一者択一(いっしゃたくいつ)
自分のために綴るnote。
最近なんとなくモヤモヤしてるんだけどその理由が漠然とし過ぎてて自分でもよく分からないyumiigoです。
いや、そりゃ悩みは誰かに話せるのが1番。
その相手がピント外れの助言してこようが関係なく、アウトプットできた事実だけで心は軽くなるものだ。
そうは思うけれど、誰に話すかも慎重にならなきゃいけないし、アウトプットするってことは大なり小なりリスクを伴う。
あとはタイミングもあると思う。
自分にとって良いタイミングを見計らったところで、相手にだって都合がある。
私が今悩んでいて今吐き出したくても、状況的に吐き出せないこともある。
ああ、もどかしい。。
そもそも今の私のこのモヤモヤは悩みと呼べるものなのか。
気持ち的にモヤっているが、それが言葉にならないのだから、話そうにも話せない。
考えても不毛なことを今悩んでるのかも…
冷静に振り返ってみると、最近の私は"間"を考えていることが多いかもしれない。
"タイミング"というか。
思いついた言葉を即口にしない。
メールの返信もすぐが良いのか、間を空けるか考える。
それが幸をそうしたこともあれば、反省することになる場合もある。
一時期は逆に意識的に考えずに、思いついたらそのまま口にするようにしていた時もあったんだ。
反射的に思いのままを言葉にするというのは、意外とストレスを溜めずに過ごすことができる。
ただそれは私の性格上、過ぎたことやどうにも出来ないことは悩んでも仕方ないと割り切れるので、頭を通さずリアクションをとる行為はその後わたしの記憶に刻まれずに過ぎ去る感覚になるのでなんだか物足りない。
いちいち一度頭の中に留める行為はストレスになるけれど、色んなシチュエーションを予測して言葉を選んでみたり表現方法を工夫してみたり相手の反応が気になるので記憶に刻まれるのだ。
私は自分に負荷をかけると分かっていながら、あえて自分の中に言葉を一度留めていることをむしろ好んでいるのかもしれない。
"何か"をそこで考えたいのだ。
ということは、自発的にモヤモヤを生み出してることになる。
んー…そう言葉にするとなんだか納得がいかない。
モヤモヤせずに済むならそれに越したことはないと思う私もいるからだ。
モヤモヤしたい訳じゃないはず。
とりあえず今のこのモヤモヤの正体を考えてみる。
今、私は決断を迫られている。(いや決断はしてしまったから過去形にすべきだったかも)
選択肢は提示されていた。
二者択一だ。
期日も決められていて悩める時間はあった。
でも答えは決まっていた。
迷う理由も見つからなかった。
自分の意思で選んだつもりの選択。
けれどよく考えると、私に選択肢は与えられたように見えて、与えられてなかったようにも感じた。
環境がもう一方を選ぶことを許さなかったんだ。
色んな角度から考えても選択は変わらなかった。
やらなければならない仕事を今手放すことは出来ない。
自分の生計、プライベートなことも踏まえてももう一方は選ぶことは出来ないのだ。
トータル的に考えれば考えるほど、選択肢はひとつしかなかった。
ただ私自身だけが、選べない選択にこだわりたい気持ちが拭えなかった。
モヤモヤはそこにあった。
すべで投げ出してそっちを選びたい。
その先になんの未来も見えないのに。
人生の大きな岐路の選択。
これは本当に自分の意思で選べるものなんだろうか。
自分で選択しているようにみえて、本当はこの世界に決められているような気さえしてきた。
結局は世界の法則の中の1つの決められたピースとして、私はハメられているだけなのかもしれない。
私は結局未来が容易くイメージできる方、つまり私は環境に逆らわない選択肢の方を選んだのだ。
環境に逆らうことない選択をする私。
まさかそっちを選ぶとは!という破天荒ができない自分を受け入れなければ。
自分で決めたんだと。
私が守りたかったものは何だったのか。
私はそれを選んだ自分を嫌わないようにしたいのだ。
だからそれを突きつめてみるべきなのかもしれない。
いずれにせよ、この世界の中で私はどこまで自分というピースの人生を楽しむことが出来るかが大事なような気がしてきた。
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