親子

母親になる心の準備ができていなかった話

長男22歳、次男19歳。いつのまにか出産してからずいぶん長い時間が経って、息子たちは大人になりかかっている。

今の私は息子たちが巣立っていくことに戸惑っている母親だ。息子たちの存在が何ものにも代え難いということは、私が死ぬまで決して変わることはない。でも、彼らの成長や彼らの生活を近くで見ていられる時間は終わってしまった。

今でこそ「子供」「子育て」を熱く語っているが、昔の私は子供が苦手だった。子供って、理屈が通用しないし、汚かったりする(と、その当時は思っていた)。

女性はみんな赤ちゃんや小さい子が好きだと思っている人が少なからずいるようだが、実際そうでもないと思う。少なくとも私は小さい子が苦手だった。小さい子と接する機会が少なかったので、小さい子が苦手でも生活上困ることはあまりなかった。でも「小さい子が苦手」というのは女性として重大な欠陥のような気がして、ズルい私はそれがバレないようにしていたのだと思う。

では、なぜ子供を産んだのか。疑問に思われる点だと思う。それは、自分でもうまく説明できないのだけれど、小さい子が苦手なくせに、どういうわけか夫と自分の「将来設計図」に子供は必ず入っていて、そのことに対して何の疑いも持っていなかったのだ。だから、赤ちゃんができたとわかったときは、素直に嬉しかった。まわりの人たちが祝福してくれるのも嬉しかった。

ところが、おなかが大きくなって、出産が近づいてくるとだんだん自分が「子育てする」ことが怖くなってきた。

「私は、小さい子が好きじゃないのに、子育てできるんだろうか。『悪い母親』になってしまうのではないか。」

その恐怖心は、できるだけ見ないようにして過ごした。ベビー用品を揃えたり、マタニティ雑誌を読んだりしてできるだけ「ハッピーマタニティライフ」を自分で作っていた。でも、夜眠ると、赤ちゃんにミルクをあげるのをすっかり忘れてしまって死なせてしまう夢(ひどい夢だ!)を何回も見た。そして汗びっしょりで目が覚めるたびに、恐怖心に襲われたのだった。

恐怖心を隠したまま、出産の日はやってきた。恐怖心はどうなったのか。

・・・息子と対面した瞬間、あんなに悩まされていた恐怖心はどこかへ消し飛んでしまった!嘘のような話だが、これが真実だ。看護師さんが息子を私のところへ連れてきた瞬間、「なんて小さくて、なんてかわいいの!」と子育てに対する恐怖心は忘れてしまっていた。初めての新生児のお世話でいっぱいいっぱいで、物理的に考える暇がなかったこともあるかもしれない。でも、とにかく、おむつを替えたり夜泣きになやまされたり、お世話をするのは本当に大変だったけれど、ちっとも「嫌だ」とか「汚い」とは思わなかったのだ。息子はいつだってかわいくて、守らなければならない存在だった。(子育てがつらいと思ったことは沢山あるけれど、それは嫌悪感とは全然違うものだ。)

そして、自分の子供を育てているうちに、いつの間にか自分以外の子供に対しても前より優しい気持ちを持てるようになった。赤ちゃんの小さな手や足を見ると幸せな気持ちになるし、生まれたばかりの赤ちゃんの声はうるさいのではなくて、かわいい声に聞こえる。

私がこうなったからといって、子供が苦手な人全員が同じようになるとは思わない。でも、子供を産むと、親も多かれ少なかれ変わったり成長したりするのは間違いないと思う。どう変わるかは人それぞれ。

自分が子供が好きじゃなかったことを文字にして書くのは、自分の嫌な部分を晒す気がして、ハードルが高かった。読んだ人が「ドン引き」するかもしれないとも考えた。でも、同じようなことで今悩んでいる人に、こんな人もいるんだ、と思ってもらえたらいいな。

私の母は、私がちゃんと子育てできるか、内心とても心配していたそうだ。出産してからしばらくしてからこう言われた。

「貴女がこんなに熱心に子育てするとは思わなかった。いい意味で驚いたわ。」

子育てへの恐怖を隠していたつもりだったが、母の目はごまかせていなかった。そして、母がその時どんなに私のことを心配していたか、少しはわかるようになったようだ。




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