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生きる意味を

自分のために綴るnote。
最近、人生迷走中のyumiigoです。

イレギュラーな仕事は、自分にとって仕事って何なんだろうって客観的に考える機会ができていい。

与えられた仕事は一生懸命やるけれど、正社員とはいえ私がやってる作業よりも、飲食店でアルバイトでも配膳の仕事をしている人の方が、よっぽど人を笑顔にしてるし幸せを運んでる価値のある仕事をしているような気がしてしまう。

アルバイトより正社員の方が福利厚生、社会保障、給料だって全然違うのは分かってるけど、私は自分の仕事に虚しくなってしまう。

私、何しているんだろう。。
仕事はその人の丈にあったものが与えられてると思うと、私にはスキルも得意なこともなくて、自分に価値が無い気さえしてくる。

月と金星

"生きる意味"なんて無いという人もいる。
"生きる意味"があるという人もいる。
"生きる意味"をずっと探し続けている人もいる。

私はどれも"あり"だと思う。
生きるモチベーションになるのであれば、それでいい。

生きる意味があると信じようとして、見つからなくて生きる意味を見失うなら、生きる意味なんて無くていい。それでその人が笑顔で生きられるなら。

生きることに意味なんかないって言われて、生きる気力を無くすくらいなら、それを探して自分だけの意味を見つけるために前向きに生きたっていい。

とにかくマイナスの気持ちに向かわなければいい。
生きる意味が見つけられなくて自分が生きる意味が無いって生きる気力が無くなるような。
(ああ、それって最近の私の思考だった、、)

私は中学生のときに夏目漱石の「こころ」の感想文に
"私が主人公の傍にいたとしても、自ら命を絶とうとする彼を止めることが出来ない気がする"
と書いたことがあった。

それがずっと心の底になんとなく違和感としてあった。
どんな理由があっても命を絶つことは止めるべきじゃないかという正論らしい言葉にも頷くこともできない。
でも止めたい自分がいて、それなのに止められるだけの理由が自分の中に見つけられないことが気持ち悪かったんだ。

"これだけのことがあったら仕方ないよね、自分だってその立場だったらその選択をするよ"
という思いがジャマするからなんだけど、その理屈がとにかく気に入らない。

でもそれを畳みかける納得の反論が見つけられないまま。
長い間、読み返してもいない夏目漱石の「こころ」の内容すらうろ覚えなのに、その自分の感想文の1文だけがずっと心に引っかかっていたのだった。

けど本当に最近になって、ひょんな所で一気にその違和感が晴れた。
私が好きで見ているYouTubeだ。

精神科医の先生が
「自ら命を絶とうとするのは生物として有り得ない、脳のバグでしかない。だから精神科医の自分はそのバグを取り除くために全力を尽くす」
というようなことを、ハッキリ言い切っていたのだ。

そんな単純明快な答えに、私は清々しくもスッキリとして、あぁそうかと素直に納得した。
動物はみんな理屈なんかなく生きるのが当たり前だもんなぁ。

自分の生きる意味を確立して進む人も、
自分に生きる意味が見つからなくても、周りの人達に望まれて生きる人も尊い。
意味を探して生き続けることも。
みんな生きることに一生懸命だから。

最近ずっと迷走しているって言ったら、それはいいことじゃんと言われた。

結局、そういうことなんだなぁと思ったんだ。

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