見出し画像

情報漏洩と常識

喉やられてて今週休もうかと思ったんですが、この記事だけ簡潔に紹介したいと思います。

一言で「馬鹿野郎」で終わる話なんですけどね。コカコーラのレシピをクックパッドに載せるくらいの大罪ですからね。

どの仕事にも企業秘密ってあるじゃないですか。私たちはこれを使って商売してます、というもの。当たり前ですけど、メディアにとっての商売道具は情報です。それを他人に漏らすことは大罪です。

このようなニュースを見て老害発言をすると「常識」がなくなりつつあるよな、というのを日々感じております。みんなが見るドラマも番組も今は全くないじゃないですか。共通の話題がないから、誰かといきなりくっついた時に話すネタがない。共通の話題で盛り上がるのではなく、みんなの趣味を聞いて「面白そう」というだけの会話。

ちゃんと話すと、みんなで盛り上がれる共通のテーマがある、という常識から、人それぞれの住む世界が違うという新たな常識が生まれているだけなのですが。話し方も「これ見た?」から「何見てるの?」に変わっただけではあるのですが。

ただ、古い世代の「常識」=「みんなで盛り上がれる共通の話題がある」がしっくりくる人間からすると、共通の話題がないことは地味に恐ろしいこと、いや、だいぶ恐ろしいことだと思います。

というのも、自分は「常識」(「」付きの「常識」は僕のいう古い常識です。「」がついているか否かで意味が変わるのは現代文の標準テクニックです)こそがこの世界を支える1つの大テーマだと思っているからです(一番かと言われれば別ですが)。「みんなで盛り上がれる共通の話題がある」ことこそが、人間の社会性を担保しているのではないかと。

人によってはこの意見を嫌う人もいるかと思いますが、「常識」が人間同士の親和性を生み出すことを僕たちは肌感覚で理解しています。「常識」がない人に対してはどことなく「異質なもの」という感覚を持ちます。

これは、文化の違う人たち、特に外国人を見た時に思うことを頭に浮かべた方もいると思いますが、日本人同士でも頻繁に起こり得ます。「こいつとは仲良くできそうにないな」というのは、得てして共通の話題がないからです。ぶっちゃけどんな見た目していようが共通の話題があれば親和性は湧きます。自分は成人式でヤンキーの見た目した同窓生と普通にコミュニケーション取れましたし、塾講師のアルバイトの担当の中にはギャル系もいましたが、勉強という共通の話題がある以上普通に話せました。

後出しにはなりますが「常識」=「みんなで盛り上がれる共通の話題がある」という定義における「話題」とはエンタメについてだけではなく、あらゆる側面についてのものです。単なる事実から哲学、職業倫理まで含みます。

そういった「常識」をこれまで提供してきたのが他ならぬメディア、特にテレビだと自分は考えています。共通の話題、共通の事実、共通の規範…最近はこう言ったものが怪しい状態です。そもそもテレビがちゃんと力を持っていれば「偽情報」なんざ大して拡散しないと思う節があります。「常識」がなくなることはすなわち秩序の崩壊に直結するのではないかと危惧しているのです。

そんなことを考えていたところに今回の事件です。「常識」を作る人の中に、職業倫理を興味本位で侵害するような人が今のテレビを作っているのか、と。子会社の派遣社員とかいう末端も末端ですが。今回の事件を見ると「常識」が崩壊しつつあるんだな、というのをしみじみと感じてしまいます。

「常識」がなくなった後のコミュニケーションってどうなるんでしょうかね。簡単に言えば陰謀論者とどう話すんですか、ということなのですが。皆さんならどうします?義務教育がちゃんと機能しているうちは何とかなりそうですが…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?