人間は怒りを通り超えると、呆れになる。 悲しみを通り超えると、笑いになる。 人間の感情は複雑である。 おじいちゃんの私小説の中に出てくるエピソードにこんなものがあった。 「戦争で死にいく若者は皆、最後は笑っていた」 この話は、おじいちゃんなりの戦争の恐ろしさを表現したものなのだろう。 私のおじいちゃんは、本当にいつも笑顔の人だった。不機嫌なことがほとんど無く、怒っている姿は一度も見たことがない!! しかし……一緒に暮らし始め2020年の夏、エアコン戦
少し前のことになりますが、四十九日を迎えた頃のお話。 その間、しばらくエピソードが、書けなくなっていた。父の時もそうだった気がするが、ものすごく溢れんばかりに思い出すことが続くと、急に枯渇してしまったかのように何も思い出せなくなる時がある。 人間はこうして忘れてゆくのかな?と思う。そしてなんだか寂しくなる。覚えていられないことが。 そうこうしている間に、四十九日を迎えてしまった。もう49日も経ったのか……まだ49日しか経っていないのか……複雑な気持ちになる。
おじいちゃんの「食べること」についての話は、本当にたくさんのエピソードがある。 まずは「食べる量」である。私たちは、一緒に暮らすようになってまず驚いたのが「うちのおじいちゃんは、めちゃくちゃ大食いである」という事だった! 昔、まだ私が小さかった頃……私自身の記憶には残っていないのだから、相当昔のことだと思うのだが、我が家に遊びにきたおじいちゃんに、母がおでんを振る舞ったそうだ。おじいちゃんはそれを「美味しい。美味しい。」と言って、物凄く、尋常じゃない量を食べたらしい
今から10年ちょっと前の、おじいちゃんがまだ90歳くらいの頃の話である。おじいちゃんは小説を書いていた。しかもパソコンで、である。 私が文学部出身だったので「Word」の縦書きの設定をどうしたらいいか?なんて相談を受けたこともあった気がするが、あまり記憶が定かでない。その点、おじいちゃんは本当に昔のことを良く覚えている。 実はその私小説が親族に配られた時、私はすぐにそれを読もうとしなかった。これで読み切ってしまって本を閉じたら、なんだかおじいちゃんが消えてしまいそうな
洗面所に1本の青い歯ブラシが置いてある。おじいちゃんが使っていた歯ブラシだ。 父が亡くなった時もそうであったが、「残っているもの」につい目がいってしまう。 朝、顔を洗う時。 仕事から帰ってきて手洗いうがいをする時。 夜、お風呂に入る時。 特に今は、コロナ禍という時代になって洗面所で手を洗う回数が多くなったのめ、その青い歯ブラシがとても良く目に入る。 この青い歯ブラシは、私が買ってきたものだ。おじいちゃんが我が家で暮らすことに決まったときに用意しておいたのだ
今回のお話は、おじいちゃんが寝静まってからのお話。 回転焼きとは、関東では今川焼きや大判焼きと呼ばれ、各地方で様々な言い方があるそうだ。2021年の秋から放送されていたNHKの朝ドラ『カムカムエヴリバディ』ではこう呼ばれていた。 そんな経緯で我が家も「回転焼き」と呼ぶようになったのだが、これを夜更かし大好きなおじいちゃんが眠った後に、母と弟と私の3人でこっそり食べるのだ。つまり真夜中である。そして、録画していた『カムカム』を3人で、あーだのこーだの言いながら観るのが
おじいちゃんがその後お餅を喉に詰まらせることなく平和に過ごせたことはもうお分かりだと思うが、私たちは毎度毎度不安と心配で気が気でなかった。 生前、父は「餅を詰まらせて死んでも、お風呂ですっ転んで死んでも、こんなに長生きしてるんだから、その時はその時だ!」とよく笑って言っていた。 だけど、それは「息子」だから言えることであって、私たちはやっぱり怖くてオロオロ……。しかし、そんな心配もよそに、おじいちゃんはとても美味しそうにお餅を食べる。 実は、父がまだ生きていた頃に
2021年の冬。1月から3月頃の。話だったと思うが、おじいちゃんが突然「一生に一度のお願いなんだけど……、お餅が食べたい!」と言い出した。2020年の5月31日から我が家の4人暮らしが始まって、色々とおじいちゃんの好みや健康状態、性格などがやっと分かってきた頃だった。 でも、100歳になるまでのここ数年の間に、お餅を食べたことがあるのかどうかは分からなかった。 それまでは、叔母の家(私の父の姉)に住んでいたので、晩年の食生活は叔母しか知らないのだ。しかし、その叔母が
実は私のおじいちゃん、私小説を書き残している。もちろん一般に出版されたものではないが、一応親戚中に配っている。おじいちゃんは親戚付き合いもまめにしていたから、私から見るとかなり遠くの親戚まで手に渡っていると思う。 ということで、おじいちゃんも小説を書いているならば、私も書いてみようかと思ったのだ。一応、文学部の出だし、それも文章を創作するような学科にいたのだから書こうかなと……。 それがこの『note』というわけである。 でも実は大学を卒業してから、何度か小説
いざ「書く」と決めると、筆が進まない。 全く書けなくなる。 この、おじいちゃんとの約2年間の生活が終わったので、ものすごく何かを書きたくなった。 いろいろ、やってみたくなった。表現とか……。 父と過ごしていた頃よりものすごくインパクトのある生活で、私の誕生から○○年一緒に過ごした時間より、おじいちゃんとのたった2年の生活の方が色濃かった。それまでの父との生活を忘れてしまうくらい。 「ふとした時に思い出す」というよりも、おじいちゃんとの暮らしはルーティン化されてし
はじめに 2022年3月25日、102歳の誕生日を目前にして祖父が亡くなった。 この祖父というのが、3年半程前に亡くなった私の父の「お父さん」で、つまり私にとって「父方のおじいちゃん」ということになる。 「おじいちゃん」と「孫」 我が家は、2020年5月現在で私の「母」=亡くなった父の「妻」、そして私の「弟」=亡くなった父の「息子」と私の3人暮らし。なぜこうも複雑な書き方をするかというと、これからの暮らしが非常に複雑な4人家族になっていくからだ。 「おじいち