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お金を持ってて許されるのはスポーツ選手だけ。

年末だ。テレビが何やら騒がしい。
いつもならニュースをやっている時間に、今日は特番バラエティがやっている。

そのバラエティでは今年活躍した野球選手が登場している。僕は野球は全く詳しくないのでイチローとかダルビッシュぐらいしか知らない。
だから、この番組に出ている野球選手は1人もわからない。だが、どうやら野球がすごく上手らしい。

ファインプレー集をみたのだ。

そして、そんな活躍した野球選手はどれぐらい稼いでいるのか?といった文脈で年俸の話になる。

野球選手をはじめとするスポーツ選手は、ドラゴンボールの世界で強さがスカウターに表示される戦闘力で表現されるように、強さが年俸で表現されていると思う。だから、その選手がどれぐらいすごい選手なのかを競技に詳しくない僕のような人間に伝えるには「年俸」という指標を持ち出すのはすごく有効だと思う。

そして、その稼いだ年俸を何に使っているのか?といった文脈で「最も高い腕時計をはめているのは?」だとか「最も高い車に乗っているのは?」といった話題に移った。

共演しているタレントは、「子供たち!野球には夢があるよ!」とでも言いたげに「すごいなぁ〜」と尊敬の声を挙げている。

ここで、僕はなぜか違和感を覚えた。
その違和感を言語化したくて、こうしてノートを書いているの。

その違和感について考えてみると、少し前にみたテレビの番組でのあるシーンを思い出した。そのシーンで、特集されていたのはYouTuberだ。そして、彼らはまるで「楽をして稼いでいる」かのような文脈で語られていた。
また、別のシーンも思い出した。そのシーンで特集されていたのはITベンチャーの社長だ。そこで、彼は「何やらよくわからない怪しいことをして稼いでいる」といった文脈で語られていた。

つまり、僕が覚えた違和感は「お金は価値の提供によって得られるもの」であるのに、野球選手が大金を得ることは称賛され、YouTuberやIT企業の社長が大金を得ることは批判されてしまうというに起因していたのだ。

人間は、物事を自分の中にある引き出しで処理できないとき、その物事を批判するように思う。自分がある物事を理解できないのが自分の知識不足であると思えず否定してしまうのだ。

野球やサッカーなどのスポーツは大人になるまでに一回はやったことがある。そして、そこでその競技の難しさを知る。だから、その競技で活躍するプロの凄さを肌感を持って感じることができる。

しかし、YouTuberやit企業の社長という仕事をやったことがある人はほとんどいない。だから、彼らの苦悩や努力を推し量ることができず、彼らがお金を稼いでいることを尊敬の念を持って受け止められないのだ。

「お金は価値を提供した対価である。」という言葉は真だと思う。

だから、お金を稼いでいる人はみなその分誰かに価値を提供しているのだ。それをしっかりと意識して心から尊敬し、自分もそんな人間になれるように真似をできるところは積極的に真似していこうとおもった出来事であった。

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