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まあるく柔軟に

今日日きょうび、男性とか女性とかって限定して言ってしまうと様々さまざま弊害があるというか良くないので、なかなか難しいところなのだが。
したならば、男性性(男性なるもの)女性性(女性なるもの)としてみよう。
生物学的に、また内面においても男性である人の中にも男性性と女性性があり、その逆の生物学的および内面的にも女性である人にも男性性と女性性がある。

で、その男性性が強い人って、年齢とともに、持っている思想のようなものが固まってくるように思う。
柔軟性がなくなるのだ。
あと、経験値からの決めつけが多い。

一方、女性性はまあるくて柔らかく、新たな思想や事がら、変化を、飲み込むように吸収し、内側へ溶け込ませていける気がする。
これまで築いたものが今適応しない、通用しないとなると、それを、固執することなく捨てることができる。

これまでのアイデンティティを捨てて、新しく「あ、違ったのね」と作り直すことができると思うのだ。

女性の性質が器によって変化し、水のように移ろうのは、時として弱さになってしまうが、その柔らかさは、男性の凝り固まったものより、しなやかで強かったりもする。
あ、男性ではなく男性性。

女性性とは「母なるもの」とも言えるかも知れない。
これは単純に子どもを産み育てる、または産み育てた母を指すものではなく、宇宙的な意味で「母なるもの」である。
生物学的かつ内面的にも男性である人の中にもあり、同じくその類いの女性の中にも、子どもがいるとかいないとか関係なくあるもので。



あーーーっ!

言葉を選び過ぎてわけわからん!

性性せいせいうるさいな。

セイセイセイセイ!
ソイヤソイヤソイヤソイヤ!

非難覚悟で言うと、

男性って頭かたならん?
考え方固まってこん?

女性はさぁ、柔軟よねぇ?
変なプライドみたいなんあんまりないから、時代や流れに応じて、まあるく順応していけることない?

そら築いてきたプライドっていうか、考え方、やり方みたいなんはそれなりにあるけど、違うなーって思ったら捨てられる。そこまで縛られない。

男性は、そら外で戦ってきて、叩かれて、己の信念みたいなんがつようなるわね。
それは凄いよ。素晴らしいと思う。

“男は敷居を跨げば七人の敵あり”

(男子たるもの家の外に一歩出れば、さまざまな敵がいる)

と言う言葉がある通りですよ。

そんなこと言ったら今は女性もがっつり働いてるから同じっちゃあ同じなんですけど。

それを言い出すとまたややこしくなるから困るんですけど。

時代は変化してますから。

人間の根本的なものは普遍だと思う。
この場合の人間って、小宇宙としての人間。大きく捉えた人間。
生命体のこと。
その根本的なものは普遍なのかしらって思うのよ。

その上で、時代は変化しますから。

まあるく柔軟でありたい。

じーちゃん(父)よ、夫よ、そこのあなた!

アップデートしてくれ。

邪魔になっているのなら、出来上がってしまった思想、信念みたいなものは一回捨てて欲しい。

執着はしんどいよ。己を縛るだけよ。

あれ?
これって個人の問題なのかしら。
人によるのか?

男性性だの女性性だの言ったけど、
誰かれみんな、まあるく柔軟でありたい。あればいい。

全部は無理だけど、自分を、お互いを、やさしく包み込めればいいのに。

全部はいけない。
潰れてしまう。
受け流すものは受け流す。

執着があるから生きていけるのだけど、
でも、余計なものは捨てながら、
まるくやさしく、
何でもないことに幸せを見つけていきたい。
可笑しみを見つけて笑っていたい。

生きるのは大変だから。
人生は長いから。

一瞬と言えば一瞬。
一瞬が永遠。




要は、今日は疲れましたって話です。

宝くじ当たらないかな。




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