まだ眠りたくない夜に思うこと
フジ子・ヘミングさんのピアノを聴きながら、スマホをいじっている。パートナーはもう寝てるけど、わたしはまだ寝たくない。
今日はなんだか、たくさん記事を書いている。どうしてだろうか。なんだか文字にしたい気分なのだ。
明日はインタビューだなとか、キャンセルされちゃったなぁとか、今のラファはどうなってるんだろうとか、手話講座が迫ってきてるなとか。
いろいろ考えるけど、フジ子・ヘミングさんの力によって、気持ちを落ち着かせている。
わたしは幸せになったと思う。
精神的に悪化して、どうしたらいいのか分からない状態になったりはするけれど、それでも子どもの頃に比べれば、全然、楽だと思う。
思い返すと、辛い頃を乗り越えられたのは、いつも誰かがいてくれたからだと思う。
それは、人間だけじゃないけど、自分と「何か大切そうなもの」を共有できる存在。そういうものを常に認識できた。
孤独で、すごく辛かったときも、そういう存在に大事なことを教えてもらった。それがあるから、今のわたしがある。
それと、普通じゃないのが良かったんだと思う。
わたしは普通じゃない。それは子どもの頃から、何度も言われたことで、「普通じゃないから駄目なんだ」とそのときは思っていた。
でも、大人になっていくにつれて分かってきた。「普通じゃなくて何が悪いんだ」と。わたしは反抗してきたのだ、あらゆることに。抗うことが人生を切り開くことになった。
出会いやタイミングは偶然だけど、今の自分自身はわたしが勝ち取ってきたものの集まりだと思う。わたしが、ありたい自分になろうとして、得てきたものの集合体が自分なのだ。
わたしには、そういう生き方が合っていたのだろう。とてもじゃないけど普通にはなれないし、もうなりたいとも思わない。
子どもの頃を思えば、今はだいぶ幸せだ。何を選びたいのか分かるし、何が嫌なのかも分かる。そして、それに応じて選択できる。わたしの人生は、わたしが決めて、わたしが歩くのだ。そういう意思がある。
歳を重ねていくごとに、わたしは変化していってるけど、こういう意思は変わらないし、自分が積み上げてきたものに誇りがある。
わたしはわたしのすごいところを、一番よく知っている存在なのだ。
わたしは孤独にはならないし、やりたいことをやればいい。そう思える今が幸せだ。
みんな、ありがとう。
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