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聞く「ちから」

朝早く起きて何気なく新聞を開いたら
「言葉のちから」というコーナーで
若林英輔さんという方がとても素敵な文章を書いてました。
(日経新聞2月10日P31)

『振り返ってみると、大学や職場でも話す訓練は
多少なりとも行ったが、聞くという営みを深化させる
ことはほとんどなかったように思う。』

という文章からスタートし、

『人は思ったことすべてを語ることはできない。
すべてを語れたと感じるとき、省みてみるべきは
「おもい」の深さと浅はかさかもしれない』

と続きます。

また、語学力、語彙力、表現力などの学力でよく測られる様々な能力は「力」。その「力」には積極的で能動的な響きがあるけど、『聞くこと』において求められるのは単なる能力ではなくて創造的で受動的と呼びたくなるような「ちから」で、他者とのつながりのなかでのみ起きる。とありました。

表現も伝える言葉を見つけたくなるのも他者があってこそというような気もしますが、筆者が伝えたかったことはきっとそこではないのでしょう。
聞き上手よりしゃべり上手が評価されがちですが、聞くということの奥深さは単なる「傾聴力」とはまた違うものがあって、そこにもう少し光をあててもよいのではないかというようなメッセージを感じますしそこにはとても共感します。

先週は飲食部門のリーダー向けリーダー研修を2回実施しました。


まず一つ目のポイントは、リーダーの役割は「安心できる環境をつくる」ということでした。

こんなこと言ってもどうせ無理という諦め。
できない、と思われたくないという隠れた感情。

そんな諦めやできるできないではかられる場には安心して語ることも居ることもできなくなってしまいます。
でも多くの時間をその「はかる」世界のなかで過ごしてきた私たちにとってはその感情があちこちから湧き上がってくることを一つ一つそうじゃないかもしれない、に変えていくことが繰り返し必要です。無意識なので厄介です。

安心して話せる場をつくる、そのベクトルのつくりかたにはマニュアルはありませんが、こうした聞く「ちから」はその一つなんだろうと思いました。