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フリーライド問題は自分の中の不平等感と向き合うきっかけ

きっかけは、何かの拍子に目にしたTwitterのひとことでした。
当直しないママ女医は男性医師たちにフリーライドしている
自分がフリーライドしているつもりがなかったので、
ドキッとしました。
(正確に言えば私は当直はこなしているので「フリー」ではないけれど)

「フリーライド問題」はここ数年で形を変えながら
多くの業界で、多くのコミュニティで
主に相手を批判するときに使われてきた言葉です。
ややいまさらですが、自戒を込めて、
フリーライド問題について考えました。

そもそも「フリーライド」ってなんだ

フリーライダーは本来「ただ乗り」という意味で
「公共財」やサービスを考える時に使われる言葉でした。
その特徴は
・「非競合的」:だれかが利用してもそのサービスやリソースが減らない
・「非排除的」:対価を払わない人を利用できないように遠ざけることができない
ことで、対価を払わずにサービスやモノを享受していること、だそう。

ここから派生して、
・高い給与をもらっているのに仕事をしない上司
・手柄を横取りする同僚
のように、人の成果にただ乗りする人をフリーライダーと呼ぶようになりました。

最近のフリーライド問題

いろいろなコミュニティで「フリーライド」という言葉が出てきています。

例えば家庭内。
家庭の中で家事育児を妻に丸投げし、
妻側はキャリア形成をあきらめざるを得ない…
夫が生活の維持自体を妻にフリーライドしている状態です。
こんなちょっと怖いお話もありました。
#534 フリーライド問題と育児と介護 | oishi haru / 尾石晴「学びの引き出しはるラジオ」/ Voicy - 音声プラットフォーム

冒頭に紹介したような職場内。
ワーキングマザーの急な欠勤を穴埋めするのは若手ばかりで
決まった人に時間外勤務が偏ってしまう、
ワーキングマザーの急な欠勤を作り出しているのはそれをフリーライドしている夫側の職場だ…
あちらこちらでフリーライドです。

もはや私の理解を超えていますが、
妊娠しないことを選択する人(たち)は
将来の社会を支える存在を産み育てないので
フリーライダーだ、という言い分まであるそうです。

それもはやフリーライドとかじゃないんじゃない?

だいぶ離れちゃってる、と私は思うのです。
定義が変わってきちゃっている。
享受するモノが「非競合的」、とか当てはまるのか?
私が持ってきた定義が違うのだろうか…

私には違うもののように思えます。
最近の「フリーライド」は、不平等感が前面に出ていますし、
だいぶ広い意味に使われているようです。
多くの人がこの言葉を使うようになって、
攻撃的な利用法も目立っています。

「フリーライダー」は本当にコストを払っていないのか?

「コストを払わずに」=フリー なので、
本当にその人がフリーライダーなら
払うべきコストを払っていないということになります。
上に挙げたいくつかの例は、本当にコストを払っていなさそうです。
例)夫側の企業が妻側の企業の支援制度にフリーライド

しかし、コストが何を表すのか、
一元的に決まっているわけでもなさそうです。
金銭なのか?時間や手間暇なのか?
仕事内容なのか、勤務条件なのか?

「コスト払え!」という人が何を求めているのか、というのも
おそらく人によって違うのでしょう。
労働時間を減らしてほしい人もいれば、
休みが欲しい人もいる、
しっかりお金をもらえれば文句ない人も中にはいるでしょう。

払っている対価をオープンにしたら、
実は裏で負担の高い仕事を引き受けている
ワーキングマザーもいるでしょうし、
残業代の比率が小さく金銭面で負担を負っているかもしれません。
家庭内フリーライド問題では、
ごみ捨てと風呂掃除を本気で重要な対価と考えている夫も
いるかもしれません(同意はできかねますが)。

人の負担やコストなど他人は測れないと思うのです。

本質的に、とにかく不平等感が問題だ

「あの人フリーライドだ」と思った時、
それが自分の中の何の不平等感からきているのか
分析するチャンスにすればいいのだな、と思いました。

その相手のフリーライドを糾弾するのではなく、
自分の要求や不満を明らかにするチャンスなのだと。
自分が不当に負っていると感じる負担は何で、
何を享受できれば心が穏やかになるのか。

特に家庭内は、会社内よりは是正するステップが小さいです。
週に何時間かの一人の時間が欲しいのか、
便利グッズを増やして家事を楽にしたいのか、
家事を外注すればいいのか、
本当は思いっきり働きたいのか。
まずは減らしたいコストと受けたいサービスを明らかにして
共有しなければ、「フリーライド問題」の同じ土俵にすら立てません。

職場にも、自分の大きすぎる負担と希望が明らかになれば、
それをもって交渉に進むことができると思います。
転職や副業を考えることで解決するかもしれません。

フリーライドは助け合いにはならないか

おそらく、コミュニティの土壌が整っていれば
このよっかかりの応酬が助け合いに見えてくるのだと思います。
役に立ちたい、という
無理ではなく健全な気持ちで組織が成り立っていたら
「あちらこちらでフリーライドの応酬」
から
「みんなで助け合う精神」に見えてくる、ような気がします。

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