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腑抜けの戯言

 社会に出るにあたって決めていたことが一つある。お前はダメで使えない人間だと言われたら辞めよう、と。どうせ自分など社会でやっていけないことは分かっていた。だから、誰かがその事実を突きつけてくれるまでは働こう、と。
 決めていた、というより、そう言われることを願っていたのかもしれない。しかし誰からもそんなことを言われずに6年目を迎えようとしている。どうやら俺はダメではないらしい。
 となると、じゃあ自分をダメな人間だと断定して暗い方へ流され自ら暗い方へと押し込んでいた学生時代とはなんだったのか? もしかしたら俺はもっと幸せに生きられたのかもしれない、“ありえたかもしれない現実”が後悔の念として染み込んでくる。
 俺はダメじゃないのか? そう考えてはみても、しかしどう足掻いてもダメな現実が目の前には広がっている。言い訳のしようがない、まぎれもない事実として、他者からすれば笑えるほどの惨めな人生。だから、お前はダメなんだと言ってほしいのだ、おれは。ダメなのにダメじゃないように扱われてしまうと、この現実でジタバタのたうち回っている俺の立場がないのだ。ダメと言ってくれないのなら、せめて肯定してもらいたかった。君はいい存在だと。ダメじゃない現実をダメだと認識している君は間違っているんだよ、と。でもその言葉もないわけ。良いとも悪いとも言われない。自分の行動に対してなにもフィードバックがない。俺について誰も何も言わない。応答がない中、俺は呼び続けている。
 ダメと言われることが救いになることもある。お前はダメだと突き放してくれれば諦められるのに。なんだってどっちつかずの状態が一番苦しいのだ。合否を待っている期間ばかりは信じていない神に祈る人は多いだろう。ああ主よ、おれはこの世に在ることを許されているのですか?

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