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蔭と陰をみつめて |わたしの真心と対話する方法

家族連れやカップル、グループで、
車内はにぎわっていた。

今日は天気がいい。晴天が広がり、
風も爽やかな日曜日だ。絶好のお出かけ日和。
自然と顔もほころぶだろう。


あっという間に、
叡山電鉄の終着駅・『八瀬比叡山口』へと
たどり着いた。

街の喧騒から離れ、緑豊かな場所。
乗客は次々と車両から降りていく。
それぞれが比叡山に向かうケーブルカーや、
テーブルに映る青紅葉が有名な瑠璃光院るりこういんの方面へと散っていく。
わたしもその流れに乗って、電車を降りた。


駅を出るとすぐに川が見える。高野川だ。
透明度の高い川の水。
夏になると、ここで川遊びをする子どもたちが集まってくるのだ。

その川沿いで、もくもくと
煙が上がっているのが見えた。
若い人たちが集まって、
バーベキューをしているようだ。

もうそんな季節だなぁ。
バーベキューしたいなぁ。

彼らを横目に、川沿いをてくてくと歩く。

手のひらに何枚収まるだろう。
川沿いの小さな青紅葉が美しい。

今日は特にあてはない。
ただ何となく
この場所に来ようと思っただけだった。

観光名所に行くつもりもなく、
川沿いで休もうと思っていたが
すでに満員御礼。
とりあえず、道なりに歩くことにした。

瑠璃光院を通り過ぎると、
その奥へと道が続いているのが見えた。
どうしても人が多いとわかっているところに
足を踏み入れる気にはなれない。

自然と奥の道へと足が向いた。

一応GoogleMAPで、現在地を確認する。
この奥には御蔭みかげ神社があるらしい。
そしてそこから歩いて
修学院駅のほうに戻ることができるようだ。

距離的にちょうどよいお散歩コースになりそうだ。御蔭神社を目指して歩くことにした。

御蔭神社へ続く参道


ほっとする木漏れ日


入口に辿り着く。
えっと、御蔭神社の由来は…と。
鳥居の横に看板を見つけた。

なんでも、ここは下鴨神社の奥宮なのだそう。御祭神の賀茂建角身命かもたけつぬみのみこと玉依媛命たまよりひめのみことの『荒御魂あらみたま』が降臨するところとのことだ。

『荒御魂』というのが、わからなかったので
すぐにGoogle先生に聞いてみた。

検索結果によると、
「活力に溢れていて、文字通り荒々しい力をもつ魂」のことを意味するようだ。

「勇ましさ・向上心・前進する力・達成力」
という力があると言われているのだとか。
とにかく元気いっぱいな神様の魂、
ということのようだ。

そして毎年5月12日(新暦)、
日本最古の神事「御蔭祭みかげまつり」があるとのこと。
年に一度、荒御魂が新しい気(エネルギー)へと生まれ変わるようだ。

なんだかとても、
生命エネルギーの満ちる場所へ来たようだ。
生まれたてのような、
生き生きとしたエネルギー。

ここから始まる新鮮な感覚。
自然と気分がワクワクした。




御蔭神社のあるところは、
御蔭山と呼ばれている。
由来は「太陽のただ射す所」。

それを『御蔭』というらしい。


御蔭の由来は、こちらに



わぁ。なんとおしゃれなんだろう。


「太陽が射すところ」なら、
わたしなら「日向ひなた」と連想するだろう。

でも昔のひとは、
光ではなく、かげに着目した。
(もしかしたら他の意味合いがあるかもしれないが)

そして、光が当たるから木々が生い茂る。
そして陰ができる。
蔭は、陰に草冠。

この場所は、文字通り
木々が生き生きと生い茂り、
心地よい木陰がある。


『御蔭』とは、光の当たるところも
陰になるところも、全てを包み込む。

なんて優しい名前なのだろう。

お参りをして、少し休んでから
この場所を後にした。

不思議と心がすっきりしている。
外の心地よくなびく風と、
こころの内側に優しく穏やかに吹き抜ける風を味わいながら住宅街を歩く。

そして、この半年の出来事を思い返していた。

わたしは特にこの半年の間、
自分の陰となる「弱さ」に気が付かず、
既に傾きかけている自分を
無理に補おうとしてきた。

その結果、心と身体のバランスが崩れ、
コントロールが効かなくなった。
立ち止まらざる終えなくなった。

自分の意識ではどうにも休めず、
体が強制的に休む時間を与えた。

この急展開に、わたし自身が一番驚いた。
けれど足りなかったのは、
自分のこころとの対話だったと思う。

昨日も、我慢していた喉のつっかえが
ひとつ取れたようで、

自然と涙があふれた。

でもひとしきり泣いて、
また新たに自分の想いに気づけた。
だからこそ、今日がとても
穏やかに感じるのだとおもう。

今なにが怖いのか。
今なにが不安なのか。
気持ちが「いっぱいいっぱいだ」と
感じたのはどうしてか。

何に重たい気持ちを感じているのか。
今なにが一番ほしいと思っているのか。

今、わたしに何をしてあげたい?

この2ヶ月は特にしつこくしつこく
自分のこころに問いかけ続けた。
人から尋ねられることもあった。


なんでだろう。

あれかな、これかな。

うーん…、やっぱり違うな。

今しっくりくるのはこの感覚かな。

ピッタリはまるのは、この言葉だな。

こんなふうな具合に。

そして内側から湧き上がる言葉の数々を、
ひとつひとつとらえるようにした。
それを重ねていくことで、
初めてわたしの「本音」があふれ出してきた。

自分のこころと、やっと繋がった。


すると張りつめていた緊張の糸が、
ゆるんでほどけていく。

ここで初めて、
わたしのこころに「緊張の糸」が
ずっと張り詰めていたことに気がついた。

自覚している以上に、
随分と緊張感をもちながら
日々を過ごしていたのだと知った。


自分自身のことは「陰」を見てあげないと、
その姿カタチは
わからないものなのかもしれない。

「自分を知る」ことは、死ぬまで続くだろう。


このタイミングで御蔭神社に来れたことも、
何か縁なのだろう。

「神様が応援してくれている」

神道的な考えからは、
そう解釈できるのかもしれない。

あるいは自分自身が、
自分のことを応援できる準備が
できたのかもしれない。

荒御魂と今再生している自分とを、
そっと重ね合わせた。

「うん。大丈夫。」

空を見上げて、前に伸びる道を見つめた。
そう胸を張って言える自分のことが、
今はとても頼もしい。

これからも、ぶつかる壁は出てくるだろう。
でもその度に、

やわらかいこころで生きる

と自分自身におまじないを
かけておこうと思う。

そして、
わたしの蔭と陰をみつめていく。
それがわたしの真心と対話をするということ。

それはきっとこれからも
わたしの生き方のスタイルのひとつとして
磨かれていくことだろう。


「蔭」について
↓こちらの記事がイメージとしてわかりやすいです。https://www.osaka-shoin.ac.jp/life/report/2020/05/p=45840

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