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情熱と異能の人

そんなにがんばってもらっちゃ困るんだよな
今までこれでいいって言われてたのに
これじゃ俺たちがさぼってたみたいじゃないか
ひとりだけいい子ぶるのはやめてくれよ
#ジブリで学ぶ自治体財政

卓越した能力や熱い情熱を持ち、持てる限りの力を尽くして懸命に仕事をしたのに「あなたにしかできない仕事をするな」と言われる理不尽。
私たち公務員の世界ではよくある話です。
語学の得意な職員が来庁者を案内する、ファシリテーションが得意な職員がワークショップの進行を任せられる、あるいはダンスや歌、コスプレが好きな職員がイベントで自治体のPRのためにその特技を披露する。
その職員個人が持つスキルの活用で今までにない仕事の成果が得られる場合に、最初は歓迎されますが、あまりにも公務員離れした素人裸足の才能を見せつけられると、なぜかとたんに「そこまでやる必要があるのか」「それは公務員としてやるべきことか」と手の平を返すのが我々公務員の悲しい本性。

先に掲げたような特に目立つ才能でなくても、前例のないことに挑戦し、職員個人が持つ能力や熱意で課題の壁を突破した場合にも時折「あなたにしかできないことをやるのは組織的ではない」「異動した後に後任ができるようにするのが組織だ」と言われ、その取り組みそのものを「属人的な仕事」という言葉で片付けられることがあります。
組織から仕事を与えられたときに、その成果を出すために自分の能力を活用することは当然のことであり、そういう意味で仕事は常にその人の能力に左右される「属人的」なものなのですが、私たち公務員の世界では時折、出る杭を打つ趣旨でこのように卓越した才能や情熱を「属人的」と揶揄してしまうのです。

「属人的」という批判は「個人のスタンドプレイだ」「チームプレイになっていない」という趣旨で用いられることが結構あります。
確かに熱い思いや高い個人的なスキルは組織で分かち合うことができず、その活用で成果を出すためには常にその職員個人に依拠してしまうため、「余人をもって代えがたい」仕事になってしまい、人事異動や担当の変更といった組織内部の事情に対応できない構造であることから、個人のスキルに過度に依存する仕事のやり方は組織としてはあまり好ましくないと考えるのでしょう。

実際にこのような「情熱と異能の人」は周囲の職員から必ずしも歓迎されておらず、よくこのようなタイプの人のありがちな「自分だけでやる」のではなく、周りの人をきちんと巻きこんで、目的や方向性、判断基準などを共有し組織の中に埋め込んで行くこと、それに関わる事務処理や手続などをしっかりと書類やマニュアルとして整備し引き継がなければならないという意見も根強くあります。
これは、「情熱と異能の人」がいなくなったあと、後任となった職員の情熱や異能の有無や程度に関係なく、結果が同じになるような仕組みを遺していくことが大事だという考え、自分だけできても仕方ない、仕組み化して組織全体のパフォーマンスをあげることに貢献していくことが必要で、結局組織で働くとはそういうことだ、という考えに立脚しています。

確かに情熱や異能はそのままでは承継不能です。
しかし、だからと言って、その情熱や異能を活用することなく、前例踏襲でこれまで通り誰にでもできるレベルにとどめておくことを市民は望むでしょうか。
情熱や異能による改革を承継するためには、組織でそれを受け止め、どうすれば改革の効果を持続させることができるかをケースバイケースで考える必要があり、それはマニュアルとか引継ぎ書のレベルではありません。
また、継承できるように努力するのは情熱、異能の人個人だけではなく、その能力に依存して事業を推進している組織自体が負うべき責務。
異動時に引き継げないのは成果を上げることについて個人に依存しその持続可能性を組織として考えていないから。
適切な補助要員をつけて情報や人脈を共有しておく、事業立ち上げ時とは異なる事業維持マネジメントに必要な人材を配置するなど、組織としてやるべきことはたくさんあるのに、それをしないでただ承継できないから「属人的」と切り捨て、これまで成果を上げてきたはずの情熱と異能の人本人に事業承継できないことの罪を負わせてしまうことは許されないと思うのです。

属人的な能力を発揮して組織の課題を解決することは何も悪いことではなく、それが組織に承継されない理由の多くは組織側のマネジメントの問題です。
組織の一員として仕事を「させる」のは管理職をはじめとする組織側のマネジメントであり、情熱と異能の人の仕事ぶりを見て足りないものがあれば指導し、助言し、時には命令すればよい。
個人行動が多いなら二人で行動するように指導する。
記録やマニュアルを残すように指導するか、組織的なサポートをつける。
異動原案作成の際には後継者が育つ、事業が安定するまで異動させず留めおく。
いずれも情熱と異能の人が自らできることではありません。
すべての仕事はその仕事を担当する個人の能力とやる気に依存しており、そういう意味で全ての仕事は属人的。
それを組織のものにするのは組織側の努力によるのだという立論がほとんど行われず、属人的な仕事がうまく行った時はおこぼれに預かり、うまくいかない、引き継がれないときには担当者個人の属人的な行動のせいにする。
あるいはそうならないようにそもそも個人の能力に応じた挑戦的な行動を認めないという組織風土はもっと問題視されていいと思っています。

そもそも前任者が情熱や異能で顕著な成果を上げたからと言ってそれをそのまま続ける必要もないと私は考えています。
全ての人が自分の能力とその時点で周囲にいる人たちの協力を結集してベストを尽くす、自分らしさを活かした「属人的」な仕事をすればいいし、それが市民の幸せにつながれば手段は問われないと思います。
属人的な能力による問題解決が継承されないことは非難されるべきものではなく、次の世代の者たちがそのメンバーの持つ属人的な能力を発揮してその時点での問題解決に当たればよいのであり、過去の方法や成果と比較されるべきものではありません。
前任者ができたことを後任者ができなくてもそれを責める必要はなく、新たにその席に座った人間が自分の力で頑張るだけなのです。
課題は日々変化するしその対応も日々変化します。
その変化に対応できるように我々組織も変化し、メンバーも入れ替えて新風を吹かせているのですから、先人がその情熱と異能で築いた素晴らしい成果をただ守り通すことだけがすべてではないと割り切り、今の自分たちだからできる仕事を、自信をもってしっかりやればいいのだと思います。

これは組織内での横並び意識にも同じことが言えます
例えば複数の支所、出先機関がある中で一つの出先がサービス改革に取り組もうとしたときに、「その改革が実現すると、なぜそこだけで新たなサービスをやっているのかという話になるので、すべての出先で同じレベルのことができるようになるまでサービス改革そのものを開始すべきではない」という悪平等の議論に引っ張られ、いつまでたってもサービス改革が進まないという話。
市民が聞いたらなんて思いますかね。まったく笑止千万です。
公務員の中で仕事のやりがいを感じることができないと嘆く人の中には、このように不毛な仕打ちを受けて傷ついている人、あるいはそうならないように爪を隠している異才の人がたくさんいることと思います。
しかし皆さん、自信をもって「属人的な仕事」をしましょう。
あなたが今やっている仕事は、あなたが持っている能力のすべてを費やして全力で取り組むことを責務として与えられたもの。
誰が何と言おうとも、あなたにしかできない「属人的」な仕事なのですから。

そしてすべての管理職の皆さん。
情熱や異能の人の卓越した仕事ぶりを「属人的」と切り捨てずに活用し、その成果を組織として承継する寛容で貪欲な度量が組織マネジメントには不可欠です。
多少不揃いでいびつな人材でもその良さを認めて伸ばす寛容さ、そして何かものにしてやろう、こいつの能力を組織に還元してやろうと活用を企てる貪欲さ。
この寛容で貪欲な度量が、次なる情熱や異能の人を産み、組織の器を育てます。
組織の長がその度量を広げ、組織の器を育てなければ、器にきちんと入りきれない、並びきれないふぞろいの林檎たちは行き場を失い、ある者はその場を去り、ある者はその角を丸め、横一線に並ぶ凡庸の中に溶け込んでしまうでしょう。
情熱や異能を備えた人材を活用する機会を失う「人材喪失」は、誰のもたらしたものか。誰にとって都合の良いものか。
こんな悲しい「人材喪失」が起こるお役所組織の実情について、市民に対して説明ができ、理解を得ることができるのか。
皆さんのご意見もいただきながら、もう少し考えを深めていきたいと思います。

★自治体財政に関する講演、出張財政出前講座、『「対話」で変える公務員の仕事』に関する講演、その他講演・対談・執筆等(テーマは応相談)、個別相談・各種プロジェクトへの助言・参画等(テーマ、方法は応相談)について随時ご相談に応じています。

★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。

★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。

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