撮影・編集、完パケまで担当した高木三四郎vs大家健の煽りVTRが上映されなかったことについて

本日後楽園ホールで開催された『Judgement2024〜旗揚げ27周年記念大会5時間スペシャル〜』の高木三四郎vs大家健のシングルマッチ用の煽りVTRが上映されませんでした。撮影から編集、完パケに至るまでの一連の映像制作を外注として依頼されていましたが、上映されないという作り手としては一番悲しい結末になりました。

過去にも作ったVTRが選手欠場で上映出来ないということもありました。それは誰も悪くないと思えれます。
作り手も悔しいし、選手も悔しいし、団体も悔しい、仕方ないという思いになるかと思います。

もっと言うと機材トラブルならば「致し方なしか」と諦められるのですが、今回の件があまりにシンプルな人為的ミスなのがまた怒りの矛先を難しいものにさせています。

ちなみに99年12月、DDTが一番最初の後楽園ホール大会を開催した際のメーンイベント 高木三四郎 vs 折原昌夫でも機材トラブルで映像が上映されないことがあったそうなのですが、すぐに切り替えて試合に移行したそうです。ExtremePartyさんの観戦記にも記載しているのを僕は覚えています。

なんで覚えているかというとExtremePartyさんの観戦記はDDTで映像を作る上では欠かせないサイトだからです。
◯◯年のどこにどんな試合があり、どんなマイクがあったか。これはDDTの辞典のようになっていて、この観戦記をガイドにしながら映像を作ることがよくありました。

とは言え、今回も上映が出来ないことに対して、すぐに入場・試合に移行するという進行判断を「好判断」という形で落とし込むことは私には出来ませんでした。
だって高木-大家戦のVTR以外はきちんと上映出来ているわけですから。

ここのVTR素材に関する導線がどうなっていたかは後日、団体側から報告を受けることになっています。

僕がこうして怒っていることを表明しているのは、ここで怒らなかったら自分の歩んできた人生を、強いて言えばDDTで12年間働いてきたことを否定してしまうことになってしまうからです。素晴らしい周年興行のノイズになってしまうことの申し訳なさはあります。でも自分の意見を表明しなかったら、死んだも同然です。

私は昨年9月末でCyberFightを退社して、自分はフリーランスの映像ディレクターとして独り立ちをしました。ガンプロは引き続き所属のまま、CyberFightとは実質的にはあまり変わらない距離感で一緒にやっていくと思っていましたが、まさかの年内に入りガンプロが独立をするという寝耳に水な事態となり私も困惑しました。しかし大家代表や何人かの選手からの残留願いの熱意を受け、私もガンプロに残ってプロレスをこれからも続けていく気持ちを固めておりました。

今回のVTRは大家代表と高木社長の試合をX(旧Twitter)上で直々に高木社長から制作依頼を可視化した形でありました。
この映像を作るのはこの二人をよく見ていた僕にしか作れないもになると確信していましたし、両者との関係性を含めても僕が適任なのも分かります。外注という形になってもこの映像を僕に依頼する高木社長の興行師としての勘もやっぱりすげえな!となります。実質的に大家健の卒業式であり、一騎打ちながらも、僕の視座を介在させることによって、通常のシングルマッチをタダでは済まないシングルマッチに仕上げようとする高木社長の手腕がここにあります。

ですが、映像は流れませんでした。
人為的ミスの原因究明は別途しっかりとしていただくにしても、その初歩的なミスを犯すというのは、今回の事案を起こした担当者が根本的に映像の愛や作り手への愛、強いてはDDTへの愛が足りないから?ではないのかと思わざるおえません。ここは仕事、丁寧にちゃんとやろう。

聞きたいのです。
今回のVTRの中のフッテージに入っている大家健vs諸橋晴也の映像素材がDDT事務所のどこのハードディスクに保管されているか知っていますか?
何度も後輩の諸橋選手に勝てずに忸怩たる想いでプロレスをしていた大家健の気持ちを知っていますか?
何故、闘龍門をデビュー出来ずに退団した大家健を高木社長はDDTでデビューさせたか知っていますか?
プロレスキャノンボール2014で大家健がどんな気持ちで大船渡に残ろうとしたか、何故、高木社長が大船渡に大家健を残留させることに対して「ここは大家しかいないよ」と言ったかわ分かりますか?
短い映像尺の中で、そうしたことの全てを説明出来ないにせよ、そうした僕の記憶に深くある映像をわざわざDDT事務所に出向いてチョイスし、素材をシーケンスに入れて編集しています。

DDTの歴史の中でインディーズ団体として何としてでも業界や世間に爪痕を残そうと苦心していた高木社長が映像のセクションを自社に作ることで、団体のアドバンテージを作ったことを知っていますか?高木社長が映像班というセクションをDDTに置いていなかったら、2002年の若かりし頃の大家健の試合映像なんてすぐにひっぱってこれません。メジャー団体のNOAHですら過去の映像は日テレ管轄のため、過去の映像を自由に使用し、映像で歴史を紡ぐことは出来ません。20年以上の歴史を映像で紡げるのは自社で制作・著作の映像を管理しているDDTプロレスリングの強みのはずです。

新規や中途採用で入るスタッフさんにこういうことまで把握して従事しろとは思いません。
ですが、こうした歴史と諸先輩方が紡いできた仕事があって、27年も団体としての強い脚腰と体力を持ち、今こうしてDDTプロレスリングは業界の先端に立っているのではないでしょうか。そうしたことを少し頭の脳裏に入れて仕事はしてほしいなと思います。

私はそうしたDDTの歴史を自分なりに愛してきたからこそ僕はDDT映像班に12年以上も働くことができましたし、”記憶と記録”、”歴史と今”が結び付かれた映像を作らせてもらえることに喜びを感じてきました。

DDT UNIVERSE(現WRESTLE UNIVERSE)を始めたキッカケも高木社長と僕の会話がキッカケだったかと思います。

「もし配信サービスをやるならば、NJPW WORLDの後発になってしまう。今成はどう思う?」
と聞かれ

私は
「もう円盤、ディスクメディアで映像が見られる時代じゃなくなっていると思います。僕はやるべきだと思います」
と高木社長に言いました。
結果的になのですが、UNIVERSEが出来たことで配信業務に割かれるリソースが増え、映像制作に従事したかった自分に葛藤を生んだのは皮肉でありましたが、こうしてUNIVERSEがあることで海外の方に広く団体の認知や存在が広がっているのを観ると「やるべきです」と言った自分は間違っていなかったのだなと思います。

高木社長のお使いを誰よりも沢山してきた大家と今成。故に高木社長のことを沢山学べました。
側から見ればただの雑用なのかもしれませんが、私は私なりに社長の帝王学を側で学ばせてもらったと思っています。
ちくわとカマボコをファミマによく買いに行きました。ナチュラルな食品からタンパク質40gを摂取するのが高木社長のクセです。練り物はタンパク質が豊富だということを学びました。高木社長はおでんも好きで、おでんはレスラーにとってとてもいい食事であるということを過去のブログ(はてなブログ)に書いていました。

ポロポロとこぼしやすいお菓子は好みではありません。パッケージに一工夫がある新商品が好きです。
一時期は本当に特茶にハマって特茶ばかり買いに行きました。千円札を何枚も持たされて「買えるだけ特茶を買ってきて」と毎日のように言われていました。
特茶が脂肪の吸収を抑える作用があるためか、社長は特茶を飲んでいれば痩せられると思い込んでいたのではないかと思います。側から見れば狂気じみたものを感じますが、とても高木さんらしいなと思って特茶を買っていました。

大家代表がエビスコ勤務になったことで、お使いに行くのが私だけになり次第に大家健よりも私の方が、社長の買い物のツボは抑えられるようになっていったように思えます。お使いに行く度に、コンビニで何度も最新の商品をチェックする。日々、トレンドとは何かを考えながら生きるDDTで働くためには必要な試練だったと思います。

思えば大家も今成も、高木社長が"自社内でプロレスだけでは食えない選手に仕事を与える環境を作る"という円環構造に生かされてきた二人なのだと思います。
だから大家と今成は混じり気のない高木チルドレンであり、今回の試合で私の視座が介在することでそのトライアングルが後楽園ホールのリングに注ぐのだなと私は思いました。

そうしたことを思い出しながら、私は編集をしていました。
だから自然とこのVTRに対する思い入れは強くなります。満員の後楽園ホールで上映出来るのはこの上ない喜びです。

このVTRの中で大家は泣いています。何故泣いているのか。何故、急にカメラの前で泣き出したのか。短尺のVTRでその全てを説明することは出来ず、観る人によっては彼の涙の理由は分かりません。
でもその涙の中には表立って言えること、言えないことを含めての、独立する大家健の、高木三四郎に対する親心と本音が見え隠れしています。

この大家健の言葉は限りなく高木社長に対しての私的な独白です。目の前にいる高木社長には直接的に言えない言葉です。私はこの大家の言葉は対面では言えない言葉だと感じました。VTRにするから言える、VTRだからこそ伝えられる。カメラの前だからこそ、溢れ出た純度の高い言葉のように感じました。だからその大家健の言葉を満員の後楽園ホールのスクリーンで見せてあげたかった。それを見た上でガンプロ戦士たちにはセコンドについてもらいたかったという思いに尽きます。それくらい一回生の強い映像だっただけに、後楽園ホールの大きなスクリーンで上映が出来なかったことは残念です。

中継解説席で急にキレてすいません。VTRが上映されない事態に対して、我慢が出来ませんでした。

ですが週刊ゴングを買い続けてきた今成少年にとって小佐野さんと解説席にいられるのは夢のようでした。

3代目週刊ゴング編集長小佐野景浩さんとゴング派今成
ドラマチック・ドリーム・ゴング

今日はドラマチック・ドリーム・週刊ゴングでした。

せっかくのプロレス中継解説なのでスーツに色眼鏡という大好きだったWWE SMACKDOWN!のタズを意識しましたが、誰にもタズと気づいてもらえず、自分からタズをイメージしていると控え室で説明しまくりました。2003年ごろにフジテレビで放送されていた深夜のSMACKDOWN!はタズの解説ではなく、フジテレビ用に高木社長が解説をしていました。だから今回のタズでのアプローチはダブルミーニングなのです。解説で言いたいこと沢山あったのに、吹っ飛んでしまった。悔しいから、またドラマチック・ドリーム・週刊ゴングやりたい。

イメージしていたタズ(左)

VTRを発注してくださった高木社長、DDTの皆さんありがとうございました。
大家代表、お疲れ様でした。ガンプロの皆さん、これからも一緒に頑張ろう。

私はこれからもプライドを持って仕事に取り組み、皆さまの想像を超えれるような映像作家とプロレスラーになります。
長文、失礼致しました。


ガンプロ全員集合に写っていない今成。
欠席したクラス写真みたいに切り抜きで顔を入れて完成させてほしい


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