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長門二王派 二王直清

一番最近にお迎えした直清さんについて語ります。
山口県に昔から存在した周防二王派については二年前に一度書きました。
打刀のうち初めにお迎えしたのが、末古刀・二王清貞(キヨさん)でした。自分の生まれ故郷である周防住の刀工作なので、遠い親戚くらいの親近感があります。

二王派は元が大和伝系なのですが、新刀期以降、長門二王派になってくると、当時の有名どころに弟子入りしたりするので、備前伝や相州伝っぽくもなったりします。
二王だったらなんでもお迎えしたいくらいなのですが、まぁ費用的にも不可能なので、とりあえず幕末になってもあえて二王と名乗った刀工を探しました。
江戸末期になると、刀工の本名や年齢、師匠が記録に残っていたりするので、人となりを想像するのに良いですね。
それはもう妄想が膨らんで、脳内で美化しまくりますね。

数年前、都内のお店で「文久三年 二王直清作」の、桜意匠で統一した拵え付きの刀を見つけました。
剛健な造りで、刃文も好みに合い、銘切の字も力強く几帳面ですごく心惹かれたのですが、軍資金がない時で悩んでいるうちに売れてしまいました。基本的にローンが嫌いなので、さっさと払ってしまいたい性分ですが、
私は旧車も養っていてちょっとした不具合が出ても多額の費用がかかるので、貯えをしておかないと危ないのです。
逃したら余計に恋しくなるのが人というもの、それから時々、文久三年の直清さんを探していました。会いたすぎて恋でもしている気分でした。
ごく稀に出てきましたが、予算より高額だったり刃文がちょっと好みでなかったり、年号が違ったり、なかなかちょうど良いものに出会えませんでした。

今年に入り、また探してみたら、好みドンピシャな直清さんを見つけました。
「長州住二王直清作之 文久三年二月日」と銘が切られた刀で、前に逃したのより高額でしたが、もうこれを逃したら二度と出会えないような気がして頑張りました。
直清さんは、本名玉井長蔵といって長州藩御抱工として萩で作刀した人で、大慶直胤にも学んだようです。
おれは清磨という小説に登場するので、もしかしたら萩に招かれた清磨さんと本当に意見を交わしたりしたのかもしれないですね。
優秀な鉄砲鍛冶でもあるようで、検索したら火縄銃も出てきました。そこから火縄銃も興味が出てきて長州筒を探しはじめた話もあるのですが、それはまた後日にでも。

文久三年に絞って探したのは、高杉晋作が奇兵隊を組織した年であり、藩としては節目でもあった年だからです。
直清さんは萩で作刀していたので、志士たちと交流したのではないかなぁと想像します。
何しろ刀が剛健なのです。同じ江戸末期の岩国藩抱工であった盛俊(青龍軒)さんも剛健なのですが、さらにごついのです。
長さ二尺五寸(75.6 cm)、元幅34mm、元重8mm、先幅23mm、先重6mm、刀身900g、
一本樋が掻いてあり、茎は長く、控え目釘穴があります(盛俊さんも同じ茎スタイル)。
拵えは無くて白鞘のみですが、自分の身長に対してけっこう長く、非常に重いです。愛刀の中で一番重いです。
鍔や柄等が付いたら抜き身で1100~1200gくらいになるのでしょうか?振るうのも大変そうです。

また銘切が几帳面な字で、習字の先生のお手本のような字です。
室町後期の清貞さんは、なんともいえず優しい、瀬戸内気質のおおらかな感じがして「儂が後ろで見とっちゃるけぇ、大丈夫じゃぁ」と背後でニコニコしているような人物像を思い浮かべるのですが、直清さんは違います。
直清さんのイメージは、真面目で剛健、冷静さと熱さを持った人です。
私とは正反対な、教養があってきちんとした人を想像します。
でも心に熱いものをもっているところは似ているところもあるのかなぁと思います。
刀を持ち、眺めていると、なんだか覚悟のような、信念の強さのようなものが伝わってきます。
「弱い心は捨てて立ち向かえ、俺が見ている」と鼓舞されているようです。
直清さんは幕末らしい体配をしているので、そういう刀が好きな方にも見ていただきたいものです。

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