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出産するとキャリアは止まるのか

第一子を妊娠したとき、大きな幸せとともに大きな葛藤が訪れた。

子が生まれるのはうれしい。たのしみだ。
だけどフリーランスになって3年目、このタイミングでキャリアを止めることになるのか。

不安だった。
いつからいつまで働けないのかよく分からないし、会社員はだいたい一年ほど育休を取るらしいけれど、フリーランスの私が1年も休むのはリスクだ。1年の休暇が向こう5年に影響するかもしれない。そもそも育休手当なども当然ないので、休む限り無給というのも恐ろしい。

とりあえず大きな案件ほど早い時期に外れた。
私が望んだ。
無理ができないときに責任を負うべきではないと思った。今私が預かっているのは人様の命なのだ。自分じゃない命の責任を負うというのは、なんと恐ろしいことだろう。他の責任なんて負えそうにない。

大きな案件を外れてからはしばらく落ち込んだ。
なんで私ばっかりと思った。
同じ親になるのに、なにも失わない夫をうらめしく思った。


産んでしばらく経っても、その気持ちは時々めきっと現れて私を苦しめた。
目の前の子どもは無条件に愛しくて、ありえないほどかわいい。だけど睡眠時間も体力も、これまでの限界をゆうに超えた。仕事に関しては結局、出産月とその翌月しか休まなかったから、毎日の睡眠時間は仮眠をかき集めても5時間ないくらいだった。

産後4ヶ月目くらいがピークだった。毎日泣く息子に泣いて、仕事をしても全く集中できなくて泣いて、いびきをかいて寝ている夫がうらめしくて泣いて、翌日があっという間にくることに泣いて、かと思えば寝かしつけにかかる時間は永遠みたいに長くて泣いた。

辛かった。苦しかった。
すこやかに働く人を見たくなくて、テレビを見ずに外にもなるべく出なかった。今思えば多分ちょっとキテたと思う。

なのに。
あんなにも辛かったのに。
なぜだか振り返ったときに思い出すのは、不思議と愛しさばかりなのだ。辛かった4ヶ月目頃の記憶すら、きっと楽しめたはずなのにもったいないことをした、くらいにしか思っていない自分に驚く。あんなに四六時中大変だったのに。



キャリアというものが山のような形をしていたとして、今の私はひと休みしている、もしくは崖崩れにあってトラブル対応中、みたいな状況かもしれない。だけど「そもそも私は山の頂上を目指すのでいいんだっけ?山はこの山でよかったんだっけ?」をイチから考える機会になっている。

今、私はキャリアの山を再構築中だ。自己を見つめ直しながら、子育ての時間をたっぷり確保できる形でカスタマイズを図っている。

現時点でひとつだけ分かっていることがある。
今の私は、山登りを休んでいるかもしれないけれど、山を登る能力が落ちているわけではないということ。

長くお世話になっているメディアの編集長から、出産報告時にこんな言葉をもらった。

戻ってくる場所がここにあるのだから、焦らずに、これまでとは違う時間を積み重ねてくださいね。その時間も経験も、結果、書く力につながっていきます。

出産経験を経験しなかったら、こんな素敵な言葉をもらえることはなかった。この言葉のうれしさを知ることもなかった。
人生のステージごとに、きっとそういう出会いはあり、そのたびに自分の中にまた新しい表現が生まれる。それこそが編集とライターを生業とする私のスキルアップなんじゃないかと思う。

仕事の責任もボリュームも報酬も減った。だけど0歳児の子育ては今しかできない経験で、その経験は書く仕事にとって必ず武器になる。

だから私は自分のキャリアのために、感情と言葉を磨き続ける。そのために今は目の前の育児を優先する。楽しむ。悩む。傷つく。怒る。それらの感情ひとつひとつを眺めてみる。そんな風に積み重ねながら、こうして文章を書き続けていく。


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