『記者会見で襲撃された男』完結

昨日、年度末の3月31日に浪口修が主催するさくら祭りプロレスに参戦しまして、浪口修からパワーボムからのエビ固めでピンフォール勝利してまいりました。パワーボムは初公開。これまで何度も修練を重ねておりました。

積み重ね式パワーボム

一見するとただの無料お祭りプロレス参戦なのですが、私自身とても万感の思いだったと言いますか。
自分自身にとって大事にしていた歴史を、自分の手で直接終幕してくるという大切な儀式となりました。

というのも、浪口修は私が2013年にガンプロ旗揚げに参加することに直接的に起因となった選手です。

https://www.youtube.com/watch?v=DfrUvJTeWTE

こちらの動画を見てみると分かりますが、大家はガンプロ旗揚げを宣言しますが、そこにいちゃもんをつけにきた浪口がカメラを持っている私を襲撃しました。

浪口修に襲撃される今成

こうしたことで、私は裏方から表舞台に強引に引っ張り出されることになりました。

人生のターニングポイントの一つは明確にこの日だったと思っています。
一度は就職をし、プロレスという世界に足を洗ったと思っていたけど、生きる心地がせずに、また何をやっても上手くいかない自分をもう一度プロレスラーとして強制的にコクピットに乗せて戦闘させる。

要は『新世紀エヴァンゲリオン』でいうところの「シンジ、エヴァに乗れ」という状態を作らされたわけです。
実のところ裏方選任な自分が本当は窮屈でした。もっと表舞台も裏方も行き来したいという本能と願望があったのかもしれない。
その願望に鍼を打つような感覚。それが浪口によって襲撃されることで一気に開かれました。

そんなうだつの上がらない今成が最初に立ち向かうべき男が浪口修でありました。
ガンプロの第1章はこうした浪口との対立概念が主軸ではありました。

浪口という男は「中途半端なレスラーが増える」とガンプロを叩き潰そうとガンプロにやってくるのですが、そんな浪口修自身がZERO-ONE退団後はパッとしていない状態であり、明確に燻っていたレスラーでもありました。

つまり浪口自身も窮地に立たされていて、大家や今成に向けて吐く言葉はブーメランになって自分に向かって返ってくる。そういったギリギリの境界を彼は攻めていました。そんなダブルミーニングもあってか、自分の存在証明と生き残りを賭けていたのは大家や今成といったガンプロ側だけでなく、浪口自身もそうであったと言えるのです。

それでも破壊王・橋本真也の存在が色濃く残っていた初期ZERO-ONE叩き上げの選手なので、浪口から醸し出すそれは厳しさと怖さを全身からただ寄せた昭和レスラーのような佇まいがあります。一介のインディーズの選手とも違うサムシングはありました。

私はこれまで浪口と何度も試合をしてきましたが、私は直接浪口からピンフォールを奪ってはおらず、大家代表が彼に土をつけることでこの抗争は終了しました。

ガンプロ初期。大家代表に光が当たることは、そのまま浪口に光が当たることになっていて、表裏一体の関係になっていました。
ガンプロがユニオンプロレスとの対立軸を移行した際に、浪口がガンプロ側に立つというシチュエーションに多くのファンの人からドラゴンボールに例えて「浪口はベジータのようだった」との感想が聞こえていました。

私の記憶では浪口のガンプロ参戦は2016年を最後に終了しています。
業界にいても、その後の浪口の活躍の報は聞くことは特にありませんでした。

その間の彼のことを正確に記述することはできませんが、私の主観は「また燻っていた状態」だったのだと思っています。

しかしながら、この度こうしてまさかの浪口からの逆オファーがあったのですね。
しかも2024年3月31日というCF傘下のガンプロ所属としての最終日です。

この日、無料のお祭りプロレスで、都内では興行戦争とも言うべき沢山のプロレス興行がありましたが、注目という視線はこちらには注がれていないのは分かっていましたが、そんなことは私にはどうでも良くて。

物語の大きさ、小ささ、マスコミの有無。ブロードキャスティングの有無。そんなことは私には関係なく。
ただ自分の物語を畳む機会を得たことと、その機会を逃してはならないという直感が働きました。
場合によっては浪口と試合をするのは今回が最後かもしれない。

場所がガンプロマットであろうが、なかろうが関係がなく。
浪口とやり残していた続きが出来ることに高揚しておりました。
やり残していたことというのは私が勝つまでアイツと闘うということに他なりません。

それこそしっかりとした煽りVが作れてしまいそうな題材でありながら、それでもそうしたものを披露するような場でなくとも、自分が終幕するためには自分がそこに行って彼と闘う必要があると感じました。

思えば納得したかったのですよね。自分のスタートダッシュがどんな感情だったのか。
今はあれから11年が経ち、どんな成長を遂げているのか。浪口という座標点でしか感じられないことがありました。
結果、私は浪口に勝てました。
カラダの厚み、試合を常にしていることでの試合感、自分が通過してきたステージ。そのどれもが浪口修と差を開かせていたように思えます。それが現時点では当たり前なんだよと。そんな感じになっていました。

浪口は「あの時と真逆になったな」と言っていましたが、決して浪口が後退したわけではなく、私は私自身のことを今日までコツコツと取り組んだまでだと私は思っています。なんだかんだとプロレスを続けている浪口さんも人生を前進していますし、試合をしてみてまだやれるじゃないかとの思いにはなりました。

初対決から11年、遂に遺恨精算

そうだから納得できた。自分の歩みをしっかりと感じることが出来ました。
その結果をしっかりとリングで見せれた、自分自身で感じれたことが大きかった。

物語を畳めるか、畳めないか。
それはあまりに大きなことです。畳めれると潔く次に行けます。畳められなければ悔恨の気持ちは成仏しづらいものになるかもしれません。
畳めたことで、名残がなくなります。悔いも限りなくないものに変わります。
漫画連載も終わりがあるから、次の連載に行けるわけで。私は4月1日から新体制のガンプロでまた新たなスタートが切れると心の底から思いました。

始めることより、畳むことの方が難しいと感じます。
この数年間、プロデューサーのような立場の人がプロジェクトを立ち上げ時、ローンチの際には高揚しているものの、終幕する頃には飽きていて、熱量が下がっているということを頻繁に観てきました。始まる時に勢いがあるのは当たり前で、継続することは難しく、畳むことはもっと難しいと思えます。

だからこそ、今回物語を畳む機会に燃えられた自分がいたことが嬉しかった。

業界的に小さな物語で、それは誰も見てくれていないと思っていても、自分の中でそれを大事にしようとすることがとても重要で。
またそんな小さな物語も自分自身にある作家的な知見があれば、それを顕微鏡のように覗くことが出来る。別の形で世に放つことが出来る。
それが誰かが見てくれているかもしれないし、誰かの背中を押すことになることもあるかもしれない。作家的なアプローチは映像や文章でも可能で、そうしたことも今成夢人の表現の一部だと思えば、この小さな物語を畳むことも、こうして文章にして何かを残そうと駆り立てるものになるわけだ。

浪口修という座標から見た私は確実に強くなっていて、しっかりとした眼差しを持ち、とても堂々としておりました。
そしてしっかりと”完結が出来る男”になっていました。そりゃ納品にもうるさくなるという話なのだ。

『記者会見で襲撃された男』は鍛錬を繰り返し、復讐のパワーボムで遂に復讐を果たした。そこには街の子供たちと犬と公園が広がる優しい世界が広がっていたのだった

ワンコと私
青空プロレス


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