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スペシャルティコーヒーは身近なものになったのか?

スペシャルティコーヒーとは、ざっくり言うとめっちゃ美味しいコーヒーのこと。生産者ごと、地域ごと、品種や精製方法ごとの個性に優れ、素晴らしい風味を感じられるコーヒーのことです。

そんなスペシャルティコーヒーって、どこまでみんなの日常にあるんだろう、当たり前になってきているんだろう、ってことを最近考えます。


この頃よく、他のコーヒーショップのオーナーさんと会う度に、「人」の話になります。
「人がたりてない」とか、「良い人がいないんだよね〜」とか、、。

それってどういうことなんだろうって考えていたんですが、コーヒーショップごとのビジョンに熱いパッションをもち共感する人が減っているっていうことなのかもしれない、とも思ったりしました。


では昔はどうだったのか考えると、例えば10年前とか、BRUTUSでコーヒー特集が組まれ、「サードウェーブ」とか「スペシャルティ」という言葉が広まり始めた時代、スペシャルティコーヒーショップはその存在だけで尖って感じられたし、シングルオリジンコーヒーや農家さんごとのフルーティなコーヒーを取り扱い提供するということだけでも、とても存在感や違いを感じられた気がします。

もともとこういうスペシャルティコーヒーとかシングルオリジンコーヒーって、複数の農家さんの豆やその地域の豆をまるっとまとめて大きなロットで流通させる安価でコスパ的なコーヒーに対して、もっと生産者ごとの個性や品質を評価して適切な対価が行き渡り、生産者がちゃんと続いていけるようなコーヒーを流通させようっていう、ある意味大手に対するカウンターカルチャー的ムーブメントから始まったと思います。それこそアメリカ西海岸でサードウェーブとか言われている流れって、こんな流れだったと思います。

日本でも、そんなカウンターカルチャー的な動きから、スペシャルティコーヒーショップは個人経営の小さなお店であっても、というか個人の小さなお店だからこそなのかもしれませんが、生産者ごとの個性あるコーヒーを出すことで十分尖ってかっこよく見えていたように思えます。コーヒーでフルーティなのすごいとか、新しい文化を伝えていてかっこいいとか、とか自分もそんなコーヒーに関わってみたい、、、と思わせるような。


そこから10年、15年経った今、僕らコーヒーショップの努力あって、こうした個性豊かなコーヒーはみんなの日常に入っていき、みんなが知るものとなっていったように思います。海外からも新しいお店が入ってきたり、1店舗で独立したお店も複数店舗構えるようになっていたり。

そして、カウンターカルチャー的だったコーヒーを当たり前のものにしようと、スペシャルティコーヒーショップ自身もみんなに寄り添うようなお店づくりをしていきました。当時は僕自身も、カフェではなくコーヒーショップと呼んでほしいとこだわってたり、ノートパソコンすら置けないくらい細いテーブルにしたりして、店はとにかくコーヒーを知ってもらい楽しむ場所なんだと尖っていて、他のいろんなコーヒーショップも同じようにきっと違いを見せようとやっていたと感じます。

でも今は「街のいい感じのカフェ」と思われたり「おしゃれなお店」と思われるようなことは、僕は嬉しいことだと思います。「すごいコーヒーを飲むんだ」というようにコーヒー自体に目的を持つ人や共感してもらえる人だけがきてもらえるお店ではなく、なんか良い感じだからと軽い気持ちでお店に入ってもらえたり、みんなの生活においしいコーヒーが馴染んでいけることは目指したいことです。プライドや個性を全面に出していたのが、今は一周回ってそれらを仕舞い、一見とても「普通にいい感じ」なお店であることでむしろいいモノを広めることになっていて、そんなお店のあり方自体にプライドを持っているような。僕は、今も尖りコーヒーを熱く伝えることも素晴らしいことな一方、こうやって馴染んでいくためのブランド作りもどちらも素晴らしいと思います。


そんな中で、そのコーヒーを好きと思ってもらえたかどうかは別として、スペシャルティコーヒーはみんなの当たり前のものになってきたと思います。


コーヒー屋での人の話に戻りますが、そのお店の思いに共感したり、熱いパッションを持つ人が少ないと言われるのは、こうやってお店が「普通にいい感じ」になってきたことが理由なのかなと思います。

昔はそもそもビジョンを語らなくても尖ったコーヒーを出すことで共感や興味を得られたし、大きなものに立ち向かい新しい文化を作ろうとする動きはカッコ良く見えた。今は僕らの努力あって当たり前の存在になってきたので、違いやカッコよさを感じてもらうのが難しかったり、一歩進んだカッコ良さになってきているのかもしれないと思ったりします。

さらにはそれだけ人が足りないってみんな言うってことは、コーヒーショップそれぞれ拡大期なのかもしれません。コロナが来てから4年近く経ち、新しい動きを仕掛けていったり、さらにみんなの日常的な存在になれるよう、さらにおいしいコーヒーを伝えられるよう、大きく動いていくお店も増えているように思えます。

「新しい良いものを広める」って文化やパッションの伝達具合にこんな変化が生まれていくんですね。僕はコーヒー業界に関わってまだ10年くらいですが、こうした変化を体感しながら仕事ができていて楽しいです。


とは言っても、本当に身近なものになり完全に広まったのかというと、一度試したり知ったりしたし店があるのは知ってるけどまだ自分の生活に取り入れてはいない、という人も多くいると思います。実際まだ美味しいと思ったことはないとか、そもそも好みや価格帯が合わないということもあると思いますし、余地はたくさんあるとも思います。本当に各個人に伝わっているかというわけではなく、なんとなく存在が身近に感じられるようになった、とい印象です。


ではこれから、この「人の問題」をコーヒーショップはどうやってカバーしていくべきなのかを考えてみると、今改めてビジョンを語る、コーヒーのリアルのコミュニティを増やす、業務の専門性を減らし仕組み化する、会社として成長し働きたくなる環境にする、という4つが思い当たります。

1つめは、もっとビジョンを語ってみること。昔はそのコーヒーを出すスタイルを見て良いと思ってもらえたり、お店の存在自体が違いを見せていたところはあって、語らないカッコよさがあったような気がしますが、今は「良いコーヒーを気軽に見せて文化を広めること」や「多くの個性あるコーヒーを伝えることで多くの生産者に影響を与えること」の意義や面白さや、それぞれのお店はどんなアプローチをしていてどんな未来を描いているのか、語ることも必要だったりするのかなと思います。


2つめのコミュニティに関しては、特にコロナがやってきてから、コーヒー好きが集まったり一緒にコーヒーを体験できる機会が減ったような気がします。コロナ前はパブリックカッピングというものがありました。これは何かというと、毎週決まった曜日、決まった時間にそれぞれのコーヒーショップやロースターで開催されていた、その店のコーヒー全てを無料でテイスティングできるイベントです。一通りみんなでテイスティングし終わった後は、参加者でそれぞれどんな味わいがしたとか、どれが好きだったとかを共有したり、バリスタやロースターがそこにコメントしたりと、コーヒーに熱がある人にとっては、味わいをつかんだり表現力を磨いたり、何より同じようにコーヒー好きな人と知り合い情熱を高め合える素晴らしい機会でした。

パブリックカッピングは東京では割といろんなお店で開催していて、いつも来るメンバーがいて顔馴染みになって仲良くなったり、別のお店のパブリックカッピングでもまた同じ人と会ったりと、コーヒーに熱意がある人のコミュニティとしてとてもよく機能していた気がします。昔パブリックカッピングでよく来ていた人は今独立していたり、素晴らしいバリスタになっていたりと、活躍している人が多いような気もします。今はこうしたイベントが少ないので、コーヒーに興味を持った人もただお店に行きコーヒーを飲むか豆を買って家で淹れるかくらいしかできることがないのかもしれないと思いました。こうした熱を高め合えて、店の情熱にも触れられるリアルのコミュニティはこれから改めて必要かもしれません。


3つめは、より誰でも働けるようにお店のオペレーションを工夫することです。例えばエスプレッソの抽出で、粉を押し固める「タンピング」という技術があります。これはタンパーという道具を使い手のひらでぐっと圧力をかけて粉を押し固めるのですが、水平に押せないと粉が傾いてしまい、圧力で通るお湯に偏りが出てしまって、美味しいエスプレッソになりません。水平に、そして毎回同じ強さで押し固める技術が求められていたのですが、例えばこれを水平に押し固められるタンパーを使ったり、タンピングしてくれる機械を導入したりとすることで、1つ専門的な技術がなくても美味しくコーヒーが作れるようになります。もっというとエスプレッソマシン、ミルクのスチームといったところも機械でカバーしているお店は増えていますし、トレーニングの仕方自体も、よりライトにというか、ストイックで尖りに尖った情熱がそこまでなくても習得していけるようなオペレーション体制にどんどんなってきているように思います。広く伝えるということは、伝える側も広くなるということだなと感じます。

電動グラインダーの下にあるオートタンピングマシンPUQ PRESS


そして、日本でいろんな仕事がある中で、コーヒーという仕事に興味を持ってもらったり留まってもらえるような環境づくりは必須だと感じます。ちゃんと働く人が続けていけるような、余暇の時間も豊かに過ごせて、やりがいだけでなく生活の充実度や未来への安心感も得られるような組織にもっとなっていかないとなと思います。コーヒーを広めてきたからこそ、そのコーヒー自体の特別さと面白さだけで人を留めるには大きくなりすぎてきていて、やりがい搾取にもならないようちゃんと地に足をつけてチームとしてコーヒーを伝えていくべき状況なんだと感じます。


そんな感じで、ふといろんなコーヒーショップの方が人の話をよくしているので、僕らもバリスタを採用し続けている立場として、文化の変化で感じたことと紐づけて考えてみました。


みなさんにとっては、こうしたスペシャルティコーヒーやシングルオリジンコーヒーって身近なものになっていますか?

まだまだおいしいコーヒーは、美味しいからこそ伝えられる余地がたくさんあると思いますし、もっともっと身近な存在にもなれると思いますし、もっと飛び抜けて付加価値をもつコーヒー体験の可能性もあります。

特に日本は豆を買って家でドリップする文化が圧倒的に強く、世界的にみてもこんなに家でコーヒーを淹れやすい国はないと感じます。嗜好品だし、いろんな要因で店で飲むコーヒーの値段に幅が出てきたとしても、家で淹れると1杯100円とかで楽しめる趣味です。まだまだ多くの人にこうした美味しいコーヒーは伝えられると僕は思うので、これからも人を大切に伝え続けていきたいと思います。


皆さんのご意見や感想もあれば是非聞かせてくださいー!



川野優馬


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