寺山修司における【父の不在・母の呪縛】
年譜的な事実をいえば、警察官であった父・八郎は昭和二十年、寺山修司が九歳のときに戦病死している。母・ハツは昭和五十八年に寺山修司が四十七歳で死去したときも存命であり、告別式の喪主であった。(しかし「わたしは知らないよ。修ちゃんは死んでなんかいないよ!」と言って、出席していないという)。中学生のときに大叔父に預けられて以降、母とは離れて暮らす期間が長かった。
昭和二十九年、「短歌研究」主催の第二回五十首応募作品でデビューしたときの連作「チエホフ祭」の中の一首。「チエホフ祭