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2023-6(終)

結局のところ、Kがいつ亡くなったのか
私は知らない。
ただ、あれこれ調べてみるとKの知人のFBに
それらしきことが投稿されていたので
おそらくは4月の末頃だと推察された。

Kは緩和ケア病棟に入院していた4月の頭に、
頭がハッキリしているうちに投稿を終えようと思います、とFBに書いて、
痩せてベッドに横たわっている自身の写真を載せた。
沢山の知人、友人が彼のコメント欄に
別れと今までの感謝を告げていた。
Kはみんなに愛されていたのだな。

私はメッセンジャーで書く。

私が心底大好きだったあなたに
この世界線で出逢えたことを感謝しています。
今後の荒波をどうか無理なく乗り切ることを祈っています。
この先の旅路でまた逢いましょう。
それでは、またね。

赤いハートのいいねが付いた。


Kが亡くなったと気づいても
私は泣くことはなかった。
結局最後はスマホの画面越しの付き合いだったので
実感がなかったのかもしれない。
それでもKのことをいろいろ考えて
しばらく気分は沈んだ。
近所で高校生のカップルを見かけると
別れる時には言葉に気を付けて、なんて
思ったりもした。
まさか37年前の自分の言葉に復讐されるとはね。

7月、Kの夢を初めてみた。
お見舞いにいったのに会えなくて
帰ろうとしたところを追いかけてきてくれて
ピンクのバラを1輪くれた夢だった。
ピンクのバラの花言葉は「感謝」
Kらしいと思った。

さて、12月の忘年会シーズンになる頃
私は少しずつこの出来事を
他人に話せるようになった。
話した友人には
彼は独身だったんだから、お墓参りくらいは
行ってもいいよねぇ、と言われ
その言葉でなんだか救われた気がした。
(ちなみに現在の実家の場所もお墓の場所も知らない)

そんな大晦日。
いつもの年越しがそうであるように、
紅白歌合戦を観ながら夫と夕食をとっていた。
途中であいみょんの「愛の花」がかかった時、
ふいになにかのスイッチが入ったかのように
涙が溢れ始めた。
今までも何度も聴いたり歌ったりしていた曲だったのに、なんで?と泣きながら思う。

恋に焦がれたひとは ひとは 天の上

鍋の前でおんおん泣いている私を
夫はそっとしておいてくれた。
(毎年紅白歌合戦を観て泣くので
いつものことだと思っていたのかもしれない)

そうか。私はずっと泣きたかったんだ。
あの人を思って、ただ想って。
誰がなんと言おうとも
あの時私がKを愛して、
そしてKに愛されたことは
紛れのない真実だ。
たとえそれがほんの一瞬でも。


嘘みたいな話だが、
その夜、私はKのお葬式に行った夢を見た。
棺の中のKを見ることはできなかったが、
目覚めた時に、妙に気持ちがスッキリしていることに気づいた。

ああ、何もかも終わったんだ。


そして2024年が始まった。

(了)




















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