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「傲慢と善良」を読んで「婚活じゃない方」の考察

Voicyでひうらさとるさんがお勧めというので、
久しぶりに小説を読みました。
「傲慢と善良」は一人の男性の目線で始まります。
その男性と婚約者は、婚活で出会い結婚目前までこぎつけていたのに、
ある日忽然と消えてしまいます。
彼女と彼女を連れて行った犯人を探るべく、
彼女の過去を追っていく物語。

この本を読んで

  • 目の前の人を人はどうとらえるのか

  • 「善良」は人生のステージでどう変わるのか

について考えたことをまとめてみました。

この記事ではこれ以上詳しいあらすじやネタバレがありません。
この記事を読んで、
何を言っているんだかわからないけど面白そう、と思ったら
小説を読んでみてください。

人は人をどうとらえるのか

多くの人が人間関係に優先度をつけている

この小説では、結婚や恋愛、友人関係、親子関係を通して、
「なんてこと言うんだ、そんなことそんなはっきり言っていいのか」と
思うほど、鋭く、残酷なほど的確に
現代人の現実や心理を描きます。
彼女を追う過程で主人公の男性が出会う人々は、
皆少しずつ残酷で意地悪です。
それが彼女の「善良」との対比であり、
読者の誰もが持つ残酷な目線を明らかにしてしまいます。

その残酷性のひとつが、「人間関係の優先度」だと思っています。
相手をどのくらい大切に思えるのか、
それを相手によって明確に変えて生きている人がいます。
自分の求める優先度と相手が自分を見る優先度が大きく違うとき、
人は深く傷つきます。

人を見ると無意識に「点数化」している?

優先度分けに一役買っている価値観が、「点数化」だと思います。
〇〇大学に行っている⇒●点
×歳で結婚した⇒●点
△△で働いている⇒●点
のように、自分のことも人のことも点数化してランク付けしてしまっている。
これを基準に相手の優先度を決める人もいるでしょう。

現代あるいは一昔前の社会において、比較的その傾向が強いと感じています。
「こうあるべき」の姿(=正解)のコンセンサスがあり、
住む場所や仕事、顔つきなどで人をランク付けできてしまう
婚活市場などでは、それらの情報も大いに参考にされているのでしょう。
短い時間で脈あり、脈なしの意思を示さなければならないことを考えると
それも必要なことかもしれません。
婚活でなく出会えば、「そうはいってもこの癖のあるところが好き」とか
「ダメなところがかわいく思えてくる」
ということもあるのかもしれませんが、
点数と最初の印象を覆すことがかなり困難なシステムのようです。

「点数化」やランク付けが傲慢を生む

このように
①    人を点数化して縦に並べて選ぶ
②    何人かの相手が横に並んでいるところから、
もしくは選択肢が一人しかいない状態で、性質を見て個性として検討する
という二つは根本的に違う発想です。
この小説の登場人物も、結婚において
どのように相手を選んだかをこの二通りに分けることができます。

人とのかかわりにおいて①のような考え方だけをしている人は
傲慢になりがちです。
そして「大恋愛」といわれるものは②のような考え方になったとき
生まれるものだと思っています。

人生のステージにおける「善良」の変化

「善良」を捨てて人生の舵をとる

小説の中で、親やまわりの期待に沿うことを優先させて
自立や冒険をしなかった結果、
「ビジョン」を持ち損ねて育ってしまうことが描かれています。
そしてこれが「善良」とされています。

私も子を持つ親なので、
親の言うことを聞いてくれる子を「善良」としてしまう
価値観をよく理解できます。

でも自分が成長してきた過程を振り返ると、
大学に入り、画一化した集団から少し脱出して、
ほとんど初めて自分と違う価値観を目にしました。
思えばこの時自分の道を考えたり、
そのための小ズルさを手に入れたりした気がします。
親や学校が与える価値観から脱し、多様な価値観に触れること、
失敗しようとも自分で選択と決定を繰り返すことで
ビジョンを持ち、自分の人生を選択する力がつく
のですね。

「善良」はどんな姿か

いつまでも親の価値観に従うことを、
この小説で真の意味で「善良」だと言っているわけではありません。
自分にもさまざまな悲しみやつらい思い出を抱えつつ、
自分のすべき価値を社会に提供する人々。
自分の意志でそれを選び歩む人々を、
真の「善良」として描かれている
ように思います。

ヒトは親、学校、そして社会(市場)へと取り巻く世界とともに成長する。
その過程をうまく乗りこなす人とつまずく人。
つまずいた時どうもう一度立つのか、その後どう歩いていくのか。
婚活だけでなく、人生の歩み方にひっかかりを作ってくれる小説でした。


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