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低速度の走馬灯

 中学時代、学校に向かいながら考えていた。生きている意味はあるのか、と。眠気から覚めきらないぼやけた頭で。ふらつくような感覚で。今はもうそういうことは考えない。考えること自体、少なくなった。それでも歩きながら時々、俺はどのように生きればよかったのだろう、と考えることがある。俺という容姿、性格、能力。過去のあらゆる場面で、俺はどのように振る舞えばよかったのだろうか。この与えられた素材で、どのようにすれば "いい人生" を築き上げることができたのだろうか。
 あの時ああしていればよかった等と具体的な後悔があるわけではない。しかし、振り返ってみれば、あらゆることが間違いだった。一瞬のうちに記憶を遡る走馬灯は、死から免れるための解決策を探すために見るものだという。どのようにすればよかったのだろう、と考える最近の日々は時間をかけて低速度の走馬灯を見ている状態なのかもしれない。今の生活の先に待っているのは床の染みとなる未来であり、そこから脱するために俺はいったいどうすればいいのか。
 いま営業として働くようになって、人と喋ることは苦手ではなくなった。不愉快な相手とはコミュニケーションは取りたくないが喋ることはできて、初対面でもある程度話すことはできるし、知らない人にもためらいなく質問できる。だから勘違いしてしまうのだが、過去を振り返ったときに、もう少しうまく人と関われたんじゃないかという気がしてくるのだ。しかし、過去の自分は喋ることが得意でなかったし、人との関わり方がよく分かっていなかった。分からないなりに頑張ってはいたが、ひとりで通い続けた大学最後の2年間が同世代からの俺への答えだろう。お前は仲間に入れてやらない、と。
「俺はあんなふうには生きられないんだろうなぁ……」
『HANA-BI』のラスト、凧を飛ばして砂浜を走り回る白ワンピースの女を眺めながら寺島進がぼそりと呟く。この感慨が、俺の世界に対する視点だった。大学の中庭はいつも光り輝いていた。坂を登っていった先に中庭があり、光の中を同世代の学生が楽しそうに行き交っていた。俺はいつもそこを伏し目で通り、講義が終わったら逃げるように帰っていった。大学時代が一番つらかった。
 観客席から舞台を見上げるように、この世界のことを眺めている。仲間に入れてもらえなかった場所。どこに対しても帰属意識を持てない。外に出れば傷つけられる。関わろうとすれば眉をひそめられる。部屋が狭まっていく。未来はただ暗い。


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