見出し画像

PCOSの私が体外受精で妊娠するも、合併症(卵巣過剰刺激症候群:OHSS)で即管理入院になったお話


採卵のあとにも、エコー検査で「あー。腫れるかもねぇ。」と言われていた。
もし、腫れていたら胚盤胞は凍結して、卵巣が落ち着いたら子宮に戻すことになる。だから、すぐには妊娠できない。それだけは避けたかった。

一月でも早く妊娠できる可能性があるのなら、新鮮胚移植がいい。移植日が来るまで頭の中で、散々リセットして塞ぎ込んできた日々を思い返した。
(※ネットの情報では、凍結した胚盤胞を移植したほうが妊娠率が上がるという記事をよく目にした。だけど、私が受診している病院では新鮮胚移植のほうが妊娠率が高いという。)

卵巣も許容範囲の腫れでおさまり、無事に移植までたどりつけた。
その日の夜、「この子はいつ着床するんだろうか」と培養士さんが「状態が良い」と褒めてくれた胚盤胞に思いを馳せた。その翌週から酷い目に遭うなんて、この時は思いもしなかった。



移植して1週間。仕事着にしているブラウスを羽織り、少しタイトなシルエットのスカートを履くと、いつも以上にウエストが苦しくなっていることに気づいた。
「え?なんかこんなシルエットだっけ?私、太ったかな?」
と横で支度する旦那さんに話しかけた。
「えー?確かに…ぽこんって出てるよね。ちょっと不自然かな?」
先週あたりの食生活を思い出す。そんなに暴飲暴食しただろうか…。体重も2キロ近く増えてきた。もう30歳過ぎてるから、いわゆる代謝が悪くなって太りやすくなってきたのだろうか…。

その日の仕事は午後から気分が悪くなり、午後の授業が終わったらすぐに早退させてもらった。
夜ベッドで仰向けに寝ていたとこらから少し体を横に姿勢を変えた時、
「……。苦しい。」
うつ伏せで寝ることができなくなっていた。姿勢を仰向けに戻すと、いくらか呼吸が楽になった。


翌日、お腹の膨らみを気にしながらも出勤。立った状態でも呼吸が苦しかった。トイレに行くと、尿の出方も少ない気がした。

「これは…普通じゃない。いつもと違う。」

身体の違和感にただならぬ不安を覚え、病院に電話をした。午後からすぐ病院に来るよう言われた。
同僚や上司たちに申し訳ない気持ちはあったけれども、早退させてもらって病院へと急いだ。


「うーん、卵巣が腫れてきてるね。腹水も溜まってるねぇ。」
卵巣なら胚移植の時も腫れてたし何が問題なのかわからなかった。だけど腹水という言葉には「あぁ、よくないんだな」という感覚にはなれた。

判定日は翌日だったが、血液検査のついでにHCGホルモンの検査もすることになった。

約30分後。

「陽性反応、です。まだ胎嚢は見えないだろうけど。」

「はい…。」

「え?もうちょっと喜んでもいいんじゃない?笑」

1人目を流産した身としては、陽性反応だけじゃ喜べない。期待すると怖くて、そして、辛くなってしまう。

「うーん、入院して、だらだら過ごしたい?」
へ?だらだら過ごしたい、、、?
「状況が悪いので入院です。」って、断定的な言われ方をされたら「仕方ない、入院の話を職場に…」ってなるのだけど。これから繁忙期に入るのに、簡単に休む決断をすることはできない。
入院がベストなのはなんとなくわかるけれど、職場のことを考えると、最近また病休に入った人がいるのに、さらに自分も…となると自分では決められなくなっていた。
「職場に相談させてください。」
とりあえずこの一言しか言えなかった。

処置室で看護師さんに薬の説明を受けた後、
「あのね、あのドクターは優しいから、すぐ入院って言わなかったけど、医院長先生なら即入院だったよ。なんでそう言うかっていうと、この症状をそのままにして仕事続けてた人がもっと悪化して、県病に運ばれたり、妊娠の継続が難しくなって中絶せざるを得なくなったり。そんな人たちがいたから、そこまで先生たちは言うんです。せっかく腹腔鏡手術も体外受精もしてここまで頑張ってきたのだから、よく考えたほうが良いと思いますよ。」

そこまで言われて、自分の中で危機感が生まれた。
中絶手術。去年の流産で経験した手術。妊活を再開して受けた、卵管造影に腹腔鏡、採卵、その都度ある注射。痛かったし、とても辛かった。
出勤して仕事をするにしても、腹水が溜まったお腹で通常の業務をこなすのは難しい。毎日早退だってあり得る。それこそ職場に迷惑をかけるのでは…。
「入院って、どれくらいの期間になるのですか?」
「前の人は、2ヶ月くらい入院してたかなぁ。」
「2ヶ月…!?」
私の夏が…病室で終わる、、??
「OHSSで妊娠が成立するとね、自分の身体から出ている妊娠を継続するホルモンと、エストラーナや膣坐薬で補充しているホルモンのせいでどんどん悪化していく状態になるの。だから、人によって、卵巣の腫れのピークも違うから、いつ退院できるとか明確には言えないんです。」

職場の上司に連絡をすると、「いいよ、あとは他の職員に任せて。なんなら2ヶ月くらい休みよ。」とあたたかい言葉をかけてもらえた。
事情を知った同僚からも「先生はどうせ無理するのは分かりきってるから、早めに休めるようになってむしろ安心だよ。」と。去年の流産を知ってる同僚だからこその優しい言葉に胸が熱くなった。

私の意思は入院で固まり始めた。旦那さんにも事情を話したが、急な話すぎて旦那さんは理解が追いついてなさそうだった。
入院の日が決まり、入院までに自分がやっておかなくてはいけないタスクを洗い出した。
全学年分の評定(約500人分)、自分のクラスの通知表のデータ作成。その他諸々の業務。
家で安静にしつつ、粛々とその作業にあたった。



そして迎えた入院の日。結局たった3日ではタスクはこなせず(入院の準備もあったので、あと3分の1くらい残してしまった。)
ノートパソコンやタブレット、仕事道具に、暇つぶしの本を持ち込むと、長期の旅行並みの荷物になった。
「一体どこに行こうとしてるの?」
と旦那さんに呆れられてしまった。
今時の病院にしては珍しく、Wi-Fiはないので、データを送る時はiPhoneのテザリングを使うことになりそうだった。

初めての長期入院。人生の経験値が上がりそうな出来事にまた遭遇してしまった。
入院生活については、次の投稿で書こうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?