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占いが”当たらない”のは...

お久しぶりのnoteです。

昨日は四柱推命のセッションを受けてきました。
「占い」といわれるものですね。

わたし、昔は占いがきらいでした。
「きらい」というのは
少し気になっているということでもあるよね。

「どうでもいい」のではなく、
わざわざ「きらい」と思っていたのです。

よく目にする”星占い”
雑誌の1ページや朝のニュースなどで
よく見るあれが「占い」だと思っていました。
いや、あれも占いなんだけどね。

なんで「きらい」だったかって。
”ぜんぜん当たらない”と思っていたから。

その「占い」の概念みたいなものが
自分の中で変わったのが6年ほど前。
ホロスコープのセッションを受けたときでした。

深い深い読み解きに
「え、占いってすごい」となったのです。

生まれ持った性質、
からだに出やすい症状もわかる。

”当たる、当たらない”ということではない
ということがわかりました。

確かに”当たってる”。
そして、”当たらない”と
思っていた理由がわかったのです。

なにより「誰に占ってもらうか」
「誰から聞くか」ということが
大事だということを強く感じました。

”誰が、どう”読み解くか、
どういう言葉を使うのか、
どのようにその人に伝えるのか。

だれでもかんでも気軽に
「受けよ〜」というよりは、
この辺りはとても大事にしたいなぁと
わたしは思っています。

6年前のホロスコープ占いもとてもすばらしく、
そのときに悩んでいた人間関係の
紐解きのきっかけになり
「あぁよかったな」と感じたことを
今でも覚えています。

6年ぶりの今回は、
ホロスコープではなく四柱推命。
四柱推命もとても面白かった。
たとえに出してくれた言葉が
「the日本」だったのも
わたしの中でしっくりきてよかったです。

基本的な性質に加えて、
「今」の「わたし」をみて
伝えてくれる言葉の数々に、
目の前がパッと開けて、
ふわっと軽くなれました。

話を聞いているその時間での癒しがすごかった。
あぁ、よかった。こうやってみよう。と
癒しを感じながらも
行動につながるお話に背中を押されながら、
まだまだ話し足りない中
セッションを終えて帰ってきたのでした。

そして今回のnoteのタイトル。
「占いが”当たらない”のは…」

これは、
「まだ自分の人生を生きていないから」
だと思います。

いろんな言い訳をしていつまでも
同じところにとどまっていないですか?

ずーっと長い間、同じ悩みを抱えていませんか?

そうなのであれば、
きっとまだ「自分の人生を生きていない」のかも。
それもまた「人生」なのかもしれませんが、
自分の人生を思いっきり生きてみたくないですか?

わたしにはこれくらい。
わたしはこんなもんだ。
そんなふうになれるはずない。
あの人はすごい人だから。
今でも十分幸せだし。

こんなことを思っていませんか?
結構最近までわたしはこう思っていました。

今は自分のこの命を生き尽くしたい。
と思っています。
自分の枠を自分で勝手に決めない。

いろんな言い訳をしていた頃、
自分の人生を生きていなかった頃は、
占いの結果に「???」なところが
たくさんありました。

自分の人生を生き始めたら
占い結果の受け取り方が変わっていました。

自分の人生を生きられるようになった
最初のステップは、
”からだが元気になった”こと。

それにともなって
”心も元気になった”ことでした。

自分の人生を生きる!と言ったって
「今」目の前のことだけで精一杯で疲れ果て、
元気もなかったら、
「人生」なんて考えられない。
それは当然だと思います。
変化にはエネルギーが必要だしね。

どんな人生を歩もうと、
土台となるのは元気であることだと私は思います。

元気でいることが目的なのではなく、
元気がベースであり必須。

なにかに依存した上に成り立つ健康ではなく、
自分が元から持っている力を最大限に引き出して
それぞれが自立した上で助け合って生きていける
そんな世界。

その土台、ベース作りはなにも
”特別”なことをするのではない。

毎日のおうちごはんで、
毎日の暮らし方でととのえていけるもの。

そんな暮らしのエッセンスを日々伝えています。

占いも、
占いでこう出たからわたしはこうなんだ!と
ガチガチに当てはめなくていいと思う。
ときに気づきをもたらしてくれたり、
背中を押してくれるところがわたしは好き。

四柱推命は無重力着付け仲間の
おゆみちゃんのを受けたよ。
気になる方はぜひインスタグラムを
のぞいてみてね。
時々タロットも引いてくれるよ。
→@oyumi.soudan



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