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【越後平野の四本柱火葬場・5】長岡市(旧越路町)中沢の火葬場跡

2019年(令和元)5月12日に現地を確認した長岡市(旧越路町)中沢の四本柱火葬場跡。この時は初夏の訪問だったため、草木に埋もれて中の様子の確認が困難でした。
↓ その時の画像です。

2019年(令和元)5月12日 旧越路町中沢火葬場跡 西方向から
2019年(令和元)5月12日 旧越路町中沢火葬場跡 東方向から
草木が繁茂してとんでもないことになっています

残雪もなく、草木も繁茂していないこの時期、火葬場跡の詳細を確認するチャンスと考え、冬晴れの2月17日の午後、中沢火葬場跡を再訪しました。

旧越路町概要

越路町は1955年(昭和30)3月31日に周辺の4つの村が合併して町制施行になりました。
その後、財政再建準用団体になったこともありましたが、それも解消。
合併協議を経て、2005年(平成17)4月1日に長岡市に編入されました。
国の重要文化財・長谷川邸、もみじ園(園内の巴が丘山荘も国の重要文化財)などの名所があります。
次に記すような錚々たる人々を輩出しています。
 三波春夫:演歌歌手
 琴音:シンガー・ソング・ライター
 和月伸宏:「るろうに剣心」の作者。出生は東京都
 米山稔:スポーツ用品のYONEXの創始者
 井上円了:仏教者。東洋大学の創始者
また、次のような大きな会社やその工場もあります。
 朝日酒造:日本酒の久保田、朝日山
 YONEX新潟工場:もとはYONEX本社
 岩塚製菓:「お子様せんべい」などの米菓。社会貢献にも力を入れる。

長岡市(旧越路町)中沢の火葬場跡

この火葬場跡は、「越路ナビ(越路ナビ(こしじなび)| 新潟県長岡市越路地区の観光ガイド (koshiji-navi.jp))という観光紹介のサイトで偶然見つけました。Yahoo等の検索でもブログ内検索でも、見つかります。(中沢斎場跡 | 越路ナビ(こしじなび)新潟県 長岡市 (koshiji-navi.jp))それにしても、観光案内サイトに火葬場跡が載っているとは、このサイト、ただ者ではありません。
国道351号線を長岡市街地から小千谷市に向かって走り、中沢の集落を抜けてすぐに、左手に大樹が見えてきます。その木蔭に四本柱火葬場があります。
「越路ナビ」の説明によると、この火葬場は昭和初期まで使われていたようです。昭和初期を最下限の昭和9年(1934年)とすると、この火葬場は90年以上ここに建っていることになります。
越路町は、2004年(平成16)10月23日の中越大震災で相当大きな揺れに襲われたのですが、その揺れにも崩れずに耐えた火葬場跡です。

旧越路町中沢火葬場跡 国道351号線側(火葬場の西側)から
旧越路町中沢火葬場跡 南側から
旧越路町中沢火葬場跡 東側から
逆光になってしまいました
旧越路町中沢火葬場跡 北側=正面から
手前に棺台があります 火葬場の正面は、正確に北を向いています
棺台 コンクリート製です

暖冬で雪に覆われる期間が短かったためか、下草が繁茂し始めていますが、火葬場跡全体の様子は分かります。

もう少し近寄って撮影してみました。

旧越路町中沢火葬場跡 西側から
大樹にもたれて撮影しました
旧越路町中沢火葬場跡 南側から
この方面は、火葬場の後ろ側にあたります
旧越路町中沢火葬場跡 南東方向から
東からは逆光が強くてうまく撮影できませんでした。
旧越路町中沢火葬場跡 ほぼ北側=ほぼ正面から
手間に棺台の一部が写っています

火葬場の中央部は枯葉に埋もれていますが、何かの遺構は残っていないようでした。くぼみ等もなさそうでした。
四本柱の上部に梁がわたされているように四本の円柱が取り付けられています。これまで見てきた、寺泊北曽根、見附市今町、旧中之島町横山、旧中之島町長呂の四本柱火葬場には、このような梁はありませんでした。
四本柱火葬場で火葬をするときは、四本柱の上を筵(むしろ)や菰(こも)、藁束で覆って火葬にしたそうなので、この梁は筵や菰などをかぶせやすくするための設備なのでしょう。

火葬場の南側にコンクリート製の長方形をした遺構がありました。

火葬場の南側 不思議な遺構

火葬場の南側は以前は畑だったようなので、その頃の遺構でしょうか。それとも、火葬場のかつての施設の遺構でしょうか。

最後に、正面やや西寄りから火葬場跡全景です。

旧越路町中沢火葬場跡 全景

撮影はしませんでしたが、火葬場跡のすぐ西側から北側に土盛りがされ、本格的な道路工事が始まっていました。
国道351号線は長岡市-小千谷市の通勤道路になっているため、混雑緩和のために信濃川左岸バイパスを延伸させる工事のようです。
工事の進行とともに、この古い火葬場跡が撤去されたりしなければよいが、と心配になりました。
以前も書きましたが、地震や水害に耐えて残ってきた火葬場跡は、そこに暮らした人々の死生観や葬送儀礼を知ることの出来る貴重な歴史資料、民俗資料だと思うのですが・・・・。

春近い越後三山

火葬場跡の南東の隅からは、遠くに越後三山(八海山、中ノ岳、越後駒ヶ岳)が見えました。
真っ白に雪をかむった越後三山が冬晴れの青空に映えて美しかったです。

火葬場跡からの越後三山
右:八海山 1778m
中央:中ノ岳 2085m
手前の山陰に隠れて:越後駒ヶ岳 2003m

周辺の火葬場跡との位置関係

現在知り得ている越後平野の四本柱火葬場跡は以上です。かねてから聞いていた「新潟は、昔は集落ごとに火葬場があった。田んぼの真ん中とか集落墓地の一角とか・・・・」を裏付ける火葬場群でした。
今回訪問し、地図に記した火葬場以外にも、風雪に耐えて残っている火葬場跡があることと思います。
あるいは、圃場整備や道路工事、街並みの発展に伴って消滅した火葬場もあるでしょう。震災や水害で倒壊したり、集落の住民の離散によって解体されたりした火葬場もあることでしょう。せめて、今残っている火葬場跡だけでも、後世に伝えていけたらと思います。
集中ルポルタージュの最後になりましたが、貴重な情報を与えていただき、火葬場についての知見を与えていただいたさいば萌様と四本柱様に、深く感謝申し上げます。

これで終わりのようなことを書いていますが、訪問済みの火葬場跡、未訪問ですがぜひ訪ねてみたい火葬場跡がまだまだありますので、今後も不定期ですが火葬場紹介を続けてまいります。

<今後の紹介予定>

〇寺泊斎場
〇与板無憂苑斎場
〇小千谷市首沢の火葬場跡
・魚沼市旧斎場
・魚沼市斎場
・寺泊松沢の火葬場跡
・三条市上保内の火葬場跡
・鳥取市因幡霊場
・鳥取市丸山の火葬場跡

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