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札幌新陽高校元校長先生 荒井優さんが考える「公教育の未来をこんな風にしたい」 イベントレポート

 私は、さとまなプログラム一期生のゆなです。さとまなプログラムとは、通信制大学のmanagaraと地域留学を提携している、さとのば大学がコラボしたプログラムになります。詳しくはこちら。私は、教育やコミュニティ、場づくりに興味があり、地域の教育の歴史がある、京都にイレギュラーで地域留学しています。

 私は高校2年生の頃に、小林さやかさん「キラッキラの君になるために〜ビリギャルからのバトン〜」という本を読んで、荒井優さんの存在を知りました。この本で、札幌新陽高校は、生きる力を育てたり、校長室を解放したりなど、私の通っていた学校でなかった光景を知りました。また、荒井さんは、生徒ひとりひとりを見ている方なのだろうなと感じました。とても素敵だなと思い、私はこの本が原点で日本の教育に興味を持ったので、ずっと荒井さんのお話を聴いてみたいと思っていました。なので、信岡さんにお願いして、現役大学生からの視点とイベントレポートを書かせて頂くという形で参加させて頂きました。

〜荒井優さん、札幌新陽高校について〜

 荒井優さんが校長に就任する前の札幌新陽高校は、不良が多く、偏差値が低いため、定員割れを起こしていたそうです。そのため、赤字経営になり、学校を閉めようという話が出たそうです。その中で、学校創設者のお孫さんである荒井優さんに、校長先生にならないかというお話が舞い込んだそうです。

 当時の荒井さんは、大学卒業後にリクルートへ入社し、その後ソフトバンクの社長室で働いていました。東日本大地震が起きた時には、孫正義さんからの寄付を元に、NPOを設立し、復興に力を入れていました。

 荒井さん自身、校長先生にならないかというお話が舞い込んだ時、教員免許も持っておらず、ビジネスから教育業界へと転換することに不安を抱いたそうです。しかし、相談した際に「覚悟があるかどうかだ」と言われ、校長先生になることを決めたそうです。
(※校長先生になるには、私立高校の場合はどの地域でも教員免許は不要です。公立高校の場合は、教員免許を持っていない校長を募集するかは、自治体によります。)

 荒井さんが校長に赴任した際、町内会長など地域の方々に挨拶に行き、「札幌新陽高校の生徒さん、地下鉄の駅前で、ソバージュで、真っ赤な口紅をして、長いスカート着て、タバコ吹かせて地面に座り込んで、チェーンを振り回していたよ。」と言われたそうです。しかし、当時はそのような生徒さんはおらず、「ガラの悪い高校」というイメージが札幌新陽高校に残っていたそうです。なので、当時の生徒さんは、「制服を着ていると、’札幌新陽高校’とバレて嫌だ」と嘆いていたそうです。

 そんな中、荒井さんは札幌新陽高校を立て直すために、「学校をどう開いていくのか?」ということと「心理的安全性を学校の中でどう確保するのか」を大事にしたそうです。荒井さんが、復興支援の時の経験を元に上記の2点を重視したそうです。

 復興支援の時、学校が避難場所であり、自ずと開きました。すると、いつもは学校が閉じていてわからなかった、先生や生徒さんの素晴らしさを体感したそうです。しかし、学校は数年で自然と閉じていきます。

 学校を開いていくためには、異物を受け入れることが大事だそうです。札幌新陽高校は外部を拒否していたところに、荒井さんがぽこっと入りました。さらに、小林さやかさんがインターンした際には、「職員室になんか知らないお姉さんがいる。」という状態と、さやかさんの空気を読まないキャラが素敵だったそうです。

 また、さまざまな事柄をできるだけオープンにして、できるだけ丁寧に対応していったそうです。学校は身内の中だけで解決しようとして、現場の先生たちが現状をあまり知らなかったりします。そうすると、お互いの役割がわからず、「あの人たちは何をしているんだろうか?」という不信感につながっていきます。だから、オープンにすることによって、信頼性を作り、まずは台所のような存在である職員室の心理的安全性を作ったそうです。また、挽回の仕方が分かるからこそ、信頼に繋がるそうです。

 「心理的安全性を学校の中でどう確保するのか」は、工藤先生の「自律する子の育て方」という本に書かれていることと似ていることをしていたそうです。

 よって、生徒さんに「札幌新陽高校に通ってよかった」と思ってもらえるような高校に変化したそうです。

〜「偏差値ってなに?」、「公教育はどこに向かっていくのだろうか?」〜

 ここまで荒井さんの経歴を伺ってきましたが、続いて信岡さんからの質疑応答も踏まえて実際にどのようなことをされてきたのか、対話形式のレポートでお届けします。

信岡さん:最近、「偏差値とはなんなのか」と気になって、荒井さんは偏差値をどのように捉えますか?

荒井さん:福岡教育大学の研究によると(2018年の西日本新聞の記事より)、中学3年生の時点で全体の約3割が小学校4年生の学力を満たしていないという調査の結果があります。高校の教育は、義務教育がある程度分かっている前提で始まるので、約3割の高校生が授業を理解していないということだと思います。そうすると、勉強が嫌で、先生に追いかけ回されて、時には先生に暴言を吐いてしまうかもしれない。そして、先生はその子自身を否定しまったりする。すると、生徒自身もいい子ではないんだと思ってしまう。一人一人はいい子なのに、自己肯定感が低くなる悪循環が偏差値によって生まれてしまっている。

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 (図はこちらから引用)

 偏差値分布を見ると、偏差値45以下が31%、偏差値45〜55が38%、偏差値55以上が31%である。日本の教育は、この3つのレイヤーに分けて考えられる。
 偏差値55以上の層では、家庭で教育にお金を掛けれて、塾に通えたり、やったらできるという達成感を知っている子たちが多い。
 偏差値45〜55は、学校の教育が響く。少し家庭の教育が弱いので、学校が優位な存在となる子が多い。
 偏差値45以下の場合、先生の想いもなかなか届かなかったり、家庭の教育が弱い場合が多い。

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 (図はこちらから引用) 

  こちらの図を参考にしながら、約100校ある、札幌の中学校のサッカーの大会で偏差値を例えてみます。
 一回戦を勝つと偏差値50を超えます。ベスト16で偏差値60で、決勝戦までいけば偏差値70になります。
 偏差値が50を超えない場合は、毎回一回戦負けで、それは本当にサッカーが好きなのかな?偏差値50を超えるということは、やる気のスイッチにどうやって火をつけるかが大事です。だから、その火は、櫻井翔くんに会いたいとか、きのこを研究したいとかその子にとってキラキラすることならなんでも大丈夫。

信岡さん:「普通の人が普通に頑張ったら幸せになる国」を目指すべきなのではないか?偏差値60以上でないと、お金が稼げなくて、子どもが2人産めないという状態は、国家戦略としては間違っているのではないか?だから、これからの公教育はどこに向かっていくべきなのでしょうか?

 小学校4年生レベルの高校生に高等学校の教育をすべきなのでしょうか?例えば、体育だと運動が苦手な子が、体育を好きになるメソッドがないです。

荒井さん:苦手なら分野を変えていけばいいと思います。だけど、学校はそれを許容してこなかったから、苦しくなる子が増えた。現在は、不登校やリストカットなど、ひとりになって入り込んでいくことが課題になっている。その課題をどう解決していくかわからなくて、先生たちも困っている。目的を見つめ直して、手段を変えていったらいいと思います。

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 (こちらの図は信岡さん作成)

荒井さん:今の教育は、やる気がなくてスキルがない子を右に移動させようとしています。宿題をかしたり、部活に出さないぞなど。だけど順番が違うのではないだろうか?先に縦に、モチベーションをあげるようにスライドすべきなのではないだろうか?心理的安全性を担保しながら、出会いと原体験を学校が提供することによって変わっていく。失敗や成功は関係なく、本気で挑戦していることを学校は認める。そうすると、生徒たちは挑戦していこうとなって、スキルが上がっていく。

 また、スーパースターを待って、首相や先生が言っている事を頷いているだけではいけないと思う。だから、本来の教育は、自分の周りを変えていく、自分で意思決定していく力などの「生きる力」を育てていくべではないかな?一人一人に可能性があるのだから。

 そのために、doing(宿題をやった)でもhaving(いい大学に入った)でもなくて、先生も生徒もbeing(存在そのもの)で褒められる環境であるといい。そうすると、心理的安全性が担保される。

私:私は、教育を変えたいけど、学校の「中」を変えるのは難しいと思った。だから、学校の「外」から変えようと思って、地域における教育に興味を持ちました。でも、今回荒井さんのお話を聞いて、学校の「中」からも変えられるのかなと思いました。

 また、どのようにしたら学校で心理的安全性を保てるんですか?

荒井さん:学校はすごく変わるよ。諦めなければ変わるよ。変わるまでに失敗はたくさんするかもしれない。だけど、必ずできるよ。

 あと、howを聞くより、whyの方が大事。職員室が学校の心臓部だから、学校にどのような関わり方をするにしても、職員室に入っていくとどんどん変わっていく。札幌新陽高校は変わるのに、一年ぐらいかかった。最初の頃は、校長の右腕が朝礼の時に、毎回なぞなぞを出していた。学校を変えていくには、自分たちで考えてトライしていくことが大切だと思う。

 あと、札幌新陽高校のみんなは、挨拶をたくさんするから、銀行の人に褒められたりした。挨拶を沢山するようになったのは、掃除のおばちゃんのおかげなんだ。生徒のみんなに、「掃除のおばちゃんたちがね、君たちのことをほめてたよ。素晴らしい挨拶をしてくれているようだね。僕は校長として、とても誇らしかったよ。ありがとうね。」と伝えたら、みんなあいさつする学校に変わったんだよ。

〜感想〜

 今回は終始、ドキドキと嬉しさで緊張していました。緊張のあまり、言葉があまり出てこないし、もっと様々な問いを聞きたかったなと思いました。終始、心の中はうわああああああ、ウヒョー〜〜〜ーーー!あげ〜ーー〜ーと踊っていました(笑)

 私は、中学3年生の頃に、無理矢理給食を食べさせられたり、学年で校歌を歌う声が小さいと怒鳴られ、みんなで運動場に呼び出され、走り続けさせられ、歌わされ続けました。そのほかにも、体育祭の時に私が行進が少しズレるとマイクで怒鳴りつけられ、連帯責任で学年みんな走らされたり、クラスでいじめが起きると、いじめの根本の解決ではなく、靴箱や置き勉の禁止といった、連帯責任でした。だけど、お気に入りの生徒だと、中学生で飲酒したことがバレても怒られてなかったです。こんな環境だったので、日本の教育に不信感を持ち、学校が大嫌いになっていました。

 学校が大嫌いで、高校1年生の頃はギャルをしていました。

 そんな私が、高校2年生の頃に小林さやかさんの本を読んでいろいろ気付かされたことがありました。

 一人ひとりが尊重される教育であったら、現状の日本の教育で生きづらさを感じている子たちが少なくなるかな。学生時代にキラキラ・わくわくしている大人に出会える機会を学校で作れたらいいな。先生と生徒がフラットな関係性で、校則とか話し合えたら、学校を変えていけるんだって思えて、投票率も上がるかな。「生きる力」が養えたら、キラキラ・わくわくしながら生きていけるかな。札幌新陽高校は、一人ひとりみてもらえて、キラキラ・わくわくできるようになる学校だと思った。札幌新陽高校っていう、素敵な高校が日本の中にあるんだな。

 などなど。小林さやかさんの本に出会わなければ、ただ「学校が嫌い」で終わっていたなと思います。

 読み終わった後に、小林さやかさんと荒井優さんのお話しが聴きたくて、ネットで検索してもすでに終わった講演しか、見つけられなかったです。荒井さんの校長日誌が読みたくて、フェイスブックを始めたけど、当時はフェイスブックの使い方もよくわからず、てんてこまいでした。だけど、私の通っていた学校でも、講演会があったら、先生も生徒もキラキラ・わくわくして、高校が変わる気がしました。だから、講演会とかの担当の先生に(一回も話したことのない先生)、小林さやかさんの本を読んで考えたことを4500文字くらいに書いて(その直談判した時の作文はこちら)、直談判しに行きました(笑)そしたら、その先生が共感してくれて、いろいろ動いてくれたし、それがきっかけで、教育について対話を何回もしました。結果として、学校のお金的な面とかで、私の通っている高校で小林さやかさんに講演をしてもらうことは叶わなかったけど、自分が行動し始めた原点でもあるなと思っています。

 でも、この時に叶わなかったから、小林さやかさんと荒井優さんのお話を聴けないと諦めていたんです。だけど、今回、お話を荒井さんのお話を念願叶って聴けて、本当に嬉しかったです。

 キラキラ・わくわくな大人とお話しできて楽しかったです。荒井さんのお話を聴いて、改めてキラキラ・わくわくしながら生きていきたいなと思いました。自分自身も周りの人も、キラキラ・わくわくしていける人でありたいです。

 また、諦めずに学校の「中」から変えていけると思い続けたいです。学校の「中」で、心理的安全性を先生も生徒も保てたら、学校への息苦しさがなくなるのではないかと感じました。もっと、教育について勉強したいです。

 今回は、本当に貴重な機会をありがとうございました。






 


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