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ニューガントーク

Yuko Nexus6著「#tbk_yuko」(ぶなのもり刊)出版記念トーク

2019.03.15 friday at 中野家具(滋賀県彦根市中央町)
企画・主催:半月舎
登壇者:寺村康史(乳腺外科医)、永山夕水(乳がん看護認定看護師)、木下千恵美(がん化学療法看護認定看護師)—以上、彦根市立病院より
細馬宏通、Yuko Nexus6
photo: 正木一彰
書籍「tbk_yuko」の情報は、こちら


御子柴 みなさま、ありがとうございます。彦根の古本屋の半月舎の御子柴と申します。今回はこちらにおられるYuko Nexus6さん、今回「#tbk_yuko」という本を出されたYukoさんの出版記念「ニューガントーク」ということで会を企画させていただきました。まず最初に、会場を貸してくださった中野家具さん、いろいろご協力いただいて、ありがとうございます。 今日は2階の方でも、ワインや食事がございますので、ごゆっくり……会場の飾り付けで花を生けてくださったのは、桜とか沈丁花とか、春らしく香っておりますが、水口にあるお花屋さん「はなのえん」さんというところです。機会があれば、ぜひお出かけください。では、よろしくお願いします。


「Yukoさん、と呼んでください」という患者

Yuko いつもは彦根市立病院でお会いする方々と私服で並んでいるのがすごく不思議なんですけど、私の主治医の寺村先生と、担当のナース、永山さんと、化学療法(抗がん剤治療)の時にお世話になりました木下さんとパートナーの細馬です。細馬と私はこの春、彦根を22年?
細馬 24年。
Yuko 24年かー。お世話になりました彦根を離れて東京に引っ越しますので、なんとなく送別会みたいな感じもあり。ちょっと細馬が30分ぐらいに退席しなければ次があるというので、すいません。なので、まずどうしようホソちゃん?
細馬 えーとね、いやまぁ、こういう会を開くっていうことからも分かると思うんですけども、まああの北村祐子というかYuko Nexus6という人は、ちょっとあの乳がん患者としては、特殊なといいましょうかオープンな……何と言いましょうかね、そういう人だと思うんですよ。で、寺村先生は、こういう患者さんってどうなんですか?。
寺村 ていうかね、最初会ったときに北村さんっていったら「Yukoさんと呼んでください」って言われるんですね。そんな患者さん、あんまいないんですけど。Yukoさんを最初に診たのは前の院長先生。この本にも出てますけど、赤松先生が診られて、その後診さしてもらったんですけど。まあまあ、でも普通じゃないですよね。
Yuko あの、自分ルールとしては「この人は、この場限りの関係性やから友達なんかならんでええ」という人には「北村です」って言いますけど、長い付き合いをしたい人には、私は「北村さん」と呼ばれるのにすごくストレスを感じる、ていうか嫌いなので……。
寺村 でも、それ初対面の時……。
Yuko いや初対面でも、この人とは長らくつきあわなあかん、というときは「Yukoさんと呼んでいただかないと私、返事しないんで」て言う。
細馬 でもねぇ、お医者さんにそんなこという人、そもそもあんまおれへん、というのがあって。あと、乳がんにかかってるということを告知するというときも、こういうスタンスなので……どうなんですか? お医者さんとして「この人、あんまこういう言い方したらあかんな」とか、いくつか気にされてることあるんですか?
寺村 んー。ちゅうかねぇ、乳がんに関していうと、いま告知で、こうあんまり考えずにストレートに言うんですね。いちおう、うち、病院の患者さんでいうと、告知を希望しないっていう、ある目印があってですね。そういう患者さんって、もう無視してるんです(告知を希望していなくても告知する)。
細馬 あ、そうなんだ。
寺村 乳がん患者さんに関しては、もうもう手術するっていうのは、まず間違いないんで。
細馬 目印があるんですか? 何リボンみたいな?
Yuko えっと、問診票を最初に書かされるときに、どの科でも「あなたがもしがんだとした場合、告知を希望しますか? Yes / No」っていうのがあって「No」って書いたら何がんであっても、本人には告知が行われないと思うんですけど。
寺村 でも、するんです。
Yuko するんや!?
寺村 だって、しないと、きっと治療はなりたたんですよ、ねぇ?
永山 まぁ、まず最初の意思表示として、それがずっと一生というわけではないんですが、お聞きになりたいかということは、問診票で確認をさせていただいてます。ま、乳がんの場合は(告知)するんですけど、(寺村)先生は気にしてないって言うんですけど、私たちは気にしてまして。
細馬 まぁ、そうでしょうね。
永山 ま、そこは先生に前もって「この人、こういう風に(告知はNoと)書いています」っていうふうに言うと、気にはされてないんでしょうけど「やんわりした感じで言ってくれてるな」って、見てて思うことはあります。
細馬 執刀するとなると「何かあるな」とバレてしまう。バレてしまう、というと語弊がありますけども。逆にYukoさんの場合は、そこはパートナーとして、すごいサバサバしてるんだろな、と。
Yuko 告知は赤松先生にしていただきました。で、赤松先生の告知のあと、永山さんを紹介されて、永山さんと2時間ぐらい延々としゃべり、で、実際の治療は乳腺外科の専門医である寺村先生が担当されるので、その時に「ご家族よかったら一緒に来てください」って言われ、そして抗がん剤治療を術前にするか術後にするかっていうので選べるっていうんで、まあ こういうスケジューリングでやろうっていうオリエンテーションは、木下さんにしていただきました。
細馬 僕は、又聞きですけどね、永山さんにもお会いしましたが、その、まずちょっと驚いたのは、永山さんがかなり時間をかけて、どっちかというとカウンセリングのようなことで、ずいぶん話し込んでいただいて。僕は、乳がんの患者さんのケアっていうのはどういうスタンダードで進むのかって知らないんですけど、告知のあとそうそうやってこう長〜いこと話しこむっていうのは割とよくあることなんですか?
寺村 いまは無理ですね、きっと。この人いますごく激務をもっているので。
Yuko  4年ぐらい時間がたってるんで、部署が変わられたりして。
永山 もともとイギリスで、乳がん専門の看護が出てきたのは、やっぱり女性特有の疾患であって、告知のあとで、うつなど精神疾患になる患者さんもいるっていうのがわかって(認定)看護師(制度)が出来て認められてきたっていうのもあって。日本でもちょっとそれに似たような感じなものができてきたんですけど、やはり告知後、すぐそのまま、うち琵琶湖に近いのでもそのまま「琵琶湖に飛び込みたい!」っていう患者さんが実際にいらっしゃいます。
細馬 わー。
永山 もうベッドに寝たまま動けない方がいらっしゃったり。Yukoさんの場合は、赤松先生が、そこらへんのケアをとっても重要視されてて、赤松先生必ずそういう患者さんのとき(永山さんを)呼んでくださるので。Yukoさん、ほかにも病気を抱えていらっしゃるので、今度こういう検査もあって、そういうのちゃんとフォローしてくださいっていうことをいわれてたので。そのへんが(どんな)価値観をもってらっしゃるのか、わからなかったので、いろいろ聞かさせてもらったりして、いろんなことがありますが。
細馬 これは言ってもいいことだと思うんですけども、彼女は躁鬱というか、双極性の2型?
Yuko (精神科の)先生は1型だっていってますけれども、いわゆる躁鬱病と呼ばれるもので、双極性気分障害ですね。良い時と悪い時がある。それを、まあ小学校ぐらい、高学年ぐらいから自分で自覚はしていてて、二十代とかすごい働いきながら、だましだましやってきて、ね。まあ三十過ぎて細馬と一緒に彦根に住むことになって。で、ずっと寝たきりとかね、多くなってきて。
細馬 いま、すごいサバサバしてこういう明るい感じなんですけども、本当に布団に潜り込んで出てこないときは徹底してて。
Yuko そこに過去10年間のカレンダーに描かれてる絵日記があるんですけど、それ「パンダ絵日記」って呼んでましてね。パンダというのは私の分身で、いろいろ家事をしたりとかやってるんですけど、パンダが出なくなる時があって、そのときは、もう薄〜いキャラクターしか描けなくて。で、もぅ、パーッとめくっていくと、パンダって体の半分が黒いから、あのメリハリがあるんですけど。「あっ、薄い! このへん薄いっ」ってなるときがあって、そのへん全部うつです。全然なんもでけへんくなって。自分で双極性だってことがわかってるから、そういう記録を残しとかないと、悪くなったときに「前は良くなったやんか」っていうことが信じられなくて死にたくなるということがあるので、必ず日記を残すようにしてます。そして、治療にあたって「#tbk_yuko」っていうのは、Twitterのハッシュタグなんですけど、自分で、自分の発言とかを、後で検索しやすいようにつけるものですけども。これつけて、がんの告知をされた日から、まあ自分の闘病記をつぶやく時はこのハッシュタグ、という風にして。tbkっていうのは闘病記……。
寺村 それは読んでわかります。
Yuko 卵かけご飯(tkg)。まだぜんぜん見てない人もいると思うんで(会場に)回してください。
細馬 それで、だから、そういう調子なので、調子のいいときに話すのは、割といいと思うんですけども……。
Yuko 永山さんも先生も私が「またあかんのですわ」ってずっと言ってたとき知ってはるということですけど。
寺村 でもね、えらいのはね、その、うつの状態でも、病院にはね、Yukoさんは来てくれるんです。もうほんっとうに病院にも来なくなるかたいらっしゃるんですけどね。診察室入ってきた瞬間「ダメやなぁ」いうのがパっと……。
Yuko どよ〜ん。
寺村 見た目も、パジャマ姿いうたら悪いけど……。
Yuko そう!
寺村 それにサンダル履いて、もうもう寝間着でそのまま、いう感じで来られるので。
Yuko 大学の非常勤やってたときも、寝間着のままの出勤て感じでしたね。死にそう……って感じ。前期「北村先生ってすっごい面白い先生だよ」っとかいって、後期の学生さんがすごい期待してたら、死体が出てきた、とか。「みなさん、これやっといてください」って(と放置する)いう感じ。その極端さ。
細馬 あー、それで木下さんの場合は(Yukoさんは)そういう人なんですけど、じっさい化学療法の手順とかそういうのも説明されたりすると思うんですけどもその時に「うーん、この人、どういう言い方したらいいかな」とか考えられたことありますか?
木下 一番最初から、私も「Yukoさんと呼んで」と言っていただいてたんで、もともとそういう(双極性)ご病気もあるということで、最初から、一つの(がんだけの)状況に比べたら、この治療はきっと乗り越えられると思うという風には言われてたんで、細かなことも説明をさせていただいてました。通院で抗がん剤を受けるということは、本当に非日常的なことであって、予想のつかないようなこと、副作用が出たりとか、かなり髪の毛が抜けるのとか外見にも出る副作用もあるので、そのあたりのことをできるだけ目安というか、その日にち、もうあの、このあたりでこういうことが起こる、ということも細かく話させていただいたような記憶があります。
細馬 帰ってくると、そういうことを復唱—「もうすぐこうなるから」というような話し合いがなされて。まぁ、味がわからない、とかね。
Yuko あと、もう、無性にイラっとするんですよね。イラっとするのが激しかったので。
細馬 これはねぇ、もうねぇ、パートナーとして、どんな副作用が出てるかって、距離がとれないんですよね。あの、外に走り出てクールダウンする、とか、そんな感じでしたね。「これ、もうすぐ皿投げる、オレ」とか。
Yuko そーそー、そーそー。
細馬 「ちょっと一周してこよう」とか、そゆことありましたね。
Yuko 私、そういうとき、レタスをかじる。イライラ防止にレタス。
寺村 これ(#tbk_yuko)見てると、実際どんな副作用が出てるかって、まぁ教科書的には書いてあるけども、あんまりこんな具体的には、わからないんですよね。すごく、他の人が読んだとしたら、非常に参考になる……。
Yuko まぁ、乳がんもタイプはいろいろだし、予後もいろいろでしょうし、あと抗がん剤で受ける副作用の強さとかも全然違うと思うので一概にぜんぜん言えないんですけど、まぁとりあえず自分の場合を克明に書いてみた。他に克明に書いてる人は、この漫画家さん(武田一義)が「さよならタマちゃん」……ええと陰嚢がんで、タマタマをとった方なんですけど、この人の抗がん剤の副作用がもう、ものすごい激烈で。ナースが入ってきた、その体温を感じただけで吐いてしまうとか。漫画家だから(見舞客が)「ジャンプ買ってきたよー」って、そのジャンプのインクのにおいで吐いてしまうとか、もうもう1ミリもご飯とか無理無理みたいな。すごい激烈なの描いてはって、それに比べたらなんちゃないな、とか。ほかにもね、すごい難病、とてつもない難病を……大野更紗さんて人とか(「困ってる人」など、著書多数)。ある意味、乳がんていうのはみんなかかるから、ありふれた病気やし、双極性障害も100人にひとりだし、うつ症状に至っては8人にひとりとか5人にひとりだから、ありふれてるんですけど。もう、そういう「誰も仲間がいない」的な難病の人が、むっちゃ自分の病気について書いてたり、頑張ってはる、みたいな、励みになる本がいっぱいありまして、そいで、そういう「病文庫」を展示しております。
細馬 まあ逆にね、今回の本が誰かに読まれて……。
Yuko そうやって「病文庫」になってくれればいいんですけど。
木下 医療者としては、来られたとき……特に化学療法、抗がん剤の点滴打たれるときっていうのは、いちばん元気な日なので……。
Yuko ああ、そう!
木下 それを打ったあとの、おうちでの二日目三日目……あとできいても、なかなか本人さんも元気になるから忘れてはるていうのがあって、まぁそこがすごくリアルに表現されてるので……。
Yuko 多分、私、メモ魔なんですよ。日記マニア。音声録ったりするのも……逐一記録。
細馬 だいたい、このパンダ絵日記にしてもね、まあ僕もこうやって並んでんの見たことなかったから、10年分。思わず2011年3月11日とか見てみましたけど「書類締め切り」って書いてありました。
Yuko あはは。書類締め切りって書いてあって、そこに地震の時間。14:46って書いてあった。
細馬 そのときは、テレビをつけるとああいう映像なので、テレビをつけないと決めた。で、することがないから、そのへん拭いたりしてるって書いてあった。まあそういう、いま、昔の日記を、まぁパンダですけど、パンダが描いてあるんですけど「あぁ、この日こうしてたんだな」っていうのがわかって、ちょっと感慨深いですね……とか言ってる間に、タクシー。いままで司会をしていましたが、タクシーから呼び出しがきましたので、次の会に行ってきます。すみません。なんか置いていくけど、あの皆さんごゆっくり。


しんどいときの愛読書

Yuko というわけで、相方が去りますが、あの……という相方でした。
永山 Yukoさんが病気を、パートナーの方に病気を言われたときはどういうタイミングで言ったりとか、どういうお話を?
Yuko とにかく、なんか多分、その病理医の先生とかが、多分いう「顔つきの悪いがん」? あの、急性的で力が強くて命を奪いがちなヤツかな?
寺村 うん
Yuko それがここ(左胸内側の上側)にできたんですよね。左胸の上の方に、ササミみたいな膨らみが。で、それ、2013年て、春先からほとんど調子が悪くてずーっと寝たきり。まともに、あの生活がちゃんと、朝起きて歯磨いてご飯食べてっていうのができるのが、できたのが3か月しかなかった。あとはぜんぶゾンビのように寝てたんです。で、寝てたら、なんかここに膨らみが。ササミぐらいの。これは、良くないんじゃないかな? お医者さん行かななーって思ってたんですけど、当然うつだから。10月5日に気がついたんです。やっと重い腰を上げてかかりつけの内科医の南彦根駅前の住吉さんに行ったのが、10月25日。「これは心配やねぇ」って話しで友仁山崎病院にエコーとマンモのオーダーを出していただいて、行って。その場で返事もらえるのかな、と思ったら住吉さんに結果を送りますって。翌日、住吉さん行ったら、なんか変に待たされて。その間ずっと冷や汗がこのへん(脇の下)から流れてて。「なんで私の方が先に来てんのに、あの風邪ひきを先に呼ぶわけ? 私にはめんどくさい話をしなあかんから、簡単な風邪の方を先にしたんやな」とかって、もぅ頭の中が、ものすごい「もぅ、あーもうだめだめだめ!」な感じで、そんで診察室入ったら「やー、結局わかんなかったんですよ」って言われて「あああ……」って(腰が抜けそうになる)。で、なんかちゃんと乳腺外科のある病院に、あの細胞診?。
寺村 組織診。
Yuko 「組織診してもらった方がいいよ」っていわれて、どこにします? 市立病院もあるし、どこどこもあるし」ってときに、市立病院、前なんか、なんやったかな、どっか別の科にかかったときになんかいい感じ……。
寺村 ええ感じ?
Yuko ええ感じやったから「じゃあそこでお願いします」って、行ったら、赤松先生て人が組織診をしてくれて。「じゃあ●日後に来てください」って言われて行ったときに「いやぁ、あんまりええもんじゃなかったですよ」って言われたときは、むしろ「ホっとした!」みたいな。あの、今までずーっと猫……子猫の首根っこを捕まえて吊り下げてる状態? 足が床につかなくて猫が暴れてんねんけど、その宙ぶらりんになってる状態がずーっと一週間ぐらい続くわけなんですよ。で、いつ宣告されるのかみたいな感じで、もぅ超ビクビクしてるから。もう心配し疲れた頃に、赤松先生に「あんまりようなかったですね」って言われたときには、猫の足が着地して「ホっとした!」もうその時点でホッとしてる感じでしたね。まあいろんなケースがあると思いますけどね。でも告知されるというのは、やっぱキツいというか、しんどいことだと思うんですけど、そっから先、治療していかなあかんかったり、なるべく生き延びようという方向でいくわけなので。もちろんそこで死を選んじゃう人もいるわけでしょ?
寺村 うーん、まあ、おられなくはないですよね。
Yuko きっとね「もう絶対私は一切治療を受けません」とか、あると思いますけど、選択だと思うんですけど。でも、先が長い話なので……。
寺村 なんか暗なってますよ。
Yuko 暗なってる!? なんか明るい話ない?
寺村 まぁ、むっちゃ詳しく読んだわけちゃいますよ。
Yuko はい。
寺村 でも読んでるとね「これ、お得」っていう言葉がけっこう何回も出てくるでしょ?
Yuko うん、うん。
寺村 木下さんとこ(通院化学治療室)行ってるときでも、けっこう2、3時間いますよねぇ。その間、ほぼつきっきりやから、なんかね、感じでいくと、そのエステに通ってるような雰囲気……。
Yuko そーそー。抗がん剤入れるときっていうのは、一回3万円だから! 一回3万円で、しかも! ナースが、一人のみならず二人ぐらいのナースが、完全装備で、ずーっと私の手足をキチっと見て、ケアして「なんかあったら、すぐ言ってください!」って「あぁ、じゃあチャンネルをNHKからMBSに変えてもらえますかー?」とか。「ちょっと本読みにくいんで、枕あげてもらえますかー?」とか「できる!」って。「一回3万円エステ、お得や!」って。で、抗がん剤入れるときっていうのは、元気だし、すぐに入ったとたんに副作用とか出ぇへんから、それに8階で、羊とかね、犬上川とか、すごい見えて、すごい(眺めが)いい感じやし、なんか……「最高!」みたいな。
寺村 ははは。
Yuko そんな感じで、その2日後ぐらいに家で地獄が始まんねんけども。ま、根っからの大阪人というか「絶対に得せな承知せえへん!」ていう、なんかあるんやったら、元取るとか、この経験からめっちゃお得な何かをゲット……本当に、そのなんか……もう赤ちゃんじゃないのに「赤ちゃん筆を作れてラッキー」とか、ね。いろいろあるんですよ。抗がん剤で毛が抜けるって、頭だけじゃなくて眉毛も、体毛も、こういうところ(陰部)の毛も抜けたのが、抗がん剤をやめたとたん、何週間かする、モサっと!「え、なにこれ、青春っていうやつ?」みたいな。なんか十歳ぐらいの子供が思春期? 十二歳ぐらいとか(の経験が)できるやん!「めっちゃ得やん!こんな経験誰もしてへん!」ていうので。私、わりとメカニックなものとか毒物とか殺人とか戦争とか残酷とか残虐とか大好きなんですよ。だから自分の体ん中に毒物入れてるって「かっこいいなぁ!」と思ってた。
寺村 超かっこいい(笑)。
Yuko あのね病文庫にもあるんですけど、どうしようもない殺人事件があるじゃないですか、洗脳されて殺人、みたいな集団殺人とか、それを事細かに書いた文庫本とかあるじゃないですか。うつになると、それしか読めなくなるんですよ。多分自分が生命の危機に至ってて「あわよくば死んでしまいたい」状態になってるときに読める本っていうのは、楽しかったり癒されたりするもんじゃなくて「この最低限の自分よりももっとひどい状況」を見たくなる。精神科の先生に「最近戦争映画ばっかり見てます」って言ったら「あ、そうですか」って言われた。
寺村 ほー。
Yuko 戦争映画しか見たくなくなる。なんかね、あと虐げられた人の話とか、あと洗脳によるマインドコントロールで無茶苦茶になった学生運動の内ゲバ時代の話とか、オウム真理教の話とか、そんな暗黒の文庫がガーっとありまして。それは、私が元気になったときには、そういう本が本棚に並んでると不愉快というか、暗いというか嫌な感じがするから「これは古本屋、半月舎に持っていって売ろう」と思うんですけど「いやいや待て待て。いま調子いいけど、あんたまた具合悪くなるで。そしたらこのなんとか殺人事件の本がどんだけあんたを癒してくれたと思うの!?」って、そういう本はもってってあります、東京に。大事な本だから。そういうものを読みたくなる。だから、本当に病んでる人に必要なのは「癒し」っていう感じより、そういう本になったりするかもって気がしたり。でも、本当に千差万別なので、これは個人の感想に過ぎません。
寺村 今の自分よりもっとひどいのがあるっていうのを自覚したい?
Yuko そうそうそう! だから、私は戦争を知らないけど母が空襲の話をうんとしてくれた。で、その彼女は、テレビでその戦争もののドラマとかやってても「でも、こんなんやない。こんなにきれいじゃなかったし、なにより臭いもしない」って。
寺村 それは大阪空襲です?
Yuko 彼女は和歌山ですね。で、家なくなっちゃった。焼かれちゃった。母の父つまり私の祖父は、軍医で……。
寺村 なんか包茎手術してたって?
Yuko そう、包茎手術の第一人者で、すごかったらしくて。四十過ぎて、もう招集されないと思ってたのに、中国に軍医としてやられたから、けっこうしんどかったらしいんですけど。帰ってきて、もう和歌山に医院とかないから、大阪の十三で、泌尿器科専門だったので、十三ってすごい盛り場だから自殺未遂の風俗のおねえさんが運び込まれたの家族全員で胃洗浄、夜中に胃洗浄するとかあったらしくて。あと泌尿器科は、実は包茎手術がすごく多くて、おじいちゃんが死んだとき、すっごい立派なお葬式で。そして「ありがとう!」みたいな「先生のおかげで僕、結婚できました!」っていう人がいっぱいいたみたいで。えっと、母は四人兄弟で、上に兄がいて上のおじさんは放射線科が専門で、どこだか医大で看護学校の教授かなんか、もう定年退職してると思いますけど、容姿がなんとなく赤松先生に似てて。母の弟にあたるおじさんは、茨木で開業医してますけど、内科やけど専門は産婦人科で、容姿がなんとなく寺村先生に似てる。なんか私にとって、いろいろ……(展示してある病文庫の)このへんが乳がん体験記なんですけど、お医者さんが怖かったり嫌いだったり信じられない人のケースがけっこうあって、先生と喧嘩するとか、病院を変わるとかいろいろ書かれてるんですが、私にとってお医者さんて、親戚のおっちゃんって感じがしていまして。はい、勝手に。
寺村 これ読んでるとね、あの、麻酔科の先生すごく気に入ってるでしょ?
Yuko そー! かっこいーよねっ!
寺村 麻酔科の、きっとあの先生やろな……と。T先生。
Yuko T先生、超かっこいいよね! 麻酔科の先生が……なに!? あの彦根市立病院のあの風習は、なんなんですか? 
寺村 あの、ひざまづくとか?
Yuko 長身のハンサムな初老の……。
寺村 若いよ。
Yuko 若いけど、大人な先生が白衣で、サーっと来て……。
寺村 今日、ここに来る前に、たまたまT先生、医局に来たんですよ。今日これがあるから「T先生、これ行ってくるんですよ。書かはった本にね、先生のこと、むっちゃいい風に書いたある」っていう話をしてたんです。ベッドサイドにひざまづいてくれて……って言うてたら「腰が痛かっただけだと思います」と言うてましたけどね。でもね、けっこうみんなにそうしてはる。
Yuko 「明日、麻酔を担当します何々です。なにか心配なことがあったらおっしゃってください」……それだったらその、その人だけのことかなっと……。でも、次、看護師の男性の人が「明日手術を担当します」(ひざまづく)。これって風習なんかな? って思て。「なにこれ!ホストクラブ!?」て思て。
寺村 それも「お得」て書いてましたか?
Yuko そう、お得。あ、あと、抗がん剤入れるときに最初、先生が打ちに来てくれはったやんか。
寺村 あれ、昔は主治医でないと駄目だったの。
Yuko 「なにこれ? 初回サービスぅ?」みたいな「医師自ら」みたいな?
木下 あの、抗がん剤入れるときに、その「ほわ〜」っと気持ちよかったというのは、あのワンタキソテールの中にアルコールが実は含まれていて。いまは改良されて、ドセタキセルというものの中にはアルコール入ってないんですけど。当時は入ってたので、さらに良かったのかも。
Yuko そーか、そーか。
木下 ごく少量なんですけど。
寺村 溶かすためやね?
木下 そう、お薬溶かすため。
寺村 お酒ぜんぜんダメな人って、その抗がん剤打つともう入れた瞬間出るやろね。
Yuko 気持ち悪くなったり?
木下 もう、ぐっすりイビキかいて寝る方とか。
Yuko 吐き気がする方もいるでしょうね?
木下 でしょうね。お酒のアレルギーで、ちょっとなかなか難しい難しいときもありますね。(アルコールが入ってるのは)薬剤によって少数、ですけどね。
寺村 赤いのも入れました?
Yuko 赤いのは入れてなかったと思う。TC療法でした。で、そのTC療法っていうののパンフがね、あって。「こういう仕組みですよ」とか「こういう副作用あるかもしれませんよ」っていうのの後に、また日記を書くとこがあるんですよ! 体温と体重と体の具合を書いてみましょう、と。書いてしまう! むしろ、あたし日記病なんちゃう!? アホちゃう!? みたいな。
寺村 貴重品やね。
木下 細かい!
Yuko あ、でもここ(TC療法パンフの裏)に、大変失礼な寺村先生の似顔絵が。
寺村 これ? こんなんかいっ。
Yuko はい。これ(TC療法パンフ)回してください。
観客(橋詰さん) これは似てるな!
寺村 ちなみに幼馴染なんです。
Yuko えっと、醤油屋さん?
寺村 お醤油屋さん。うち、もともとそこにいた……50mもないねぇ?
Yuko そのお醤油屋さんが、「先生んとこにカラーテレビを見に行ったら寺村少年は勉強をしてた」っていうね。
寺村 いやいや。逆にね、むっちゃ覚えてるのはね、今はね、それぞれの家でコーヒーをねドリップして飲むってあるじゃないですか。小さい頃にね、そんな飲み方をするおうちって、きっとなかった。インスタントコーヒーはあったかもしれんけど。この橋詰家はね、さっき聞いてて、お母さん亡くなったって聞いて残念なんですけど、それでね、コーヒーを淹れてくれはって、飲んだ覚えがあるんですけど。
橋詰 うち来てた?
寺村 うちの父がよう行ってた。
橋詰 お父さんよう来てた!
Yuko うちの父方の祖父も、大正生まれの人間だけど、すごい趣味人で、コーヒー豆こうてきて、こうやって挽いて淹れてたっていう……。
寺村 もしかしたらコーヒーはねぇ、父親がどっか大阪行ったときに買ってきてっていう感じあったかもしれん。
橋詰 めっちゃ仲良かったね、親父同士は。
寺村 ていうのもね、ここの倉庫は知らんかったんですけど、向かいの向かいの、その、だから家具屋さんっていうのは昔からあって、なんていうのかな、ここは「カロムの聖地」みたいな。
Yuko カロム(彦根特有のゲーム。インドに起源があるとも?)の聖地!
橋詰 もと、作ってはった。
寺村 もう作ってはらへんのですか?
橋詰 もうやめちゃった……?
Yuko でも、すごい展示してはりますよね?
橋詰 おじさんが、もうカロムのチャンピオンとかいう……。
寺村 いまは関東に住んでるんですけど、知ってはるかどうか知らんけど、僕の一番上のいとこが、あの、自分で今「日本カロマーズ倶楽部」とかっていう NPO作って。ここの家具屋さんの二階に、カロムなんかありません?  
橋詰 今はやってはりませんわ。
寺村 今はありません? 今も誰か一時やってたことありません? 「ここの二階やってますよ」って聞いたことが……。
橋詰 へー。
寺村 その、いとこから通して聞いたんですけど。
橋詰 今いろんなとこがカロム作ってますから。仏壇屋さんが作ったり。
寺村 きっとどこかで。うちのいとこも、どっかで頼んでると思うんですけど。そのいとこは、Amazonでカロム台売ってるので、よかったら買ってあげてください。
Yuko 寺村先生って、なんか彦根弁じゃなくて大阪弁な感じしますね?
橋詰 岐阜弁やろ。岐阜で大学やったから。
Yuko 自分の母語で病院にかかれるのはありがたいことだな、と思いました。つまり関西弁がしゃべれるっていうのは、いいことやな、と。これが例えば東京の病院だったらどうだったのかなとか。あとナースが、若いギャルなナースが、めっちゃベタベタの彦根言葉。おばあさん達のケアをしてはるから、多分「……してくれてはんの? してくれてはりますよね?」みたいな感じで。私は彦根市立病院の雰囲気はすごく好きで。
寺村 ニモもいますしね(ロビーに熱帯魚水槽がある)。
Yuko ニモ最高ですよね。他にも、羊もいるしね。いやいや、なんかそんな感じでふらふらとしゃべってきましたが、そろそろ、なんか休憩でもはさむ? ご飯など食べて。15分後ぐらいに。


医療者≒酪農家説

Yuko まず、会場から質問をいただく前に、お三方、せっかくの機会ですし、この際みなさんに伝えておきたいこととか。
寺村 何に関してですか? 自己紹介ですか?
Yuko まぁ、医療者としての……固くなっちゃうか。
寺村 あんま仕事してへんの。
橋詰 せんせ、まず、どういう人間かまず言うというのは?
Yuko ここ(彦根市中央町)の出身者としての寺村先生の歴史をちょっと言っていただきたい。
寺村 生まれたのは……僕、自宅で生まれてるのかな? 僕は知らないけど、なんせ実家が、ていうか家が、ここから50mほど先の、この中央町の通りに面してるとこにあって、今駐車場になってるのかなぁ……に、高校卒業までいたので、きっと橋詰さんには会ってるとしても、もう50年は経たんけど47、8年は経つんですよね。ここに住んでたりしたことがあったんですけど。ここ微妙に、今どうか知りませんよ、学区の境目で。城西小学校学区と、城東小学校の学区に……境界よね。きっと、この建物のあるところは城西学区なんですよね。で、同じ側にあるのに、橋詰さんとこは城東学区やから微妙な位置で。今はいないけど、某医者も、すぐ近くに住んでて、まぁくん(橋詰さん)とは一緒に小学校通学をしてたんですね。で、彦根の市立病院には、えっと飛びますけど、今から十三、四年前に赴任してきてですね。それから丸十年は常勤医をしてて、そこから今「失敗しないわよ」じゃないですけど、フリーターになってですね。
Yuko あー、そうなんや。
寺村 今、病院には週2日しか来てないけど。今なにしてるかというと、週末といわず、なんか走り回ってる。きっかけは、こないだ調べてると九年半ぐらい前に、シティマラソンてあるじゃないですか、彦根の。なんか病院のスタッフと出よう、ということになって。3km、5km、10kmてあるんですかね。とりあえず3kmは子供も走るから、5kmを走りましょうということになって。その頃5km走らないかんからゆって、1kmも走れなかって、なにも運動してなかったので、それがちょっとしたきっかけだった。そこから数年はあんま走ってもいなかったですけど、ここ数年はけっこう一所懸命走ってて。このこのシーズンは、フルマラソン何個走ったっけ? たしたかフルマラソン4つ。ウルトラ2つぐらい走りました。
一同 えー!
Yuko 診察室でいろんな話題があるんですけど、私がニプレスでかぶれたって話をしたら……。
寺村 貼るんですよ。
Yuko 貼るんですよね、男性も。
寺村 あれは、かぶれるんじゃなくて、貼らずに走ると、もうこのへん(胸)ね、血だらけになるんです。
Yuko スレて……プロのマラソンランナーも?
寺村 貼るんちゃいますかね? まぁ、下なに着てるかにもよりますけど。バンドエイドなんか、けっこうすぐ剥がれてしまうんで。
Yuko あー、そうなんや。
寺村 普通のテーピングするテープでもええし、透明の防水テープでもええねんけど、みんなそんなん貼ってるんちゃいますかね?
Yuko やー、ニプレスええかな? と思っていっぱい買ったんですが、なんか私ちょっとかぶれやすいみたいで、かぶれちゃうから、いっぱい余ってるんですよ。みなさん「夏のおしゃれにどうぞ」って感じなんですけど。
寺村 最近はどやろ、多いと月300kmぐらい。少なくても月150〜160走ってるって雰囲気ですね。
Yuko すごい。
橋詰 切ってはいるんですか? 病院で。
寺村 切ってはいますけど、いちおう。そんな毎日をしてます。
Yuko 「医者は激務だ」っていう話があるじゃないですか。寺村先生も8時には病棟回診をしてはったしね。で、夜の7時8時ぐらいに、うちのおかんに「明日はこういう手術の術式でやります」とか解説してたし、その時点で12時間勤務になってるし。で、土曜日も現れて私のドレーンの管抜いてくれたりとかして「すごい!」って思ったんですけど、それは。IT系のプログラマーとかがバグ出しをめっちゃやるじゃないですか。「このバグを突き止めねば、俺は寝れない」って感じなんかな、と思っててんけど、どっちかいうたら酪農とか農業に近いんかな? と思って。「あの飼い葉ぐいの悪いのはどうなったかな?」みたいな感じで、厩舎を回るような感じで病棟回ってはるんかなみたいな……。
寺村 そんな感じやないんですけど……話は変わりますが(笑)、来月(2019年4月)働き方改革法案通ったので執行されるじゃないですか。で、やっぱり医者は普通の労働者と思われてなくて、以前から研修医なんか人間と思われてないところがあって。で、今度の新聞にも載ってるからご存知かもしれませんけど、一般の社会人って年間の上限って決まってますよね。医者の上限って、年間ね、1680時間まで働いていいことになってるんです。医者はね、1日5時間までは許しますよって。
Yuko 残業を?
寺村 そそ、時間外勤務。まあまあ、そんだけ働いたら過労死するお医者さんもいっぱいいるよね。
Yuko なんかね、あの、うちの祖父が町医者やってたって言いましたけど、うちの母がね、なぜ父と結婚したかっていうと、当時の町医者は、朝も昼も夜もない。もう往診往診また往診。「先生来て」「助けて!」もう常にスタンバイ。それがThat’s 医者やから、それを支えるお祖母ちゃんとか、休まる暇がない。帰ってきたら「すぐ飯にせえ!」
寺村 まぁまぁ、開業医さんのこと、どうこう言うわけやないけど、そういう開業医さんもも、まぁいっぱいあるでしょう。そういう生活したくないからってゆって開業される先生もいっぱいおられると思いますよ、もちろん。
Yuko 当時は、医者と結婚したら、大変な目にあうって思ってたから、サラリーマンを選んで結婚して、私が生まれたっていうわけですね。
寺村 まああのー、これから結婚される人は、外科医は選ばんほうがええんちゃうかなって思います。
Yuko なんでー?
寺村 外科医が、なり手が少ないっていうのは、やっぱり大変なんですよ。大変やし、手術をするっていうことにリスクを背負うわけで。まあまあ100%うまくいくわけではないので。でもしないといけないこともあるわけで。常にいい風に評価されるわけではありませんし。外科医の嫁さんか旦那さんが知りませんが、オススメではないです。
Yuko あの「がん業界」ってあるじゃないですか。いまは外科医が主ですけど、勝俣(範之)先生とかオンコロジスト(腫瘍内科医)も、最近頑張ってはると思うんですけど。がん業界は、お金が回るんですよねー、すごいねー。これ私のフォルダなんですけど、がんの。赤松先生に告知されたときに、まずこれ(書類を入れる箱)家にあったこれに、がんの物件全部入れようと思って。早速いっぱいもらうじゃないすか。ね、こういうの(パンフレット類)。なんて立派な、色刷りの、きれいな、お金のかかった印刷物。私は2002年から精神科に通っておりますが、こんなものは、いただいたことがございません。というわけで、がん業界ってやっぱりお金が回ってんねんなぁと思って。それに対して精神科っていうのは、自殺者が3万人を超えた時点で、国も「ちょっとこらいかんな」って思ったらしいけど、でもまだまだなんか、けっこうないがしろ。大事なはずなのに、ないがしろやなって思ったですね。あと、私……展示の間とかに、そこのスピーカーから自分の録音作品とか流してるんですけど。音を録音することを活動にしてて、それで田舎とか呼ばれて行ったりするんですよ。アートで町おこしとかね。で、限界集落とか行くと「24時間働いてんのちゃうか?」って感じの人がいて。もう70歳近くの人が若手って言われてて。青年団の若いもん、てのが60〜70歳で、全てをやっててね。そういう人が朝、地引網ひいててね、朝の3時から。それから朝ごはん食べて、それから畑見にいって、何とかのおばあちゃんとこちょっと心配だから行って、みたいなね。それからJAの会議や、町おこし委員会や、祭りの準備や……そういう人にインタビューしたいと思っても、もう超忙しくてアポ取れないですよ。
寺村 このへんも、ちょっと離れたらいはりますよね、そういう人。
Yuko フリーランスで、このように自分の意思で決めて働こう、という感じで決めて働いてたら、結構長くても、まぁOKなのかな? みたいな。働き方という問題は、その、数量的に決めれる部分と、そのなかに、どれだけ非人間的なものがあるのか? とか、どれだけ自己裁量の部分があるのかとか。
橋詰 自営業やったら、時間軸が自由やから。自分で決められるでしょ? 先生方は、やっぱり時間軸が決められちゃってるから。
寺村 ていうかね、潰しはきかんですよ。ほか、することないので……。
橋詰 先生方、決められた時間内でパフォーマンス出さなあかんから。そこがちょっと違う。与えられた時間のなかで、できるかできへんか。
寺村 いや、でもこれ読むまでYukoさんが、なにしてたかって、僕、知らんかったんですよ。聞いてもいないしね。
Yuko 診察室のコミュニケーションって、そういうところが面白くって、すごい断片的な関係性ってのが面白いですよね。


ぶなのもり

寺村 ぜんぜん関係ないけど、ちなみにね「ぶなのもり」ってどこの出版社?
Yuko 埼玉県で。これも、私がん保険に入ってたから……。
寺村 「お得」って書いてあったよね。
Yuko はい。お得ながん保険で。うち、父方が全員がんで。自分は二十歳代の頃から鬼のように喫煙してたんで「これは、がんにになる違いない」と思って、もう二十歳代の頃からがん保険入ってて。営業のA社の営業の人が、事務所来た時に「あの、がん保険にご興味のある方いらっしゃいますか?」って言われて「は〜い!」って。その人、すごい簡単に契約取れたからびっくりしちゃったと思うけど。がん保険がおりたから。そして今、高額医療費制度とか色々あってお得なので、あまったんですよね。あまったお金で(#tbk_yukoを)作りまして、自費出版っていうつもりやったんやけど。そういえば二十歳代のときに友達やった、あの出版社を始めた美保ちゃんどうしてっかな? みたいなんで連絡して。これ(#tbk_yuko)を作る前に、まずダミー本を作ったんですよね。あの、これ「7000円のメモ帳」って呼んでるんですけど。これを、印刷所で、体裁だけを作るっていうのをね。見本誌みたいなん。これを持ってって「あのさー、いま、こんなん作ってんねんけど」って言ったら「じゃあ何部刷る?」って言われて。そこから全国流通にものせられます、アマゾンでも売ってます……これが本当に私のがん保険の残りのお金で自費出版だったら、私が手で売るだけだったのを、一応部数が増えて、流通に乗ったっていうのが、良かったな、と思ってます。
寺村 どうして「ぶなのもり」ってつけはったんか、は知らんよね?
Yuko それは知らん。彼女(小倉美保さん)が言うには「ぶなっていうのは……」
寺村 いま、すごい、ないんですよ。
Yuko すごいきれいな森っていうイメージやけど、ぶなっていう文字は木へんに無と書く(橅)。使い道がないっていう、昔はディスられてた木……。
寺村 昔は炭になったりね。ぶなのもりっていうのは、すごい水を蓄えるんですよね。ご存知ですか?
Yuko 白神山地とか?
寺村 ていうかね、こないだ京都の芦生の森って行ったときのガイドさんに聞いた話では、普通の、例えば桜の花咲いて葉っぱが出て散るでしょう? あれ桜の葉っぱなんてね、すぐ朽ち果てるんです。でね、ぶなの葉っぱってすごく丈夫でね、一年たっても、まだ葉っぱの形であるんです。何年かたって朽ちていくんやけど、それがね、言うてみたら絨毯みたいなん。
Yuko ふかふか。
寺村 ふかふか。水も溜めるしね。
Yuko 彼女の気持ちとしては「使い道がない」ってディスられてるようなぶなのもりは、すごいポテンシャルをもってて、すごくいいもんやっていうのに打たれて、ぶなのもりっていう出版社名にしたみたいですけどね。
寺村 日本はね、政策として杉の木を、滋賀県もいっぱい植えてるけど。彦根にある開業医の先生が、僕すごい尊敬する開業医の先生がおられて、さっきも限界集落の話になったけど、多賀の方いったら限界集落いっぱいある。一つの限界集落の周りに、その先生、一所懸命、もう二十数年前からぶなの実を植えてはるんですよ。ほんで、もう何本も植えはるんですけど、鹿が食べるし、雪降ると倒れるしね。生き残るんはそのうち何十分の一か知らないんですけども、一緒に行くと「これ二十年前に植えた木です」とか言って、それでもこれぐらい(約1m)かなぁ? もし行かはるんなら、多賀の保月(ほうげつ)っていう。河内の風穴いくときに、途中からずっと右に入っていくと、鍋尻山っていう山の中腹に保月っていう……話それましたけど、一所懸命植えてはるし「いいなぁ」と思て。植えるだけじゃなくて、山の下草刈ったりするときに、ぶなて、けっこう伐られてしまうので、ぶなを見つけると、タグつけはるんですよ。「後世にぶなを残してください」っていうをタグ付けたり、そこにその鉄の杭を指しておいたり。
Yuko 街でもそうやし、野なかでもそうですけど、いろんな人が一所懸命なんか愛情込めて何かしてるなーっていうのに会うとなんか、なんかいい気分になると言うか……。
寺村 もう行くことないと思いますけど。
Yuko 保月……。
寺村 梅雨の時期に行くと、間違いなくヒルに噛まれますけどね。
Yuko みなさん自分の肩書きいろいろあると思うんですけど「医師」とか「看護師」とか。私は、自分で勝手に「遠足家」っていうのを作りまして、常に、いろんなところに行く人、として自分を規定しているので、彦根を離れても、絶対なんか面白いことあったら来ちゃうし。呼んでもらえたりしたら、それこそラッキーやし。関東も、私、首都圏の人とか好きなんですけど、関東の、ええとこもあるけど、すごいギスギスした競争社会みたいなとこもあるから、そこに飲まれてくと、しんどくなっちゃうから、やっぱり月に1回ぐらいは「ちちんぷいぷいを見に来なあかん!」と思ってんですよ。
寺村 へー。
Yuko そういう感じで、もぅ。だから、これで終わり、とか、そんなんじゃない。あと皆さん、ご質問のある方どうぞ。


合わない医者とは、どうつきあう?

観客A すみません、いっぱいあるんですけど。私も乳がんをやって11年なんですが、Yukoさんとの関係っていうのは、先生、何百何千いる方のうちのお一人だと思うんですが、Yukoさんとは特別なのか? その向き合い方の感じを……。
寺村 特別? あー、どうやろ? Yukoさん、普通じゃないからね。
観客A あっはっは!
Yuko でも、そういう言い方っていうのは「この人、普通じゃないから」って言って「一般社会人から、あんたちょっとズレてるよ」っていうディスりにもなってますから。
寺村 ディスり!?
Yuko あのね、言い方として「あー、あなたはアーティストだから素晴らしい! あたしなんかダメ」っていうのは、はっきり言ってディスりなんですよ。「あたしアートなんか理解する気ないし、あんた一般社会人ちゃうし、変態やから」って言ってんのと一緒なんですよ。
寺村 普通じゃないって言い方は悪いかもしれんけど、その、なんていうのかな……目立ちはするよね。
Yuko 目立ちはするよね。目立ってナンボやから。
寺村 その、なんていうのかな、まあ患者さんはけっこういますよね。その、パッと患者さんで思い浮かぶ上位何人かには絶対入ってきますね。どういう意味でかっていわれると……。
Yuko 「めんどくさいやつや」とかさ。
寺村 (笑)めんどくさい……。
Yuko 「うるさ型」とかさ。でも「こういうトークやりたい」って言ったら「3月に予定してて……」って言ったら「15日の金曜日やったら空いてるよ」って言ってくれるこの軽さもすごいな、と。「え、来てくれはんのや!?」って。
寺村 そりゃ、半強制的やん。「どの日空いてます?」っていう雰囲気できいてきはるから「行かなあかんねや」って……。
Yuko え? 来てくれはんねや! って。
永山 わからないですけど、私が知っているなかでは、先生、全般に垣根が低いので。私がついてないときは、患者さんのいろんなこと、たとえばご家庭であったこととか、よく話してくださったり。Yukoさんにお会いしたときも「Yukoさん、て呼ばなあかんねやで」「あ、はい。わかりました」みたいな。こう素直に言ってくださったり。患者さんも、先生としゃべった後に、必ず私に報告しにくてくださったりして。「先生、マラソン行かはったんやで。永山さん知らんの?」って感じで、病気とは関係ない話を、会話を普段されて。聞きどころも先生なかなか上手くって、なかなかお話できない人も……。
観客A 乳がん看護認定看護師っていうのはいつ頃から?
永山 えーとですね、私が八期生なので、十三、四年前で。いま滋賀県で三人いまして、一人はあのちょっと違う、病院とかで働いてないんですけど、私ともう一人が大津日赤にいて、向こうの方が断然若い方なんですけど、同期で入らしてもらって。まぁ当時は一か所(認定看護師の資格が取れる場所。千葉大学)しかなかったので、まぁ、全国のそういう方(認定看護師候補者)と会って、いろいろ患者さんと話して、困ったらそこに相談したりとかそういうことで。まぁ女性の皆さんって、私自身も中3高3の母親なんですけど、たいてい皆さん家族もってると、家族中心で自分のことって後回しになったりして。なかなか、家族であっても、自分の話が、おうちで出来なかったりっていうことも多くいらっしゃるので。女性特有の病気でもあるので、まあなるべくそういったところに入れるようなんですけど(乳がん認定看護師の役割)。言うてもお金にならない、病院に貢献してないっていうので、私は今、地域連携室長っていう大役をいただいてまして、国も地域包括っていう……これも医療の話なんですが「病院だけじゃなくて地域で」ていうことも、なってきてるので、という大事なところなので、行かさせてもらってるんですが。それと仕事もありながらなので、今日も再建する形成の先生に「患者さんが、なかなか、こう、後押ししてあげる人がいないから困ってる」ということも、すごいいろいろおっしゃっていただいたり。(自分の)役割は周りの先生に認めていただいてて……。なかなかその病院って今、経営……彦根の病院て、よく長浜と比べられるんですが、Yukoさんの本には、いいこと書いてるんですけど、私たち働いてる者には、なかなかいい話が入ってこなくって。まああの、それはそれとして、自分たちのやるべきことはやってみようと思ってるんですけど。というような感じで、全国的に(乳がん)認定(看護師)はいますけど、いろんな仕事と掛けもち……。
寺村 そういうたら、最初の診療で2時間しゃべったら、むっちゃお得。
Yuko めっちゃお得! カウンセラーやったら2万円ぐらい?
永山 やっぱり、診断受けられて、結果どう思われて、どういう生活してて、どういう人たちがこの人をサポートしてて、この人、帰った後にちゃんと話が出来たり、素直に言葉が言える人がいるのか? 一人悶々と思っちゃうんじゃないか? とか、実際、告知後、ちゃんとおうちに帰れるか、までお話を聞こうという。だから2時間ていうのは、そんなに、ザラで。半日ぐらい寝ながらずっとしゃべってた方も……。
Yuko 完全倒れちゃって?
永山 完全倒れちゃって。半日ぐらいが過去最高なんですけど。あの、ちょっとほっときながらも、仕事しながらも、なんですけど。そこそこ、そこで関わらせてもらうと、価値観とか家族背景もわかってくるので、先生はもう、治療で「パンパンパン!」って決めていくんですけど「ここ、お子さんの行事があるんで、ズラせるものならズラしてもらって」とか。やっぱりその、人生の通過点のひとつにすぎないので。(治療している)当時はね、治療がメインになっちゃうんですけど、まあそれは本当に生活の通過点ですよね。病気のことで、いろんなものが犠牲になっちゃうと、後々その病気が悪いことのようになっていったりとかすることも多くって……。
Yuko そういわれてみれば、過去に自分が体験した、例えば受験とかの期間が、私の、がん治療期間と似たようなもの……なにかを我慢しなきゃいけない、とか、つらさに耐えるとかっていう。でもそれは通過していくもの、っていう。
永山 だから治療期間とは別に、まぁ1年ぐらいは、ちょっとやっぱ気持ちもしんどいので……でもそこから「また戻っていけますよ」っていう保証してあげたりする、ことをすることが多いですかね。なんか違う話ですみません。
観客A なんか夢物語みたいで。先立たれたあとに病気になって、全部一人でやってきて、一緒に抱えてくれる人がいなかったですんで。なんの違いなんでしょうか? 彦根のその病院行ったら、全部抱えてもらえるんでしょうか?
寺村 そら無理やな。
永山 いや、あのぅ。もちろんマンパワーがあったり、タイミングがあったりするので、いま「無理か?」って言われたら、私も「無理」って言うと思うんですが。でも、今日、会場にすごいスタッフが来てくれてるんですけど、外来の看護師がすごいんです。電話をかけてきて、「この人ああで、こうで」って言われるんだけど、そこで私も「無理やなぁ」とかって思う時とか、もうこれ以上な、と思っても「でも、こうなんです!」って言って「来てください」とは言わないんですが、すごくその患者さんの背景を言って……。
観客A それは昔からですか? 彦根の……。
寺村 永山さんが外科の看護師に入ってきたのって何年前になんやっけ?
永山 だいぶ前になりますね。それは、あの、多分入ったときですね。私が入職した当時。いきなり「がんです」って言われて、号泣されてて、どうしていいかわからなくって声もかけられないし。その患者さん、今も来てらっしゃるんですけど。その患者さんたまたま再発されたので「実は私、その当時のことを鮮明に覚えててって」って言ったら、その患者さんも覚えていらっしゃって「看護師さんがいたけど、なにも声もかけてもらえなかった」っておっしゃってて。そういう経験をして、その再発のときは「本当に謝りたかったけど、なかなか言えなかった」ということで、うやむやにしたことがあるんですけど。今は法律ができたりとか、がん拠点病院ができたりとか、就労支援しましょうとか、していきましょうって時代にはなってるんですけど、やっぱりなかなか、そうじゃないときや、やりたくても病院が認めてくれない時期もありましたし。私は、たまたま先生とかに、すごく助けていただいて、認定の試験も……私も看護師なのに、5つぐらい学校落ちてるので、そんなに賢くないので、まぁ、周りの方がすごく助けていただけたり、サポートしてくれたりとかしたので、まあそういったところ(千葉大)に来れたり。子供も3年と5年のときに、半年千葉に単身赴任で行ったんですけど、子供にも「お母さんは絶対必要だよね、一人しかいないし。そういった大変なお母さんが世の中にはたくさんいてね」っていう話をして「あんたたちは、半年なんで大丈夫だよね」っていう話をして、あの千葉に半年……。あのー、それで一回試験に落ちたんですけど、落ちたときに、いろんな患者さんの顔が思い浮かんで「申し訳なかったな」って。なんとか次は受かりたいっていう思いで。ただまあ、半年子供を置いてっていうのは、親としても躊躇したときはあったんですけど。まぁあの家族が応援してくださったのもあったので。全員ではないですけど、基本的にがんの細胞が出たら私に電話するシステムを作ったので(患者さんが)いつ来るかは、わかるのでそこに自分が名前を入れといて。行けなかったりすると赤松先生に「お前は要領が悪い!」ってすごい叱られたりして。そうしながら、フォローしてくださる外来スタッフがすごく優秀なので、それで救われてますかね。彦根ではそうです、はい。ぜひ皆さんにおっしゃってください!
観客A 手術は他県でして、その1年半後に彦根に戻ってきたので……。
寺村 ただねぇ、病院変わらはったわけですよねぇ。なんとなくね、自分が執刀してない患者さんていうのはね、やっぱりちょっとね、関わり違うと思います。それは必ずあります。
観客A 私の主治医「瞬間湯沸かし器」ってあだ名なんです。
寺村 だいたいわかりました(笑)。
観客A 途中で変えてもらいたいって思ったんですけど「もう一人の先生は、すごい心配性やから、検査ばっかりしはる」っていうから……。
寺村 もしかして、機関銃みたいにしゃべるやつでしょ?
観客A 看護師さんに怒鳴らはる、怒らはるんで……。
寺村 いや、もう絶対わかりました!
Yuko 医療機関受けるとなったら、ちょっとでも得したいから、いろいろ質問したいタイプなんですけど、その段階で「ちょっと黙ってくれる!?」とか「まず説明します!」とかって、バシっと切る先生っていうのは、ちょっと私は合わんな。
橋詰 合わんけど、そゆときどしたらええの? ぶっちゃけ、先生。瞬間湯沸かし器におうたときは、どしたらええの?
寺村 どうする?
橋詰 僕らは、同期で大学病院行ったやつとか、探したらおるから、そこへ聞いて「ここに穏やかそうなやつおるから」とか探して行くと思うねん。ほ(そ)の手がない人とかはどうしたらいいの?
Yuko そういう人は、ピシって言われて、もう行かなくなって、医療不信になって……。
橋詰 僕は男やから乳がんにはならんけど、ほかのがんになったとするよ。そのとき「こいつ嫌いや!」って、行かんようになって、ほっといて、ステージ4に進んで……。
寺村 ほっとかれると困ります。
橋詰 えらいことになるんで、そこらへんの見合い……それは我慢した方がええの?
寺村 それは(患者が我慢することは)必要ないんじゃないんですかね?
橋詰 所見がちゃんとしてあったら、それは従うしかないの?
寺村 セカンドオピニオンというのは患者さんの権利なので、例えば、まあ気に入らんな……気に入る入らんじゃなくて、納得できないな、と思ったとしたら「ほかでも話聞きたいので」って言って怒る医者はまあ少なくともボツやと思いますね。
橋詰 ただ、我々じゃわからんわけですよ。情報が100%「ここがええ」とか……。
寺村 それは、そういう意味じゃなくて……。
橋詰 評判だけで聞くだけやったら、怖い。
永山 それは確かにそうですね。それはよくある話ですね。自分の実父も、主治医のことボロカス言って「変わる!」って言ってたので。それも、話聞きながら整理して「変わったらいいよ。でも、その先生、こういう風に考えてるよ」って説明したら、続けていってますけど。あの、なかなか先生も、診察の時間も限られてますし、何人も診ていかれるので。本当に合わない人って合わないですよね。でも、どこまで合わせられるかって考えて……実際、主治医を変わってもらったこともあるんですけど。ほかの病院を紹介して薦めたこともありますし。その患者さんが治療していくなかで、やっぱり関係性がないと難しいなあというので。ただまあ、先生だけじゃなくて、チームで医療をしているので、相談窓口が必ずあると思うので、そういったところに声をかけると同席してくださったりとか。患者さんと整理してお話しして、同席していると、案外(キツいことを)言われなかったりするので。患者さんの代わりに代弁することもあるので。まあそういう相談部門に行かれるのがいいと思うんです。案外けっこう、双方の話聞くと、そんなにたいしたことなくて、ちょっとかけ違ってるだけっていうこともすごく多くって。そこでまたお話しすると、スムーズになったりするんですけど、本当にダメなときはダメで。
Yuko 「患者力」っていうことでNPOやってらっしゃる方がいて(コムルの山口育子さん)その方はずいぶん前(1990年)に卵巣がんになって、病名を告知されないまま、一年間だか三年間だか病院で抗がん剤治療をされ続けて、自分のなかで、なにが起こってるのかまったく知らされないまま、ずっと耐えてたっていう……。
寺村 それ、すっごいいろんな病院まわってはった人ですか?
Yuko いや、違うと思うんですけどね、私のこの手書きのぐちょぐちょのツィッターのなか(#tbk_yuko内)に、その人の個人名が一個あるはずなんですけど、検索できない。手書きだから。
寺村 なるほど。
Yuko 手書きツィートの部分は……これがプリントアウトで。これを元にこの本ができてるので。ラジオ深夜便でね、その人がしゃべってて、その人は大変な、いまで思うと前近代的ながん治療を受けちゃってて、しんどかったんだけど「いや、患者の方から力をつけて、こういう風に先生に質問するテクニックは、やっぱりあるだろう」とか、いろんな患者力の上げ方を、いろいろ言うてはる人がいて、女の人で。「うん、うなずくなぁ」と、ラジオ深夜便を聞いてました。


犬に追いかけられないためにはどうすればいい?

寺村 ひとつ、僕どうしてもききたかったのが(#tbk_yuko)見られたら、その術前術後の写真が載ってるから、公開してはるからお聞きするんですが……それ以前に術前の写真は、教科書にも載せたいぐらいの、見てくれたらわかんねんけどね、これね、あの「エクボ兆候」て聞いたことありますか? 
Yuko そう! これさー、もう、怖!(#tbk_yuko 20-21pの写真)って思いましたよ。これっ。見て!
寺村 ここにね、凹んでるとこあるじゃないですか。ひきつってくぼんでるでしょ? 
Yuko これは、自分で鏡で見てもわかんなかったし、写真に撮られてはじめてわかった。
寺村 これ、いい写真やね。「ここにがんがある」ってわかる。
Yuko こんなに鮮明にがんが写ってるよ〜って。
観客A それは何年前ぐらい?
寺村 それは手術直前でしょ?
Yuko ええと12月かな、2013年(手術は翌年の4月)。
寺村 ここひきつってるじゃないですか(左乳房の下部)。
Yuko 私が気づいたしこりはここなの(左乳房の上部)。私は、こっちには、まったく気づいてなかったし、寺村先生が「ここにもあるんだよね」って言うけど、でも触ってもぜんぜんわかんない。だから、こっち(上部)のがんのおかげで私は、今生きてると思うんですよ。下のだけやったら、多分、今でも気づいてないし、それやったらステージがガーンと上がってたかもしれん。ここで、プックリちゃんができたおかげで。
寺村 手術前のことはええんですけどね、切った後の、術後のも載っとるんですけどね。どっちかっていうと、肥厚性瘢痕っていってね、一般的にはケロイドっていってね、Yukoさんの傷ね、目立つんです。普通の人からすると、出来としてはね……出来っていうのは、手術がどうのこうのもあるかもしれんねんけど……。
Yuko 執刀医としては残念?
寺村 そうそう、ちょっと残念なんやけども。これね、今、見るとね、これ、どう思わはるんですか、個人的には? 意外とね、これアクセントになってるんちゃうかなぁ、と(笑)。
Yuko 最初は、手術前は「あ、切るんやな」って思って。私は、いろいろ、髪を変わった色にしたりとか、いろんなファッションを試したりするのは好きなので。せやけど痛いのはあかんので、タトゥーとピアスだけは無理なんですよ。だけど、保険診療内で、超プロが、ザックリ、めっちゃ変わった身体にしてくれるんやから、めっちゃお得や!
寺村 また「お得」や!
Yuko で、この身体を手に入れたわけなんですけど。術後すぐは二時間に一回ナースが来て、ガーゼ開けて「わー、きれいですねー!」って言って。それは、多分、寺村先生の手技が素晴らしかった……多分、いろんな傷をナース見てるから。「ああ、きれいなんかな」って思ったけど。痺れるし、ジンジンするし、気持ち悪いし。はじめて自分の傷を見るとき……私、傷とか血ぃとか、あかんのですよ。戦争ものの映画とかめっちゃ好きやけど。実際の傷とかは……注射とかも、刺してるところは絶対見れないから「うああ」とか思って。自分の体が閲覧注意物件ですよ。もう、本当にガッカリ。お風呂に入るたびに鏡があって、自分の身体が「うわぁ……」って。もう、私の身体は、自分の今までの身体じゃなくて、怖いもんになってしまった。「バケモンやん、こんなん!」みたいな。そもそも覚悟はしてたし変わった身体になりたいから再建はしない、とか。再建する人の方が大半やと思うですけど、今は。
寺村 そうでもないですよ。
Yuko そですか。でも、再建するには、いろいろ痛みとか、私の苦手な痛みに耐えなあかんのやったら、無理! 胸を失うんじゃなくて「胸を切った身体を得る」という風に捉えられなければ、克服できないやろ、って思って。それでもやっぱり「うああぁ」みたいな感じになるから。永山さんとか、瘢痕の部分がね、ケロイド状になっているので、このまま放置すると、傷んとこ、ひび割れができるのかな? 乾燥しちゃったりすると。
寺村 まぁ、そうでもない。
Yuko 「保湿成分のあるものでマッサージしてください」とか「擦り込んでください」とか……「触られへんて! 怖いやんっ」みたいな。「切ってんねんで、ここ!」っていうのがもう何か月もありましたね。それを相談したら「患者さんのなかには完全に電気を消してお風呂に入ってる人もいますよー」とか、いろんな情報くれはるんですね。まあ、そんなところから。でも、本当に、もう、なんか、ガッカリ! あったもんがなくなるのが悲しいの当たり前やけど、もう夜な夜な酒飲んで泣くんですよ「うぇ〜ん!」みたいな感じで。もうでも、そこでこれを、隠すとかっていうのしたら、一生隠さなあかんし。私としては露悪的というかこんな傷を人様に見せるなんて大変ぶしつけなことですよって言われてもしょうがないんですけど、私の物事の解決法としては、なにかから逃げると、それは必ず追い続けてくるから。野犬から逃げると、犬は追い続けてくるので立ち向かう、とか、あの、犬の方を向くっていうか。
寺村 この銭湯の写真は、最初に行ったときに撮らはったん?
Yuko 銭湯は、これは最初の銭湯ではない。京都の銭湯ですね。最初は、大阪の下町まち歩き会みたいなときに、友達と「みんなで銭湯に行ってみよう」みたいな、いまどき銭湯のあるとこなんか珍しいからって。で「私、乳がんで切って、傷はすごいザックリしてるけど」っていって「見るぅ?」っていって。「あー、そうなるんですかー」「そーやねーん」みたいな。そうやって、皆んなで女湯に入った友達に、自分の身体を見てもらうっていうことをしてると、なんとなくその「私は新しい身体を得たな」っていう方向にちょっとずつ、自分の身体が「マイナスで」「醜くて」「怖くて」「最悪なもの」「マイナス!」っていうのから、こうなんとか、違う方向にもってくっていうのが実際的にできるのは、女友達と銭湯に行ってみる、とか……。これ、英訳がついてるのは外国の人にも見てもらいたいと思って頑張って訳したやつを、ネイティブのケィティちゃんっていう子に、スカイプで「あー、英語ではこういう言い方しないんだよねー」ってガンガン直されて(笑)。お母さんが乳がんになった、フィリピンのマニラ在住のアーティストの女の子が、まだ彼女三十歳ぐらいだけど「私も多分五十歳ぐらいになったら、私もあなたのような身体になるんだろうなって思いながら読みました。それはとっても怖いことだけど、そういう準備をする機会をくれて、ありがとう。日本はまだ寒いかもしれないので、マニラの明るい日光の写真を送りまーす」っていう、素敵なメッセージをいただきました。
寺村 今日、ここにあの本ないですね。これ(#tbk_yuko)書き出す前に。Amazon.comで買ったって……。
Yuko ああ、これ(http://www.thescarproject.org)。乳がん体験本は、すごくいいのがいっぱい出てるんですけど、実際ビジュアルがあるのは非常に少なくて、私が唯一見つけたのがこれですね。カナダ人のCM撮影とかファッション写真とかのフォトグラファーで、多分パートナーが、がんで亡くなったのか、サヴァイバーなのかわかりませんが。この人は「三十五歳までに乳がんと診断されて手術を受けた人」三十五歳まで、っていうのは恣意的なものだとは思いますけれども、とにかくその、とても高齢というわけではなく、まだ女性として結婚したり子供を産んだりするかもね、みたいな。あるいは、若い女性はきれいな乳房をもってるものだよね、みたいな年代の人が、病を得て、手術をして……ああ、この人は多分亡くなっちゃったのかな? 写真を撮るつもりだったけど(黒い四角が印刷されている)。「スカー・プロジェクト」。「スカー」っていうのは傷跡のことですね、英語で。これ、とっても良くて。オススメです。


コンビニの唐揚げと自殺衝動

寺村 Yukoさん、ちょっと……。
Yuko あら、もう9時すぎてるじゃない!
橋詰 後ろの方、質問……。
観客B お話し聞いて、まだ全部読んでないんですけど、後ろの方見て、すごく知性を感じるボディになられた(術後の写真)。
Yuko おぉ〜。
観客B すごくパーソナルな話なんですけど、私、アトピー性皮膚炎で、すごく身体が……だから、進行形なんです。Yukoさんの場合、きれいな部分と、がっつり「無い」部分と(はっきり分かれてる)っていうんじゃなくて、ずっと経過が……ひどいときは、うつじゃないですけど、ずっと寝てたりとか、起きないし。物理的にジュクジュクやしドロドロやし。で、Yukoさんと一緒で、そこまでグロいのとか読まないんですけど、現代物とか読めなくて、時代物とか過去のものをタイムワープして……。
Yuko わかりますっ!
観客B で「大草原の小さな家」だけ、ホッコリが許せる(笑)。で、お話聞いてて、私は、絶対死ぬことはない病気なんで……。でも、ここにいる女性の一人か二人は乳がんか子宮がんか卵巣がんになるって確率であると思うんですけど。そうしてなったときに……私も、ひどいときに「死にたい」とは思わなかったんだけど、死ぬってなんか能動的で、体力がないとできないなって思うんですけど「消えたい」とは思いました。なんかのキッカケで消えれたらな、って思うんですけど「死ぬ」ってできない。で、Yukoさんは、死が隣り合わせにある病気で、今も治療されてると思うんで、きくのすごく失礼だと思うんですけど、そういう状況にあるときに、2時間お話をされたって聞いたんですけど、双極性障害をもってはることで、もう「死にたい」ということがあったとしても「生きていたい」とか「生きたるで!」って思うキッカケっていうか……土壇場になると、そう思えるもんなのか、先駆者として、多分私のなかで……。
寺村 先駆者!
観客B そうもっていけたモチベーションていうか、それが知りたい。
Yuko あの、友達が、すごいいいこと言ってくれて「死ぬのは、皆んな死にますからねぇ」って。そらそやんねぇ。だけど具体的に死が迫るっていうのは、告知を受けるとかで。すごく残念なことに、男性ばっかりなんですけど、告知を受けて3か月ぐらいで若くして亡くなってしまった知り合いが二人ほどいたんですよ。膵臓がんとか肺がんだったんですけど。その人たちの、余命がわかっちゃったときの慟哭とか、ものすごいものがありまして。私の場合は、まず全身検査で「転移がない」っていわれたときに、あの、ひとつの安心。それから治療のプログラム乗っかって、例えば部分摘出ではなく全摘すると、どれぐらいのパーセンテージで、生き抜く可能性が増えますよみたいなエビデンスがあるわけですから、あと抗がん剤とか、いろんなエビデンスがあって、確率が上がる方向を取ってるわけですよ。「乳房温存したいから、部分摘出で是非お願いします!」って言ったら、やりましたよね、先生?
寺村 しない。
Yuko あ、しない? 
寺村 もう無理! Yukoさんは、ですよ。
Yuko あ、そうか。3か所ぐらいあったから。
寺村 ああ、2か所。
Yuko で、後からみてみたら(術後の病理検査)3か所あったっていう。
橋詰 じゃあ、とって正解?
Yuko 私は、もともと部分摘出とかより、バッサリいった方が生きる可能性が増えるなら、そらバッサリやろ!? って方向なんですよね。で、死についての考え方っていうのは、大きく違うのは、精神疾患の場合、究極的には「殺される恐怖感」ですね。自分の脳が狂って、狂った自分の脳にストーカーされて「いつ殺されるんやろ?」みたいなのが精神疾患で。がんていうのは、具体的に、スーパー細胞ですよね? もし人間が、がんと共存できたら、人間は永遠の命を得るかもしれない、というものすごいパワーを持った新生物だから、そのへんについては立花隆の本(がん 生と死の謎に挑む)がすごく良かったですけど、それについては、むしろ「がん細胞さん、尊敬しちゃう! 宇宙一の存在ちゃう?」ぐらいのすごさなんで。で、パンダ絵日記にもね、ふわふわっとした新生物くんたちが、闘病のときに一緒に毎日暮らしてるさまが描かれてるんですが。がんは、本当に、切れますし、もし、私はそんな、人のことは言えないけれど、もし私が全身転移して、がん細胞に私が命を奪われるとしたら、昔、自分のお祖父さんやお祖母さんが、病気で死んでいったかのように死ぬのであろう、ということで、なんとか諦めをつけると思うんですけど。あの、ストーカーに殺される恐怖感っていうのは、本当にハンパじゃないっす。数日前に、野球選手が広場恐怖症で飛行機乗れないって言ったでしょ?(ロッテ永野将司投手)あの人の気持ち、もんのすごくよくわかって「飛行機乗ったら死んじゃうかもしんない」「あんたなに言ってんの?」やけど、その人にとってはもうそれしかないから「ごめんなさい。俺、なに言ってるんか、ほんま皆んなわからんやろけど、怖いねーん!」っていう状態。自分の脳が狂ってて「お前が飛行機乗ったら、お前死ぬぞー!」みたいな感じで襲ってくるんですね。脳のなかに敵がいるので、怖いんですよ。ほんで、その人にそそのかされて「絶対絶対もうコンビニで唐揚げ買うのやめよ!」って決めてんのに「うーん、どうしても食べたい!食べたい!……買っちゃったぁっ!」みたいな感じで「あー、死んじゃったー!」みたいな感じで。多分そういう、コンビニで、ダイエット中だから買っちゃいけない唐揚げを買っちゃうかのように、電車に飛び込むんだと思う。だから、昔の武士みたいに「私は今から死にます!」みたいな覚悟で飛び込んでんじゃなくて、軽い気分で「唐揚げ買っちゃったぁ!」みたいな感じで「飛び込んじゃったぁ!」みたいな感じで、日々、人が死んでると思います。その唐揚げの比喩を書いた人は、ツィッターでうつ漫画描いてる人なんですけど「わかる!それ!それ!」って感じで。
寺村 それをどうやって乗り越えましたかって質問ですよ?
Yuko ああ、それは、もうガタガタ震えながら、ワイパックスというお薬(抗不安薬)を飲んで、布団のなかでじぃっとしているしかありません! 私のマンション一階で良かった。次の東京のマンション2階で良かった。11階だったら、今頃いないですよ、私ここに。「唐揚げ食べちゃえー!」みたいな。
橋詰 そうなんや!
Yuko 衝動。
橋詰 逆にいうと老人性うつとは、ちょっと違う感じ?
Yuko あぁ、違うかもねぇ。あの、最悪、うつでしんどすぎるときは「死のう」とかいうパワーも出ぇへんから、布団のなかで生ゴミ状態で腐ってるだけ。
橋詰 じゃあ、躁なん?
寺村 躁になるとき、とかいいますよね?
Yuko 激烈な躁を体験された北杜夫先生とかは「俺は空を飛べるぞー!」っていって、飛び降りそうになったから、家族全員で止めたとか、ね。
御子柴 宴たけなわではございますが、先生方もYukoさんも、まだいてくださると思いますので……。
Yuko 明日あさっても、ここで展示を開けておりますので、病文庫やパンダ絵日記をゆっくり閲覧され、お話もできますので。
御子柴 今日は、長い時間、ありがとうございました。 

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