ドキュメンタリー映画『WILL』を観てきました

エリザベス宮地監督のドキュメンタリー映画『WILL』を観てきました。

宮地監督と東出さんの直筆サイン

監督と東出さんのサイン会もついているという日に鑑賞したこともあってか、テアトル新宿はほぼ満席でした。
俳優・東出昌大が狩猟をする姿を追ったドキュメンタリーということで、東出さんの山での生活を中心に描かれています。

この映画は"被写体との関係性"という要素に突出した映画で、監督の宮地さんと東出さんの距離感が互いに信頼関係を成立させているいいお友達という関係性を示せているのを感じます。仕事であるということを超えた感覚というか、東出さんも「なんでも撮ってよ」といった気概を感じさせます。仕事と友人の間にある濃淡のグラデーションが素晴らしく、カメラを持って誰かを撮るということがとてもクリエイティブなことなのだということをとても感じさせてくる。

「この人ならなんでも見せれちゃう」というか、宮地さんの懐に入っていくフットワークが魅力的です。なので、カメラもずっと動いているし、ずっと誰かを撮っている。動き回ることを厭わない、宮地さんのエネルギーがカメラに宿っています。カメラアイは宮地さんの行動そのものです。東出さんは「でっくん」と呼ばれていて、その呼称がとても愛おしさを増していきます。映画としての観やすさの体裁よりも、徹底して宮地さんのカメラアイにしたこともこの映画がインディペンデントでありながら輝く価値を増しているように思えました。

東出さんの騒動の件もちゃんと触れていて、そこは触れない作りなのかと思いきや、しっかりそこの部分とも向き合っていることにも好感が持てました。好感が持てるというよりも、もう東出さんはその出来事を自分自身の中にちゃんと落とし込んでいて、人生を先に進めているのに、世間はとにかくその騒動の件と結びつけさせようとしてくる。彼の動向を写真週刊誌やSNSに書きたがる一般人なんかも映画の中では出てきて、ちゃんとその人たちの姿と東出さんの凛とした姿はきちんと対比が見えてきます。狂っているのは東出さんでしょうか?それとも世間でしょうか?とちゃんと観ていればしっかりと自問したくなる余白があります。私は写真週刊誌側がとにかく一つの出来事や憶測からどんどん創作的に展開を作っていくような流れがあることに大変違和感を覚えました。女性が東出さん宅に出入りしていると言いますが、それは山の地元の人だと劇中観ていくと分かります。とにかく一つの出来事に対して、確証が取れていないにも関わらず話を展開していく。世間の視線をあからさまに誘導している装置としてこの広大な山の自然と写真週刊誌は凄まじい対比になっている。ですが、その写真週刊誌も東出さんの存在と山と自然に圧倒されているというか、東出さんを引きずり出せないというか、そんな印象を持ちました。

この映画は元々狩猟生活を送る東出さんにオファーをしていたものの、一度その話はなしになっていたそうです。
狩猟をするイメージが俳優生活に影響を及ぼしてしまうとの観点があったそうですが、騒動や東出さんがフリーランスになったことで、東出さんからドキュメンタリーの件でもう一度話が出来ませんか?と逆アタックがあったそうなのです。

つまるところこの映画は東出さんが事務所に所属していたら絶対に完成しなかった映画でもあるわけです。
目に見えない柵とか、気を遣わなきゃいけないところとか、きっとそういうことが沢山出てきたと思うのですが、そういう柵を越えていってドキュメンタリー特有の「見えない何かに気を遣っている構成・編集」みたいなものがないんです。それが素晴らしい。だから宮地さんが"撮りたいもの、撮れてしまったもの"でしっかりと構成されていて、心地いいのです。MOROHAのライブ映像や、山を訪れたGOMAさんにもスポットを当てていて、脈略を半ば無理矢理にでも繋げていく。宮地さんのアートフィルムの側面も強く、柵をあっさりと飛び越えていってかっこいいです。

もちろん狩猟が一番のポイントであり大きな題材で。狩猟生活をする、生き物を殺す、殺される場面も出てくる。それを見つめながら、普段スーパーで食べている肉などに想像を働かせていけるか。狩猟をしている人たちはそうした生きていく上での流れに対して、きちんと自分の考えを明確に持っていないと活動が出来ない。鉄砲を放つ東出さんには世間の狂騒を経て、それを断ち切らんとする根源的に生きることとは何なのか?ということを常に自分自身に問うているように思えます。

この映画最大の魅力は東出さんです。
とにかく俳優である東出さんが脚本がなくても、自分の言葉を喋っている。
これだけ喋って、これだけ動いて、これだけ大変なことを生活レベルで落とし込んでいく。
それは自分軸があるということの何よりの証明であり、そうした自分軸がある人の表現は生活から何気ない言葉に至るまでとても心揺さぶられます。

自分に言葉がある、言葉が出てくる。2時間半のドキュメンタリー映画が成立しているのは東出さんの言葉と生き方そのもので。
本編後半に何故、この映画を作ろうとしたのかという解を伝えられますが、それもまたズッシリとくるもので。
生きることをどういう形で証明するのか。強いてはドキュメンタリーを作ることの意義を感じて、私は生命力に満たされました。

読み応えのあるパンフレットも内容が充実していて、宮地監督がどんな機材を使ったのか?という解説もあり、また日誌をしっかりと書き連ねていて、宮地監督もまた東出さんの生活に呼応できるだけの準備とビジョンがあったことを窺い知れてとても良かった。

ドキュメンタリー監督の今田さんと、宮地監督の同級生である福田君と一緒に観に行きましたが、こうやって気の知れた仲間たちとみんなでドキュメンタリーを見にいくのもとてもいいなと思いました。

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