。
 青年は、こう呟く。
「……何でサンタクロースがこんなとこに来てんだよ」
「おや、来ちゃ悪かったかい?」
 もう片方のブーツを脱がしにかかりながら、サンタクロースは明るく答える。ブーツが払った熱気がむわりと風に乗り、その悪臭に青年は思わずむせ返った。
「うっ……」
「ふぁっはっは、悪かったのう。じゃが、これもう片方も行くからな、もう片方も」
「大体、何でこんな真夏にその格好なんだよ。馬鹿じゃないのか」
「いや~、そりゃあやっぱり、わしも、晴れ着のほうが良いとは思わんかいの、え?」
 もう片方のブーツを脱ぎ終えたサンタクロースは、再びそれを風に晒し、一方で開放された左足をぐいっと地面へ伸ばしながら、指を四方八方に動かしている。
 青年はその光景から目を背けつつ、吐き捨てるように呟いた。
「……本当に居たのかよ、サンタクロース」
「おうおう、居たぞう。クリスマスの夜には世界中の子供達にプレゼントを配って回っておるぞう」
「……日本語だし」
「どこか遠い北の国ではわしのコスプレをこぞってやりおるらしいがの、本当は随分前から北海道に在住じゃ。ちなみに生まれはローマじゃぞ、ローマ」
「行った事ねーし、ローマ……」
「いい所じゃぞー。クリスマス・イヴは意外と日本よりも静かでな。過ごしやすいわい。トナカイたちも本当に喜んでくれてのう。そうそう、ローマの名物にはな……」
 
 サンタクロースは嬉々として話し続けている。段々、青年が居ようが居まいが、気にしていないようにも見え始めた。
 一方の青年は、向日葵畑の向こうを見つめながら、適当に相槌を打ち続ける。
「……だから、何でそんな奴がここに居るんだよ」
「おやおや、お前さんは先ほどから同じ事ばかり言っておるのう。そんなに、わしがここへ来る事が不自然かい?」
 青年が、はっと振り返る。驚いた顔を隠せないまま、サンタクロースを見つめる。
 それを見たサンタクロースはにっこりと微笑みながら、もう片方のブーツをバス停の地面にきれいに揃えた。ベルトを少し緩めて、前かがみにずれてしまった帽子を直しつつ、青年にこう話しかけた。
「そうじゃ、これも何かの縁じゃのう。お前さんの願い事をひとつだけ聞いてやるとしよう。何か欲しいものはあるかい?」
 青年は急に拗ねたような顔をして、再びサンタクロースからそっぽを向く。それを見たサンタクロースは、また、ふぉっふぉっふぉっと笑いながら、ニコニコと話し続けて――
「いいんじゃよ。ほれ、一期一会だとか何とか言うだろう、遠慮しなくても良い。欲しかったものがあるんじゃろう?話してごらん」

 大樹の葉の向こうから、蝉の声が響き渡る。木陰はざわざわと夏の太陽を揺らし、青年とサンタクロースを空から静かに覆い隠していた。
 押し黙っていた青年が、口を開いた。
「……恋人が、」
「ん、なんじゃて?」
「恋人が……、欲しかった」
「そうかあ」
「恋人が欲しかった。俺と一緒に居てくれる……」
 青年は凍えるような表情で、地面に揺れる木陰を見つめている。向日葵の香りが、この孤島のようなバス停を、まるで何かから守るように満たし続けていた。
「来る日も来る日も……寂しくて……。俺がこの時間を生きる意味すら……分からねぇままで……」
 青年の汗が、背中に張り付いたTシャツに黒い染みを広げている。青年は両手の震えを抑えながら、静かに次の言葉を紡いだ。
「どうしようも無かったんだよな、きっと。全部俺が悪かったんだけどさ。誰からも必要とされないって、辛いぜ。……お宅には絶対に分からないだろうけどな。世界中の子供が待っているんだもんな、あんたを」
「……願い事はそれだけかのう?」
「まさか、叶えてくれるとでも言うのか」
 半ば呆れ声で青年が聞くと、サンタクロースは急に不機嫌そうな顔をつくり、鼻を大きくフンと鳴らした。
「わしは欲しいものを聞いてやると言っただけじゃ。あげるなんて一言も言ってはおらん」
「分かってるよ、それ位」
「で、欲しいものはそれだけか?」
「全然これだけじゃねーけど……。もういいだろう、そんな話は――」

 刹那。まるで青年が言葉を切ったタイミングに合わせたかのように、遠くから心地良いエンジン音が聴こえてきた。
 ぎらぎらと揺れる地平線の向こう側から現れたのは、この向日葵畑にはおおよそ似つかない、全面黒色のボンネットバスだ。青年が立ち上がった。サンタクロースも靴を履き直すが、少し手間取っている様子である。

 からっぽのバスが、この大樹の傘の下に停車した。

 青年は開いた扉のステップへと足を掛けたが、ふとここでサンタクロースの様子に気が付いた。サンタクロースはまだじたばたと、靴を履き直すのに手間取っている。
 どうにも絡まってしまった様子で、しゃがみこんだまま立ち上がれないようだ。ところがサンタクロースは、同時にちらちらと、運転席のほうも伺っている。まるでわざと時間稼ぎをしているようだった。

 不意に青年は、すべてを理解した。

「これまでも、そうやって来たわけ?」
 青年の声に、サンタクロースは押し黙る。
「乗らないんだ」
「……駄目じゃ。本当に駄目じゃ……」
 サンタクロースは、その老いた身体を力なく曲げながら、黒いバスを目の前にして屈み込んでしまった。か細い、しゃがれた声が、向日葵畑のバス停に小さく囁かれる。
「もう何度もここへは来ておるんだがのう。いつも最後に挫けてしまうのじゃ。情けない……」
「まだまだ居たほうがいいんじゃないの、この世界にはさ」
「いや、全てはわしが決める事じゃ。そう言ってくれるのは嬉しいがのう……」
 サンタクロースは静かに笑うと、手に持っていた靴をとうとう投げ出して、また小さなベンチに座り直してしまった。
「こう何度目かになるとな、大体それが、いつ位になるのかも分かるようになるのじゃよ。今日もそれに合わせてな、トナカイ達もわしの手で始末しておいた。苦しまないやり方で……。いつだって覚悟は決めているつもりじゃ、そのつもりなのじゃが……」
 サンタクロースは帽子を脱ぐと、うなだれるように頭を横に振った。青年はステップに足を掛けたまま、その青白い顔をサンタクロースの口元に向け続けている。
「お前はついさっき、世界中の子供たちから必要とされているわしを羨んでおったが、それは違うぞ。本当は誰からの責任も負っておらんのが、一番心地良いのじゃ。近頃の若いもんは、自分の存在意義なんて事をばかに真剣に考えおるがの、わしからすれば、ちゃんちゃら可笑しい。本当にしんどいのはその先なのじゃ」
 サンタクロースは、黒色のバスをちらりと見てから、話を続けて――
「わしはこのバスに乗ることで、その責任から逃れる事が出来る。じゃがいつだって、最後にはくじけてしまうのじゃ。一体何故なのか。責任感じゃて? そんなはずがあるか。本当は恐ろしいだけなのじゃよ。」
「それにわしは――、わしだけに与えられた仕事に、少しだけ酔いすぎてしまった。怖れるようになってしまったのじゃよ、同じ人間ならば当然来るべきものをなぁ……。愚かしい事じゃ、まったく。どうにも下らない話だとは思わないかのう、え?」
 サンタクロースの自嘲の言葉が次々と、白髭に覆われた小さな口から零れ落ちる。そこにあったのは、今やただ小さく小刻みに震える、醜く年老いた人間の微かな残滓だった。
 この人の悲しそうな顔は見たくないな、と思った青年は、ここではじめて、小さく微笑んだ。
「そんな事は、ないよ。サンタさん」
「おいおい、買い被らないでおくれ。本当は子供に夢を与えたいだとか、そんな気持ちなんてこれっぽっちも無いんじゃ。結局はのう……、わしにはただ、このバスに乗る勇気が無いだけなのじゃよ」

 ドアが閉まり、エンジンは回りだす。向日葵咲き誇る、この真夏の平原の中を、まるで潮風のように美しく走り去るバスを見送りながら、サンタクロースはまた再び後ろを向いて、裸足のまま一人、現(うつつ)の世界へと戻っていくのだった。


(2009)


 当ショートショートを原作にしたアニメーション『真夏のサンタクロース』を以下で公開しています。

http://numatake.com/6/flash/santa/santa.html


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