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好きなことだけやるって決めた

そういえば、やりたくないことをやらなくなりました。
歳を重ねると、丸くなるというけれど、そうでもなくて、嫌なことは嫌だとはっきりお断りできるようになりました。
ひと通りのお役目を生きてきて、元の自分に戻れたような感じでしょうか。
妻として、という制限はほとんど感じたことはありませんが、制服を着て仕事をする時の役目とか、母親としての役割とか、その他地域やコミュニティでの大小様々なお役目を経験して、自分の在り方を問い直した時、我慢は自分も他人も不幸にすると思うようになりました。

我慢ではなくて、思いやりとか、愛から生まれる行動であれば、自分の魂も喜びます。少々の犠牲とか負担を引き受けてでも、やる意味や価値を自分が感じられるなら、それはやりたいことと認定されます。
そうなるまでには、自己犠牲も被害者意識も経験する必要があるようです。

戦わずして勝つためには、敗戦を体験して、いろんな気持ちを経験して、自分を鍛錬する必要があるのだと思います。
青い鳥は最初から家の中に居たと思えるようになるには、世界中を旅して、青い鳥を探す経験が必要なのだと思います。もっと早く知りたかったことはたくさんあるけれど、今だから出会えて、今だから気づけたのだろうなぁと思うのです。

好きなことだけをして生きるためには、人生のある時期、やりたくないことをやるという経験をする必要があるのだと思います。
新入部員が球拾いから始めるように、声を出すことから始めるように、最初から好きなことだけをするなんて、あり得ないんですけれど、昨今はいきなり花を咲かせようとするきらいがあるみたいです。
種を蒔いて、水を遣る。その前にその種はなんの種なのか。水をたっぷり必要とするのか、少なめでいいのか。蒔いた土壌の栄養状態はどうなのか。その種に合っているのか。
そして芽はいつ出るのか、花はいつ咲いて、実はいつ結ぶのか。
同じ種類の種であっても、きっと時期にズレはあるでしょうし、花の色だって果実の大きさだって、個体差があるでしょう。
自分の特性を知り、自分の本当に目指すところを知り、そのためにどんな戦略を立てて、どんな歩みをしていけばいいのか。
わかった上で、寄り道も回り道も後戻りもすべてOKと思えば、起きていることに、泰然と対応できるのではないでしょうか。

回り道をしてきたからこそ、これからは好きなことだけをして生きていきたいと思います。
繰り返しになりますが、難儀なことでもやりたいと思えばやりたいことです。
身体にいいことが、身体を甘やかすこととは違うように、楽ちんな道が歩きたい道ではないということです。
最期の瞬間まで、好きなことを諦めないで生きていきたいと思っています。


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