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『ファースト・カウ』に見たピュアとペテン

2023年最後の映画鑑賞は新宿武蔵野館での『ファースト・カウ』となった。

ケリー・ライカート監督の作品は2019年の作品で、日本公開までに4年のブランクがあった。
昨年イメージ・フォーラムで特集上映が組まれていて、4作品全て観に行った。
女性監督の作る、小さなインディペンデント作品はどんな質感で、どんな眼差しなのか僕は気になったからだ。
作品としてはミニマムではあるけど、これだけ広い世界の中に、微かな、弱くて細いけど生きているものがあると実感させてくれる眼差しと登場人物たちがそこにはあり、鑑賞後にこれは好きな監督だと思った。

そして『ファースト・カウ』である。
配給は監督の魅力を更に引き出す体制であるA24。ベストな組み合わせだ。
画角は4:3のスタンダードサイズ。狭く捉えられた四角形に芳醇な自然と動物たちが映し出される。
4:3の画角はよりクラシカルな印象を与える。今この画角で作られることは時代の逆を行きつつ、テクノロジーが進化した現在に今でもクラシックで古典的な印象の強い本作のエネルギーを逆に証明してくるには十分だ。

あらすじのコピペはこれ。

物語の舞台は⻄部開拓時代のオレゴン州。アメリカン・ドリームを求めて未開の地にやってきた料理⼈のクッキーと、中国⼈移⺠のキング・ルー。共に成功を夢⾒る2 ⼈は⾃然と意気投合し、やがてある⼤胆な計画を思いつく。それは、この地に初めてやってきた"富の象徴"である⽜からミルクを盗み、ドーナツで⼀攫千⾦を狙うという、⽢い⽢いビジネスだったー︕

これを見るとハラハラさせられるサスペンスも含んでいるような印象だけども、僕が感じたものはそのシンプルなシナリオの上手さではなくて、主人公二人のこれでもかという人間臭さと、まるで自分を見ているかのような何かを感じたからだ。

それはこの主人公の二人にピュアとペテンを往来する導線があったからだ。
主人公のクッキーとルー、二人が出会う中で彼らは二人三脚で商売を始めようとする。
クッキーにはドーナツを作る技術があり、ルーにはそれを換金化する方法を考えられるアイディアがある。
そのためには夜、気づかれないように一頭しかいない牛の元に行きミルクを摂りに行かなくてはならない。
それは未開の地で、昔のお話だと分かっても違法的な行為だと分かる。
それでも稼ごうとすること、そして自分たちに可能性があるということを証明しようと二人は手を組むのである。劇的な演出があるわけではないが、そう感じさせる豊かさがある。

あらすじとしては「一攫千金を狙う二人」で間違っていないのだけど、映画を見るとそれだけじゃないことがわかる。その芳醇な行間のある映像には目的が金だけではない、充実感と、存在証明を満たす二人の顔、そして友情のような何かが垣間見える。

見方を変えればルーはもしかしたらクッキーを使い金稼ぎに利用したように見えるかもしれなかったが、クッキーもまたペテン師のような佇まいや雰囲気のルーがいなければその料理の才能を生かせなかったかもしれない。

ピュアとペテンを行き来しながら、二人の間にあるのは特別な関係性と時間が宿る。

この世にある仕事の多くはそうした感情や出来事の往来の中にあると感じる。
「利用されている」が見方を変えれば、「能力を発揮させてもらっている」に変わることもあり、
「稼ぐ」という出発点が「誰かのためになっていた」ということにもなりえる。

『ファースト・カウ』で描かれる商売には人間の根源的な関係性の基盤が描かれているような感覚に浸れる何かがある。

集落に風呂敷を広げて、ドーナツを売る二人は商いとしての根源的な姿だ。
未開の地で鉄の上でドーナツを作り、行列を作る。匂いに釣られて人が並ぶ。評判が人を呼ぶ。
客は感想を伝えて、去っていく。その感想にはドーナツを通じてのコミニュケーションが宿る。

こんな商いがしたいものだと映画館にいながら思う。
終幕も見事だ。二人の印象的な顔と、その画はピュアとペテンを往来し、真剣に生きようとした二人の何らかの到達である。

虚実皮膜と言うべきか、ルーもクッキーも半信半疑を超えるコミニュケーションを言葉で交わしていない。だからこそどちらかが不幸な目に遭うという終わり方も出来た。因果応報とも言うべき、ペテン師のようなルーが死ぬケースもあっただろうし、騙されたようにも見えるクッキーが命を落とすという終幕もあったかもしれない。しかしどちらでもなかった。どちらでもない終幕は僕にとって確かなる希望だった。ああ、いいなあ。すごい、すごいとエンドロールでしんみりと浸っていた。

実にいい映画を観た。いい映画で2023年を締めれた。

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