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【音源付き】初心者向け講座・キースジャレットの偉大さについて考える-オープンマインドとは何か-【Part.2】

Part.2を書くにあたり

私はスピリチュアルに走る評論が大の大大大大嫌いである。(。-_-。) クラシック界には下手なピアニストに限って、ショスタコービチがこの作品を書いた時はソ連の共産党に命を狙われていたとか、曲の背景に必要以上に詳しかったりする。そんなこと言っていないで、そのウンコみたいなテクニックを何とかして譜面に書かれていることを先ずは忠実に弾けと言いたい。(←言い過ぎ!?(;´・ω・))音楽とはテクニックと正しい解釈、表現方法が9割である。その頃ショスタコービチが命を狙われていたとか、糞をしていたとか、佐藤のメンチカツを食べていたとか、そんな知識が実際に演奏に生きてくるのはアシュケナージやバレンボイムのレベルである。三流の演奏家は三流の演奏家なりに先ずは曲が曲らしく弾けるようにテクニックを克服しないといけない。

ジャズの評論を読んでいて、例えばだが「キースは長年在籍していた○○バンドを脱退し、これから音楽家としてどのように活動していけば良いか迷った時期がある。その頃のキースの他の作品を聴くと、曲の至るところに、どこか暗い影を落としているのが見受けられる」といったような記述をしばしば目にするのだからたまったものではない。100万歩譲って、仮にそうだとしても、じゃあ一体何小節目のどこが、和声、リズム、フレーズ等の観点からそのような曲調を作り出しているのか説明しないといけない。ここまで来ると宗教のレベルである。

私の父親なんて、父方の母親が亡くなった時、葬式では悲しそうにしていたが、翌日自宅でNHKの生活笑百科を踏ん反り返ってケツをボリボリかきながら観ていた。上沼恵美子のコメントに終始ゲラゲラ笑っていた。人間辛かったり悲しい時は笑わない、幸せだから楽しい曲を作曲する、音楽とはそういう単純なものではないのだ。

今回もキースの音楽家としての偉大さ、彼が影響を受けた音楽、長いキャリアの中でどのように彼の演奏スタイルが変化したか検証するにあたり、極力スピリチャルな表現を避け、科学的、音響学的、理論的に基づき検証していきたい。またHなオジサンにも分かりやすく時折下ネタを交えて解説していきたい。ちんぽ。それでは参りましょう。

キースジャレット 青年期 

キースと私には意外にも共通点がいくつかある。おっとっと、素晴らしいピアニストだというのは分かっている事だから言わなくてもいいよ(。-_-。) (←殴っていいです)実はそれ以外にも2つある。一つはキースも私もボストンの音楽学校に通っていた事があるという事だ。彼はかの有名なボストンのバークリー音楽大学に通い、私はそのバークリー音楽大学から数ブロック離れたNECという音楽大学に通った。話は逸れるが、ボストンの音大と言うと、世間一般ではバークリーのイメージがあるようだが、実はボストンは音楽大学が沢山ある街で知られていて、バークリーやNEC以外にもボストン音楽院、ボストン大学の音楽科、ロンジー音楽院、ノースイースタン大学の音楽科等もあり、街では楽器のケースを背負う学生を沢山目にする。話は変わるが、キースの息子はジャズベーシストでNECに通ったそうだ。私の先輩にあたる。ジャズコンポジションのクラスを取った時、当時から彼の息子を知る教授のケンはキースの息子について語った。今でも覚えているのが、キースは息子のコンサートやリサイタルには一切顔を出さなかったそうだ。ケンは自分の息子なのに、どうして一度も息子の在学中に学校に来なかったんだととても批判的だった。私は内心、キースのように世界を飛び回っている演奏家となるといくら息子の演奏会と言えど都合をつけるのは難しいのではないかと思ったのだが・・・(・_・;) アメリカでは、子供の学校の行事となると親は必ず顔を出すもので、それはアメリカのドラマを見ても分かるであろう。家庭ではしがないサラリーマンを演じ、素顔はグリーンベレー出身・CIAで働くパパが、国家の緊急事態に対処するため、約束していた子供のベースボールの試合の応援をキャンセルした日に、子供とママから総スカンを食らうのを考えればわからないでもない。

もう一つ私とキースの共通点は、ビッグバンドで演奏をしたいが為に大学に入学したという事である。これは疑惑なので事の真相は分からないが、キースはバークリーの選抜ビッグバンドに選ばれ、そこで録音をしている。これが彼の音楽家のキャリアとして初めての録音になる。彼は録音をした後直ぐに「自身が学べる事は何もない!」と何故か怒って退学をしているのだが、このビッグバンドに乗りたいが為にバークリーに入学したという有力説がある事を著書「キース・ジャレットの頭のなか 」(著:中山 康樹)には書かれている。かく言う私も、高校を卒業し、ジャズの世界に入ったのだが、毎年夏に開催される大学ビッグバンドの甲子園、山野ビッグバンドコンテストに出場したく、洗足学園音楽大学のビッグバンドサークルに一時期出入りしていた。(どうして洗足学園音楽大学に出入りしていたかは次回話そう。)大学生である事がコンテストの出場条件だったので、私は放送大学という通信制の大学、入学費用1万8千円を支払い、晴れて大学生になったのである(違うか)この裏技で、実際山野ビッグバンドコンテストに出場した強者も過去にいたらしい。それなら私も使わない手はない。私は当時21歳だったので問題ないと思っていた。

しかしある日、大会の運営委員会から私の携帯に一本の電話があった。

「もしもし、山野ジャズコンテスト実行委員会のRです。洗足学園のビッグバンドで出場申し込みをしたピアニストの二見勇気君ですか?」

私「あ、はい、そうです(;´・ω・)」

R氏 「あー、去年ね、放送大学で出場する人がいたもんでね。今年からもうそういうのはやめようって、禁止する事に先日運営側で決定したの。」

私「あ、はぁ・・・(・_・;)」

R氏「じゃ、そういうことで。プッ。ツーツーツー(←電話が切れる音)」

1万8千円が数日でパーになったのである。21歳にしては痛い出費であった。それにしても、もう少し、こう、申し訳無い感じで断って欲しかった。あまりにも一方的でため口で、電話開始から15秒で切れちゃうなんて。これでは私の1万8千円が浮かばれない!!( ;∀;)

話は脱線してしまったが、バークリー音楽大学の選抜ビッグバンドに選ばれたキースは当時17歳。彼の次の録音が世に出るのは4年後の事である。
その録音とは泣く子も黙るアートーブレイキー楽団のライブ録音「Butter Corn Lady」である。キースは当時21歳。その若さで、この世に多くのジャズジャイアンツを輩出してきた歴史的なバンドに入団したキースは流石であるが、彼は4カ月の短い期間しか在籍していなかった。この頃アートブレイキー楽団はスランプに陥っていた。時は1966年、ビートルズをはじめイギリスからのロックが本国では流行り、ジャズのマーケットは次第に縮小を余儀なくされる中、アートブレイキー楽団の存続も幾度となく危ぶまれた。

私は偶然にも21歳の時に、キースジャレットが一時期アートブレイキー楽団に所属していた事を知り、彼が21歳の時の録音を聴いたのだが、それは驚いたものである。今のキースジャレットとサウンドが全く異なる(少し面影はあるが、バドパウエルのような黒人のピアノの音がもっとする)アイドル絶頂期を知る天地真理のファンが今の天地真理を観て「こんなにも真理ちゃんが別人になってしまうなら見なければ良かった。(ノД`)・゜・。 あ、でも少しだけ面影あるかもって言われたらあるかも・・・(;´・ω・)」っというような感じである。ジャズスタンダードのキースのサウンドとは明らかに違う。しかし、キースらしいところも随所にみられ、彼が21歳にして既に彼自身のユニークなサウンドを作り上げたことが分かるであろう。

彼の奏法の大きな特徴の一つは、八分音符や16分音符に強いアクセントが無く、フレーズがまるで呼吸のように一本に繋がる、独特なタッチのノンレガート奏法である。

キースに影響を与えたピアニストとしてPaul Bleyが挙げられる事は多いが、個人的に即興のコンセプトやピアノタッチは私はLennie Tristanoではないかと考える。その根拠として、筆者は似ているからと言いたい。そう、似ているからである。根拠なんて面倒くさい事いいじゃーん、だって似ているんだもん。(*^▽^*)てへ☆ (レニートリスターノとキースとの個人的な関係性を探るという事は面倒くさいので勿論しない。もしキースが影響を受けていないと言っていても、多分レコードとかでふと耳にしていたものが無意識に影響を与えていたかもしれないじゃん?(*^▽^*) よし、そうしよう)

楽典的な見地から説明させて頂くと、前述したようにフレーズの音全てが一本に繋がり、この頃の音はとても無機質な印象を受ける。そして、フレーズの間合い・呼吸の仕方がトリスターノに似ているのである。しかしトリスターノと違う点は、トリスターノはコードに対してダイアトニックなアプローチをするのに対して、キースはクロマチックなアプローチなのである。クロマチックとは、スケール的なアプローチで経過音(シャープやフラット)を随所に挟んだようなものだと思って頂ければ良い。キースジャレットの演奏からはビバップのランゲージも随所に見られる。しかし、ニュアンスやタッチが独特なので何とも不思議なフレーズに聞こえるのだ。そして時には大胆にアウト(実際のコードや調性から外れる事)したり、怒涛のビバップフレーズを超速で弾くので、こりゃたまげたである。:;(∩´﹏`∩);:

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以下にYoutubeのリンクを貼っておくので、もしよろしければ聴いて頂きたい。トランペットはチャックマンジョーネである。


次回は、キースがチャールス・ロイドバンドでデビューし、世界にその名を知られる華々しい時代を中心に解説していきたい。

P.S 中途半端な下ネタとどうでも良い話で大分脱線してしまった(;´・ω・)反省。次回はもっと下ネタを盛り込みますよ!(*^▽^*)迄御期待!

参考文献
・キース・ジャレットの頭のなか (著:中山 康樹)
・Keith Jarrett: The Man And His Music(著:Ian Carr)
ジャズピアニスト 二見勇気
Youtube - Yuki Senpai
Instagram - jazzpianosenpai
Twitter - 天才ピアニストゆうこりん ❤


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