私の居ない世界
自分のために綴るnote。
爽やかな朝にゴミ出しすらも機嫌が良くなってしまったyumiigoです。
心地好い季節なんだなぁ…
ゴールデンウィーク後半初日、ノープランで始まり平日と変わらないルーティンの朝。
中3日は普通に仕事をしていた。
私の周りはみんな割とそんな感じだった。
後半の休み4日は何をしようかなあ。。
新生活も1ヶ月を過ぎれば割と馴染んでくるもので。ガラリと変わった私の新生活もそれなりにペースが出来てきたような気がする。
いつからだろう、自分の中の意識も随分変わったんだなと気づいた。
一人の時間を楽しめるようになったのは大きい。
以前の私は一人の時間を楽しむ余裕が無かったし、自分の居ない世界をネガティブにイメージしていた気がするんだ。
かつては誰であっても私のいないところで私の事を思い出して欲しくないと思ってた。
話題にされたくない。
勝手なイメージで私を語って欲しくないと思っていた。
友達の夢に出てきたなんて聞かされると、笑いながらもその人の夢の中の私なんて気持ち悪いドッペルゲンガーみたいだと心の中で思っていた。
当時は私が居ない所で出てくる自分の話題が良いものだとイメージできなかったんだと思う。
でも周りにそんなこと言ったって仕方ないことだと思っていたので心の中でモヤモヤしているだけだった。
集団やグループから自分だけ席を外すのも少し躊躇う気持ちがあったように思う。
自分がいなくなったら、みんなが喜ぶんじゃないか。あの人が居なくなってスッキリしたなんて思われているんじゃないかと疑心暗鬼な思いがあった気がする。
邪魔とまでは言わないが、ただ自分がそこに居ると気を使われていることを強く感じるのだ。
そんな周りの気遣いをプラスに捉えることができなかった。
最近、高校時代の友人から連絡を受けたんだ。
その友人は近々、高校時代の友人数人と食事する機会があるとのことで、聞けば参加者は全員私も知っているメンバーだった。
私だけ距離がある遠方なので私には声がかからなかったんだろう。
そこで私がこの4月から仕事場が変わったことをみんなに報告してもいいか?と律儀に聞いてきてくれたとのこと。
私はそれに対して、自分が居なくても自分のことを気にかけて話題にしてくれるなんて有難いなあと思った。
そんな自分の穏やかな感覚にあとから自分で驚いた。
以前の私なら、その食事会に自分が参加出来ないことにがっかりして、私のいない所で私の話などされたくないと思っていたと思うんだ。
(いや、確かに今回も参加できないことは残念だと多少は思ったけど)
律儀な友人は本人のポリシーとのことで、私の仕事環境の変化はみんなに伝えたいが、身体のこと(年明けに私が手術したこと)は勝手に話すことはマナー違反だと思っているとのことで、でも仕事のことも本人の許可を得たいと思ったんだそう。みんなに伝えるのは仕事の話題のみにするよと言っていた。
彼女の気遣いは有難いが、集まるメンバーには既に私から手術したことやらは個別に伝えたりしていたので、そちらも問題ないよとお礼を言いつつ返信した。
そんな長年の友人だが相変わらず私と価値観が全然違うので面白い友達だよなとも同時に思った。
そんなこといちいち聞いてくる人など私の周りに他にいない。
いずれにせよ、私は自分の話題をされることを有難いと思った。
それは新しい自分の感覚だと思った。
なぜそんな思考になったのかといえば、私の捉えるこの世界の認識が前とは少し変わったからだと思う。
現実、私のいない世界は良くも悪くも誰も私に無関心、というかみんな自分以外に興味は無いだろう。
単純に私がそこにいなくても、あ、居なかったんだというくらいの感覚の人が大半だと思う。
自分がいない所で私の事をなんか言ってるなんて想像すること自体が自意識過剰だ。
そこまで他人の中に私の存在はないし、みんな(私も含め)自分以外にそんなに関心は無い。
それはガッカリすることではなくて、だからこそこの世界で適度な距離感で適度な無関心さで私はこの世界を自由に一人で立ち回れるんだと思った。
私の今いる世界は割と快適だと思う。
そこに私が居ても居なくても。
ぜんぶ私の世界でしかないのだから。
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