ゆめのゆらり

毒親育ちHSS型HSPの特性に51歳で気付き、生き方が楽になりました。幼少期の生きづら…

ゆめのゆらり

毒親育ちHSS型HSPの特性に51歳で気付き、生き方が楽になりました。幼少期の生きづらさ現在に至る子育て夫との円満別居。好きを仕事にするために、居場所を変えました。強い霊能力を使用して仕事はしておりません。元公務員15年勤務。子育て優先のため辞職。過疎地域から大都市へ。

最近の記事

育児中避けたもの2

子供が幼児から児童になると様々な悩みを学校から持ち帰ってくる。 そこで、お友達を否定しない。 我が子も否定しない。 感情的になるのは分かるけれど、感情的になったら何も分からなくなってしまうから。 簡単に感情論で済ませたいが、事柄はそうでは無いことが多いもの。 お友達が誰かをいじめている。 悪口を言っている。 良い事なのか悪い事なのか、していいのかしてはいけないのか。 物事はシンプルに冷静に考える。 悪口は良くない、いじめもよくない。 そうしたらどうするか。 誰も否定しないでこ

    • 育児中避けたもの1

      子供たちが幼稚園、保育園に通う時期、夫婦仲は難しくなりました。 睡眠不足に育児参加の夫婦格差 難しいものです。 小言や不満ならいくらでも出ますよね 睡眠不足は人を殺せると考えた事もあります。それくらい辛いもので、正常な判断なんて難しくなります。 そして私は母乳でしたので、毎日大出血しつつ生活をするということです。 それだけでヘトヘト。 三つ子の魂百までと言いますがそれに固執はしないまでも、恐怖は覚えてるはずで、子供たちには大きな音、大きな声、怒号や激怒してる様子。 叫び声、

      • 育児中避けてきたもの

        長女24歳大学院生 次女22歳会社員 九州の隅っこから、首都へ出てきました。私ごと。 夫は地域密着型のお仕事の為仕事辞められませんでした。夫婦仲良くなければ私たちの中で別居生活は無理だったので、とりあえず夫婦は円満なはずです。 超田舎の育児していては 首都の大学へなんて出せない。 みんな同じでは無理だ、幼稚園の時に子供を首都周辺へ出そうと決めて育児してきた。 育児もコンサルだ等と考えていた私。 保守的でみんな一緒が素晴らしい! 女の子にお勉強なんかさせるより、良い所へ嫁がせ

        • 自立した次女

          子育てのゴールは子供の自立だと言われるけれど、うちの場合は違う。 朝起きられない。 これが出来るようになったら自立だと思う。 しかし、出来ないのがうちの次女。 最後の最後企業から小さな企画会社へ心変わりし、内定を蹴るという荒業に出て、私をヒヤヒヤさせた。 ずーっとヒヤヒヤドキドキさせられている。きっとこの子を育てられるのは私しかいないからだと思っている。 いつまでヒヤヒヤドキドキすりゃいいんだと、内心泣いている。 20歳をすぎたらもう構わなくていいのよ~なんて無責任な他人の絵

        育児中避けたもの2

          泣けた

          先日毒親育ちの共有者の実姉とじっくり話すことが出来た。 5歳も年上なので、物心着いた頃には彼女は大学進学のため家を出ていたので、何となくしかどんな人なのか分からない。 彼女は今実母と同居している。 夫と息子2人と住んでいる。 ワンオペ育児をし義母も一昨年亡くなり、子育ても少しゆっくり。 そんな中ネガティブの塊の実母との同居。 私は止めた、施設でないとその人は無理だと。 しかし姉はとりあえず私の家に連れていくと言った。 相変わらず、口だけの実母。 それを全て叶えてきた実父も亡く

          お母さんってさ

          お母さんってさ いつまでやればいい?? 50歳を過ぎた。大学院と来年社会人のわが子。 毎日色んな問題やら悩みを持ち帰る。 相談に乗るって 疲弊する。 人をささえる人は誰かから、何かから支えて貰わなきゃいけないと思う。 お母さんってさ 誰から支えられてる?? 私はきっと心療内科医と自力かもしれない。この年齢だ。心療内科にも通うし、整体にも行く。眠剤の1つくらいには世話にもなろう。 旦那さんには悩みは1部は言うけれど、全部は言わない。 解決しないから、時間の無駄です。 旦那さ

          お母さんってさ

          良かったじゃない

          語尾を○○で良かったじゃない と言うことにしている ほぼ全ての事に対して 嫌なことがあっても 嫌な人からの攻撃でも 病気になっても それが全て経験になり 私自身を強くして大きくして 愛の深い人にしてくれているはず と思ってきた 我が子は2人ともイジメにあった 嫉妬されてイジメられるという 良くある田舎の思考だ 親も一緒になり 私たち家族ははぶかれた それすらも やる側にならなかったから 良かったじゃない 生きてて良かったじゃない 小学生から高校まで なんとなく1人だっ

          良かったじゃない

          変わるはきつい

          世の中おかしくて心優しく出来なくて そんな感じが渦巻いてますね。 コロナ禍にありマスク着用からの手の消毒にトイレットペーパー品薄、営業時間短縮、ステイホームに自宅待機。 変わりました。 一緒に過ごしたら見たくない聞きたくないこといーっぱい出てきますよね。 テレビは偏向報道し煽る不安ばかりばら蒔いて、時に無責任に泣かしにかかってきたり、宥めたりすかしたり。 そしてトドメの政権交代。 知らぬまに色々と変わりました。 レジ袋有料もそう。 こんな時にまた変化を増やしてストレスを重ね

          変わるはきつい

          絶望のキッチン

          お腹すいてからご飯を作ると キッチンが散らかる 作らなきゃ食べられない かと言って出前なんて 毎回は出来ない 作るのは私だけ 仕事で言うと調理師 調理師でもないから 上手いこといくときといかないときがある。 ムラ気料理 料理が完成すると お腹空いた分だけ 早く食いになりがちで いけないなぁと思いつつ 食べてしまう そして スピード感ある食欲の後は 必ず片付けへの 1歩は出ない 分かってるのよ 分かってるの ここで休んじゃもうダメなのよ そして うたた寝してしまう 一日分

          絶望のキッチン

          誰にも知らせるな

          お盆の季節 父が亡くなり3年になる まだまだいなくなった感覚はなく 携帯電話のアドレスも削除は していない 先日渡哲也さんがお亡くなりになった 亡くなって御家族だけで 送られた後に公表された 静かに送った後、お別れの会などもしないようにとの遺言だったそうで 誰にも知らせるな これは家族としては 迷うことも多い 私の父も 親族や弟妹、近所にも知らせるな まさかの檀家であったはずの 寺にも知らせるなと こうなるともう遺言とはいえ この後の展開は何となくは分かる きっと

          誰にも知らせるな

          きれいな日常

          最近大学生の子供がInstagramをやめた 理由は疲れるから 知らず知らずの間に人と自分を比べてしまうそうだ 人と自分を比較して 自分を卑下して 劣等感に苛まれる なぜ自分を上に見ることが出来ないんだろうね 写真載ってて 何も本当の事は分からないはずなのに 美味しそうな料理 食べたら美味しいとは限らない 作り置き? 全部食べてるなんて分からない 幸せそうなカップル この後ケンカして別れたかもしれない どこかに行った写真 このご時世に? 就活で私がやって良かったこと

          きれいな日常

          ごはんの話

          コロナ禍で在宅が増え自炊の機会が増えた。 夏休みともなればそれは作業になっていく。そしてそれを1人がやるとなると負担となる。 お母さん達は真面目に作ろうとする。 だけどそんなに きっちりと作ろうとしなくていいと思う。 子供達はお母さんが元気なら ご飯なんてどうでもいい。 なんならお菓子でもいい。 米と味噌汁のなかにお野菜、卵、入れて、それだけでもいい。 お母さんが疲れて元気がないのが子供はこたえる。 お惣菜買ったり 冷凍食品使ったり 手抜きでも何でもない 時間を買ってい

          実家片付け売却決定

          住んだこともなければ 泊まったこともない実家 実家の定義が分からない私たち姉妹 この夏売却が決まった 先日10日に渡り片付けをしてきた まぁ物の多い事多い事 若い時から集めたほぼ母親の趣味の 私たちから言わせりゃガラクタ もう認知症の入口にいる母なので 判断は出来ないが 嫌だけはいう、いるだけは言う こんなもの 取っておいてもゴミ 部屋が散らかるだけ 囲炉裏も無いのに昔の囲炉裏道具 売れるかもしれないが そんな気力さえ私には無い 写真整理も思い出のなかに いる母 渋い

          実家片付け売却決定

          毒親への接し方

          父親が亡くなり母親だけになったが私とは一緒には住んでいない。 姉が母をみている。 なぜかは私にも分からない。 姉もきっと母親は嫌いなはずなのに。 恩義を感じての事なのか 可哀想だからなのか いずれにせよ不明 聞こうにも聞けない 私は介護はプロに任せたいと思っているので姉が無理をしてるなら施設へと思う。疲弊するからだ。 親のことを命懸けでやるなんて ナンセンスだと声高に叫びたい 親孝行は先に死なないことそれで充分じゃないか。 母は私のことが好きらしい。 私が行くなら行く

          毒親への接し方

          都合のいい耳

          私の母親が毒親で 私は13歳から育児放棄されてきて 自炊してきた 同居しているのに 母親はご飯を作らない 父親もいるけど毎日飲み歩く為 夜は不在だった これが普通の家だと思っていた頃は毎日必死だったので 様々な情報をテレビや本で得て 料理を作っていた お陰で今は何も困らないが 最近実家の片付けをしていて 料理を姉や甥っ子、そして母に作る機会があった みんな美味しそうに食べてくれる そして母親も美味しそうに食べる その様子に嫌悪感を覚えた この感じなんだろう 私の料理を

          都合のいい耳

          やはり毒親

          実家の片付けをしている 数トンものゴミを出してもまだ中の家具は手付かず。 中身を出して小分けし廃棄している。 寄付出来るものは寄付し リサイクル出来るものはリサイクル 姉と2人実家の片付け 甥っ子2人がとても戦力になる 甥っ子のためにご飯にも力を入れる 一応母親もいるのだが ほぼ邪魔をしてくるのである 邪魔だ 否定し私や姉の動きを止める 感情的になり感傷的にもなる はっきり言おう あなたの集めたものは私達にとってはゴミです。 一生かかってもこんな食器使えません 一