見出し画像

大学受験は人生のゴールではない、将来へのマインド設定

先日、現地中学2年にあたる息子が、州の提供している『ポテンシャル分析』というプログラムに参加してきた。
『ポテンシャル分析』は、朝から夕方までの一日がかりのプログラム。
通っている学校ではない施設で行われたので、現地集合、現地解散であった。

12、13歳の子どもに、「将来なにになりたいの?」「どんな仕事に就きたい?」と聞いたところで、質問が漠然としているうえ、一体どんな仕事が世の中に存在していて、自分がなにが得意なのか、よくわからないのが実態であろう。
親をはじめ、親戚家族など身近な人の仕事や、俳優やサッカー選手など有名人の仕事、大好きなユーチューバーのようになりたいなど、小さな子どもに聞いた時とさほど変わらない返答をするかもしれない。
そうでなければ、「まだ、わからない」が妥当な答えではないだろうか。

このプログラムは、将来仕事をする際、その子のどんな分野が優れているかを判断する材料のひとつになる。
異なる分野での仕事のロールプレイを体験する中で、担当者が子どもたちの可能性を分析していく。のちに結果が渡され、それをもとに面接が行われる。

しかし、その結果以上にとても大切なことを子どもたちに伝えているのではないかと感じた。

『ドイツの教育』は、将来社会に出るための準備

子どもたちは大きくなった時、自らお金を稼ぎ、生活をしていかなければならない。そのためにさまざまな知識を身につけ、考える力を養い、コミュニケーション能力を向上させ、生きていくうえで必要なスキルを磨いていく。
そして、教育を受ける中で、自分の得意、好きなものを発見し、それを仕事につなげていくことは、自分というものの存在価値を認め、自己肯定感を高めていくのではないだろうか。ましてや、生きていくために苦手なことで嫌々仕事をするよりも、好きなことをしながら暮らしていけるほうが幸せであることは明らかだ。
そのためには、小さなころから、常に『自分はなにが得意なんだろう』『どういったことに興味があるんだろう』と自分に問う習慣をつけることも大切である。

具体的な仕事を体験することにより、子どもたちの仕事への意識も徐々に明確化されていく。わが息子のように、「まったく視野に入れていなかったような仕事が楽しかった」というような場合もあるのだ。そして、彼の仕事に対してのイメージに変化があったことを私は感じ取った。

子どもたちの学校や家庭での学びは、将来人生の半分以上を占める社会人としての彼らの生き方において、とても重要な役割をしている


それに対して、日本の教育はどうだろう。
『日本の教育』は、大学に入ることが目標になっていないだろうか。

「いい大学に入らないと就職できない」といわれ続け、必死に勉強し大学に入学したが、その後、自分を見失ってしまう学生も多いという現実。
幼い頃からの教育が「大学に入ることを目標」としてきたため、大学入学後、なにをすればいいのかわからなくなる傾向にある。

大学入学はあくまで、人生の通過点であり、決してゴールではない

長い人生、大学受験・入学は最終地点ではないということ。
その先を見据えた子どもの将来を、親の私たちは忘れてはいけないと改めて感じた。

人はそれぞれ異なった得意分野を持って生まれてきている。それが人の個性であり、その人らしい魅力となっている。
自分の得意が活かせる仕事は、楽しいのはもちろん、自分の持っている力を使って人に喜びを与えられることへの幸せ、さらには自分という人間が存在することへの価値を感じられるのではないだろうか。

お読みいただきありがとうございます。みなさまからのサポートに感謝いたします。