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【成人式前】今を生きるということ①

こんにちは、ゆもです!
あけましておめでとうございます☺️

2003, 2004年生まれの代の成人式が1/8に迫りました。
自分は誕生日はまだですが、やはり成人やあ…とフワフワする気分。
何事もネガティブ思考なので再び思いにふけてるわけですが、今回は今を生きることについての呟きを前後にわけてしていこうと思います。


過去と未来の狭間ってどこ?

過去にのまれる近況報告

というのも、今の自分が現在から徹底的に逃避していると認識しているため。
過去に引っぱられて、未来に引きずられている気分です。

memo1
過去と未来の二面性から今という空間に現実味がない状態
リアルとはみたいな哲学の沼

USB型脳内の解説

そもそも自分の脳内がデータ蓄積タイプというか単純型だと感じている。
USBみたいな感じ?
胎児だった頃の記憶からまでの記憶が細切れで蓄積されているイメージなのね(memo2参照)。画像とか音とか、形も大きさも違う思い出がごっちゃごちゃに上からどんどん溜まってっていくイメージでね、二十歳にして自分の残メモリに限界を感じているわけ。この整理整頓がなされてない脳内では、ポップコーンが弾けるみたいにふとした時に記憶が出てくるわけ。それでいちいち一喜一憂したり、集中を逸らされてるのが今の状況かな。

memo2
下手くそな図でごめん。

小学生くらいまではね、天まで延々と引き出しが続く図書館みたいな空間をイメージしてて、脳内はスッキリしてて単純だったの。引き出しをぜんぶ把握してて、決められたとこを開ければその記憶が出てくるみたいな。

でも上図でも伝えようとしてるんだけど、自分の外側からの情報って無限なのよね。五感、学問や社会情勢といった外側からの情報が生きているあいだひっきりなしに蓄積される。
いちいち影響されがちだからパンク、加えて眠るのが得意じゃないから夢の中でもポップコーン状態。下手くそに生きてるのが身に沁みる。伝わるだろうか(汗)

それで今悩まされてるのが、私が大人になることへの恐怖、すなわち知らないことを知る疲労と不安に繋がるんだけど、そこに過度に怯え過ぎて、今持ってる記憶にすがりついているような状況であること。
直近の例で言えば、年末の家族で過ごした今までの楽しくって幸せな記憶が邪魔して、今の家族と年末を楽しく過ごせない。どうしていいかわからずフリーズしてしまうみたいな状況。
(前に呟いた投稿も参考にしていただけたら…)

自己結論を先に。

狭間を見出すために過去を崩す

でね、成人式も近いということでここ最近ひっきりなしに考えてたんだけど、ちょっとひらめいたことがあるので先に結論づける。

あのね、私は自分の中の思い出をあまりにも完璧に切り取ってないかということね。自分が完璧主義なのはひしひし理解してるから、思い当たる節があるわけ。

すなわち、昔のあの時、あの瞬間、幸せだったあああっていう思い出が黄金のように磨き上げられて、これ以上に勝るものはないと自分で結論づけているというもの。完璧なメモリをすでに持っているのだから、今という新しい思い出がつくれるわけない、否つくる必要性を感じない。

ここに自分の問題点を見つけることができたの。
また完璧主義の悪い癖だな!この野郎!!、みたいな(笑)

なので、結論的には、自分の持っている幼少期の黄金メモリに対して懐疑的になるということが今の自分に必要なのかなと感じている。そうすると過去の思い出のループとポップコーン現象を止められる気がしてきたという気づき。

自分の持っているその幼少期の幸せメモリーは果たして完璧だったのか、
本当に100%だったのか、
見えてない欠陥部分があったんじゃないか、
だったらもっといいものをつくれないか。

想像をもって仮定でもいいから、そうやって過去を崩すことで今を見出せるんじゃないかなあって感じる。黄金じゃなくてひとつの記憶として存在してくれたら、そんなに脳内のメモリーも消費しないんじゃないかなあって思った。

今を十分に楽しむために、過去の思い出を妥協した曖昧なものにしといて、頭の中のあるべき引き出しにひとつひとつ閉まっていく作業、、、というのかな(笑)


②に続くよ!!

どうやったら今を生きれるかなあ、ってもうちょっと考えたんだけど、今回は一旦ここで区切りをつける。4つくらいにカテゴライズして考えたからね、また呟くよ。多分成人式までに書き終えちゃう、、ことを目標に今を生きる(笑)
考えすぎちゃう自分だから、もうこういうところで整理して発信するしかない。



ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
続く!!!




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