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会社員を卒業し、フリーランスになったときの話


フリーランスになり、はや2年と半年が経過しました。
今日久しぶりにnoteを開くと「おめでとうございます、4周年です」との通知が。いい機会なので、わたしが独立ほやほやの時に書いた決意表明のような記事をリライトし、掲載します。お時間ある方はどうぞお付き合いください。

会社員を辞め、フリーランスになった理由

当時この記事を書いたのは、ちょうど会社に退職届を出し、社内通知も完了し、あとは有給消化だけ、というタイミングでした。 

もともと、前職に入社する際わたしは「この会社で3年くらい働いて、編集スキルを磨いたのちにフリーランスになろう」という志を持っていましたが、おそらく2年半くらいで辞めました。

開業準備って何?働きながら準備とか無理だった。


当時は会社で働きながら、色々と準備をして独立しようと思っていました。会社員として働きながらもフリーランスになるために準備できることは無数にあり、働きながらコツコツ準備できる人間に憧れていましたし、わたしならできると思っていました。

おそらく入社当初はやっていたんです。だけど気付けば、会社で担当していた媒体が好きになり、上司にも恵まれて色々と任せてもらえるようになりました。わたし自身、任せてもらえることが嬉しくて楽しくて、どんどん自ら仕事を増やしました。気づけば、担当する媒体の成長=生きがいになっていたんです。

結局会社での仕事に120%の勢力をつかってしまい、結果として2年半、まるっきり準備は進みませんでした。 気づけば会社=居場所になっており、朝から晩まで仕事をし、仕事仲間とばかり酒を交わし、話す内容も仕事の話ばかり。会社のために本を読み、会社のために休日を過ごしました。いま思うと、フリーになるのが怖かったのかもしれません。

このまま一生この会社に尽くすのも悪くないなと思っていた矢先、転機と呼べるタイミングが訪れました。部署異動があり、会社の中でも大きめの組織に異動することになったのです。

それまで少人数でやっていた仕事から大人数で進める仕事ばかりになり、学ぶことも多い反面、確認や調整ごとが多く、組織で働く窮屈さを感じてしまいました。 「組織でうまくやるスキル」が乏しかったことにより、うまくいかないことが増える日々に、ああ自分は以前の部署だからやれていたんだなと落ち込みました。

そんな中でもフォローしてくれる同僚や先輩には恵まれており、それなりに少しづつは成長していたんだと思います。あるプロジェクトのリーダーを任せてもらえることになりました。

切磋琢磨している中、あるときから「うまく立ち回るスキル」を身につけて欲しいんだろうな、という雰囲気を上司から感じるようになりました。もちろん上司の立場に立って考えると当然の期待だし、色々と不器用なわたしを見ていて「楽になってほしい」という親心もあったんだと思います。

だけど全然うまくやれず、なにより問題だったのは、わたし自身が組織でうまくやるスキルを身につけたいと思えなかったこと。期待に応えたい自分と応えたくない自分の折り合いがうまくつけられず、めちゃくちゃ仕事が苦しくなりました。上司への申し訳なさも募っていきました。

申し訳なさ故に、頑張ってはみたんです。だけど苦手なものを克服する力が異常に低いわたしにはきつかった。だけど苦手なことにとことん向き合ったことで、色々なことに気づきました。

期待されている自分と、なりたい自分がかけ離れすぎている

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「期待されている自分となりたい自分がかけ離れすぎている」。

会社にとって「なるべき自分」は明確なのに、それを目指すことに過剰な嫌悪感を感じる日々が続きました。

そんな風に、なりたい自分以外を目指す日々が続くことで、わたしってなんで頑張ってるんだっけ?と疑問に思うようになりました。


なんのために、なにを頑張ってるんだっけ?

今なろうとしている自分は、わたしにとって「なりたい自分」なんだっけ?

「なるべき自分」になったら、未来のわたしは幸せなんだろうか?

これを乗り越えた先に、なにが手に入るんだっけ?


そういうことを毎日、考えては振り払う連続でした。だいたい「それも成長」「悩むのは努力が足りないからだ」「周りに迷惑をかけてしまうから辞められない」「逃げたいだけ。甘えだ」と、まるでダメ男と別れない女みたいに「頑張れ」を自分に言い聞かせて思考を遮り、また考えて遮り、の繰り返しでした。


そんな時、あるツイートが目に留まったんです。


はっとしました。いつの間にか、フリーランスになるという自分の目標を見失い、組織の期待に応えたい一心で、自分の感情を押し殺していた自分に気づきました。

「もう一度、なりたい自分をしっかり考えよう」

そう思いました。 このままじゃ、わたし、なりたくない自分になったときに会社のせいにしてしまう。

いろいろ考えてみると、いかに自分が流されていたかに気づきました。そしてわたしがなりたいと思うのは、組織の中でうまく立ち回れる自分ではなくて、自分の裁量で仕事をする自分でした。

ビジョンは定まってないし、どういう風に活動しようかとか、どこから仕事を得ようとか、全然なにも決まっていなかったし、不安だらけだったけど、だけど自分がいかに「会社にいながら準備」ができない人間かを思い知ったので、上司に退職の意思を伝えました。

 

タイミングは待つものではなく、つくるもの。


タイミングに気づかせてくれたのは、まぐれもなく会社です。苦手なことに限界まで頑張ってみたからこそ本心と向き合えたし、退職の勇気を出すことができました。

苦手でも頑張りたいと思っていたのは、会社と一緒に働いていたメンバーが純粋に好きだったから。そう思える会社で働けたことは財産でした。でも、最終的には自分の人生は自分で決めなければいけない。


そしていざ、開業を決めてしまうと、何もかもがとんとん拍子に進みました。「準備」なんて、1ヶ月もあれば十分でした。わたし1人が独立するくらい、そんなに準備するものなんてありはしないのです。しいていうなら、覚悟くらい。


実際に、辞めると決め、人に伝えてからの方が、何をすべきか・考えるべきかが明確になりました。できることからはじめ、ひとつひとつの仕事に向き合っていくと、いろんな方が評価や信頼をしてくれて居場所が出来上がっていきました。まぁでも結局、退職後に前職が3ヶ月間お給料と同じ額の金額でわたしを発注してくれてたからなんですけど。そのおかげで準備期間なしで、辞めた後すぐからずっと仕事がある状態をつくることができたわけなので、本当に前職には感謝しかありません。


あと、「立場を先につくった」ことで、周りから色々質問されるようになったのもよかったかもしれません。質問に答えたり考えたりすることで「ああ自分はこんな生き方をしたかったんだ」「こう思ってたんだ」「こんな人と出会いたいな」「今のうちにこういう行動をしておこう」など、やるべきことも見えるようになりました。


タイミングが来たら、それなりの時期がきたらフリーになろう。そんな風に考えていた自分が、どれほどふわっとしていたか気づきました。少なくとも自分は準備ありきの人間ではなかった。


タイミングなんて、待っていても一生こない。それは一生懸命今を頑張っているからだし、目の前のことを真剣にやっていれば、次から次へとやるべきこともやりたいことも降ってくる。見失う。


今は、なるべき自分ではなくなりたい自分を追いかけたい。

そんな気持ちで全力疾走しております。脳みそをなりたい自分のために使えるって清々しいな! これからも、清々しく生きていきたい。

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