潮風に包まれて歩く旅|みちのく潮風トレイル・石巻市(後編)
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みちのくの「自然」
いただきます、海の恵み
海の幸が、とにかく美味しすぎる。
「めちゃくちゃ美味しいから食べてほしい!!」
今回の旅のお供であるAちゃんが紹介してくれたのは、ホヤだった。
見たことのない生き物。貝なのかな?と思ったけれど、どうやら貝ではなく、原索動物の一種で、かなり高等な生き物なのだそうだ。
女川駅の近くの鮮魚店で「蒸しホヤ」を買い、夜ご飯のメニューにした。ぷりぷりした歯応えがあり、パクパク食べてしまう美味しさ。
そしてもうひとつ初めて食べたのが、鯨。しかも、お刺身でいただいた。
鯨は、牡鹿半島(女川から太平洋に伸びる半島)の鮎川港で捕れる。しかし、この土地でさえ鯨を新鮮なお刺身で食べられるのは貴重なのだと、鮮魚店の方が教えてくれた。
にんにく醤油で食べるのが、最高に美味。
これは間違いなく、食体験の経験値が上がったと思った。
旅先で普段食べられないものを味わえることこそ、旅の醍醐味だなぁと思う。
コンビニ間隔で現れる漁港
地図を見て、漁港の多さに驚いた。わたしが歩いた雄勝半島では、少なくとも5つ以上の漁港を通過した。まるでコンビニ間隔。トレイルを歩く道中で、漁港が一つの目印だった。
小さな漁港を中心に集落ができている。海がそばにある港町の風景は、何度見ても癒されるものだった。
海は驚くほどの透明度。晴れの日だけでなく、曇りの日でも海の透け感がわかる。エメラルドグリーンに煌めく海で育つ恵みを、わたしはいただいているんだなぁと知る。
大切にしたい風景だなと感じた。
自分ごとになった「震災」
震災遺構・大川小学校を訪ねて
「自分ごとになる」とは、自分とその対象との間にコネクトができることだと思う。
MCTのルート上には、東日本大震災後、震災遺構として残された大川小学校がある。ニュースで何度も取り上げられていたので、その被害についてはほとんどの方が知っているだろう。
ここは一度訪れてみたいと思っていたので、今回MCTルートを計画するときの決め手の一つであった。
国道238号線沿いを歩いて釜谷地区に入る。そこは異様なくらいの静けさだった。
人の気配がしない。わたしの横を度々車が通るし、ずっとカエルの鳴き声がしている。風もぴゅうぴゅう吹くのだけれど‥‥、「しん」としている。今までにない感覚だった。
これは歩いていたからこそ感じたことだと思う。釜谷墓地にある十本ほど桜が満開だった。
大川小学校は、外観のみ見学することができる。「チュンチュン、チュンチュン」と、絶え間なく鳥が鳴いている。今は鳥たちの棲家になっていた。
筒抜けとなった校舎。柱に巻き付いたままのカーテン。曲がった配管。コンクリートから鉄の棒が剥き出しになっている。渡り廊下らしきものは、崩れ落ちたまま保存されていた。中庭のチューリップがきれいに咲いていた。
大川小学校を後にして、長い長い北上橋を渡る。震災の時に崩れ落ち、その後再建された橋。歩いていても、ここが崩れる予感がしない。
川の方を見る。すると、群生するヨシ原の中に、いくつも鳥の巣があるのが見えた。親鳥が卵を温めている。新しい命が生まれる準備をしていた。
あの日の出来事、それ以降の日々がどういうものだったのか。
ここを訪れただけで全てがわかることはない。けれど訪れたことで、自分とこの場所との間には、確かに「繋がり」ができたように感じた。
それが、様々な場所に行く意味だと思う。その繋がりが、これからの行動の「種」になる。想いを馳せる理由になる。深く知りたくなるきっかけとなる。
想う人が多いほど、その場所は残る。
今回の旅で、この土地の「何か」を体感できたことは、この先も忘れることはないだろう。
きれいな道、きれいな町
沿岸沿いは、きれいな道が多い。舗装路は平らで歩きやすい。スマートなデザインの建物も多くある。
「(震災前は)もう少し海側にあったのよ」
お店の方々に震災のお話しを聞くと、このように話される方が何人もいた。「土地の標高を上げて、高台に建物を建てる」という街づくりが、各地で進んだとのこと。
「きれい」の裏側にある出来事を、ひとり想像した。「きれいな道」と「今までの道」の境目も、歩いていると見えてくる。歩きながら、この土地の歴史を感じる時間となった。
おわりに
「出逢い」「自然」「震災」にまつわる豊かさを体験できた今回の旅。
みちのく潮風トレイルを歩いたのは、たった一区間だけ。けれど、それだけでも想像以上の体験をした。まだまだ歩いていない区間があるので、時間を見つけて歩いてみたいと思う。
それぞれの土地の空気を、肌で感じたい。
実は、前編でお話した民宿「m.s.s.books」の地現さんとは、旅の最中で何度か再会した。
わたしが雄勝半島をてくてく歩いているところに、車でパッと現れるのだ。
わたしとしてはとても長い距離を歩いているのだけれど、常に地現さんの射程圏内にいたのだということに、1人じわってしまう。
けれど、「わざわざなんで歩いているんだろう」とは思わなかったなぁ。
やっぱり歩き旅はいい。
歩くからこそ、体験できる世界があるからだ。
つまり歩かないと、感じられない世界が確かにあるのだ。
わたしのように1週間と言わずとも、1日でも1泊2日でもいいと思う。
歩いてみると見えてくる世界がきっとある。そこで得られた感覚は、歩いた人だけが感じられる唯一無二の感覚になるだろう。
追伸:また歩いた日々の記録は、別途書こうと思います。
いつも楽しく読んでくださり、ありがとうございます! 書籍の購入や山道具の新調に使わせていただきます。