見出し画像

暇と退屈、向き合うには魂の声を聴け

日々に忙殺されている
忙しく過ごしているうちにどんどん時間が過ぎている
単調な毎日でマンネリ化している
なんだかつまらない

こんな感情を持っている方も少なくないのでは?
これらはみな、実は同じ悩みで、
本質や悩みのもとは共通しているというお話です。
大切なことを忘れがちな自分のため、備忘録として残すことにしました。


日常の奴隷が「暇と退屈の倫理学」と出会う

毎日仕事をして、迎えに行って、ご飯を作って寝るの繰り返し。
この生活の先に何があるのか、何もないのか。
いつまで続くのか。
私もそんな気持ちになる事がありました。

そう思うと料理もつまらなく、食事も味気なくなってしまい、
自分の食事を食べるのも苦痛になりました。

そのような気持ちに答えた本があります。

広告や娯楽、モノや情報にあふれた現代社会では、
自分が本当に好きなことがわからなくなっています。
忙しい、暇がないからできないと言いながら
本当はそもそも何が楽しいのかわからない。
労働者の暇が奪い取られている状態です。
暇や退屈とは何か。
暇の中でいかに生きるべきか。
退屈とどう向き合うべきか。
という問いに答えます。

暇と退屈とはどこからきているのかを生物学的、歴史的に振り返り、
哲学から倫理学に発展して論じています。
退屈は自分が無意識的に選び取っているもので、
「忙しい忙しい」と言い訳しながら
実は望んで日常の仕事の奴隷になっていることに気づきます。
このような自分の生活を顧みたとき、
ひとつの観点を思い出しました。

楽しむための訓練と魂の声

「魂を喜ばせる」
素の自分の声を聴こうというお話です。

魂が揺さぶられている、本当の自分の気持ちに集中し、
自覚的になるには訓練が必要。
暇を消費するのではなく、浪費して自分のものにするために
本当に自分にとっていいことは何なのかを感じること。
この感覚を身につけよ、という観点です。
voicyをきいてしばらくこの視点を大切に過ごしていたはずなのに、
また忘れていました。

素晴らしき浪費家になる

この本では、
人間であるとは退屈に向き合って生きることを意味する
と述べられています。
先にある何かではなく、
今生きている自分に向き合う。
生きている感覚、自分の今向き合っている毎日と日常にコミットする
自分自身に集中すること。

美味しい、空がきれい、子供の動きが可愛らしい、
上手に歌を歌っている、
旦那が帰宅して話をすると少し気持ちがすっきりする、
たまにドラマを見たりスポーツを見たりして興奮する。
日常の中で自分の魂が動く感覚に向き合うと、腑に落ちるのです。

なんだ、これが人生そのものじゃないか。
こんなに退屈で、そしてじんわりとあたたかい。

搾取される感覚に陥っている方、
人間と暇の関係に興味を持った方、
人生について考えたい方、
「暇と退屈の倫理学」ぜひご一読ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?