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コートを落とし続ける

 記憶力の減衰著しく、過去に大切であった知識や記憶もそれらを獲得した瞬間から日を経れば遠慮なく忘れられてしまい俺はどうやら何もかもを永遠に保持することはできないようなので、やはり自分にとって大事だと感じられた『「しかたがない」以外の解決策 〈前〉』でやむなく削った箇所を、振り返るための手がかりすら忘却してしまわないようにここに記しておく。
 文章を削ったのは、内容に満足しなかったからではなく、無許可の切り抜きだったのか、文中で説明していた当の動画がYouTubeから削除されていたことにnoteを投稿する直前で気付いたからだった。その動画では『水曜どうでしょう』のディレクター・藤村忠寿が、鈴井貴之のある性質について語っていた。前枠・後枠の仮装でのはしゃぎっぷりを見て分かるように、鈴井貴之は基本的に頼まれたことは快諾する人間であるが、頼まれたそのときにすでに「それをどのようなやり方で実現しようか」と考え込む、その考え込む瞬間の表情が他者をひるませるため、「嫌がっている」と勘違いされた挙句、「やっぱり大丈夫です」と依頼を取り下げられてしまう、と。
 なにかと拒否的な人間としてとらえられてしまう僕にとってこの指摘は自分に通じるものがあり、また、己の難解さに苦しんできた鈴井貴之という人間にますます好感を抱くばかりだが、なによりもこの藤村Dの視点が素晴らしく、“洞察”とはまさにこのことだと思う。藤村Dは、依頼を受けた鈴井貴之が考え込んだその瞬間を、(他の人と同じように)「嫌がった」からだとは見なさなかった。なぜなら、「無表情=不機嫌になる」という解釈は誰にでも当てはめることができるのだから、つまりは鈴井貴之の人間性と一切の事情を無視している。たしかに表情は感情を表出したものだけども、顔に表れたものがすべてではなく、人間の内部ではもっと複雑に事態は進行している。だから表情を読むのが上手い人は、これまでの経験から喜怒哀楽を割り当てる単純計算が上手なだけで、けして洞察力があるわけではない。藤村Dが披露したこの指摘は一般的な解釈から外れたものであり、だからこそ鈴井貴之の思案錯綜する内面へと一歩踏み込んだ見事な洞察だった。
 このような指摘をされることを自分はずっと待ち侘びてきたが、実際はすごく表面的なことばかりを言われてきたのだった。「お前はこういうところがある」と言われても、ずっと腑に落ちなかった。これは誰ともそういう関係性を築けなかったということであり、とどのつまり自分の手落ちであるのだから仕方がない。しかし、他者に向けられた慧眼は羨ましく、このような人がいたら、と思った例はほかにもある。
 白状すれば実際にはその番組を見ていないのだけれど、テレビ番組での芸能人のトークをツイートされている飲用(@inyou_te)氏がまとめていた光浦靖子の着眼点がこれまた鋭い洞察力によるものだった。

 このような機微を分かる人がいる、という事実に泣きたくなる。嬉しくて。なかなか他人には通じない内面に踏み込んで解釈してくれる人はこの世界にどれだけいるのだろう。単純明快さが求められる風潮だけれど、本当の価値は複雑さの中にこそある。そう信じて、大学時代までは徹底的に分かりにくい人格であることを自身に求めた結果、素直に表現ができなくなった。もともと素直な表現が苦手だったので、その性質を自ら深化させたと言うべきかもしれない。初見で自分を見破られないための、防御としての分かりにくさはやがて誰も踏み込めない厚い防壁となり、俺は誰からも核心をつく指摘をされなくなってしまったのだった。ある人の内面に踏み込むということはつまりその人の複雑怪奇で鬱蒼とした内部に迷い込むことであるのだから、それなりの覚悟がいる。見るからに入りにくそうな俺の内部へと踏み込んでくれる人がいるわけがなかったのだ。防壁が厚くなりすぎて自らも身動きの取れなくなっているのに気が付いたのは社会人になってからのことだ。だから、社会人になってからの生活は、コートを落とす距離を実験的に少しずつ短くしていく修正の日々だったと言える。このnoteも試みのひとつだった。本当は自分の考えをネット上に晒したくないが、いつまでも秘密主義ではいられないので、ここまでは披露できるという部分を、公開することに慣れるために投稿している。
 振り返れば、僕が落としてきたコートは誰にも拾われずに、誤解されたまま打ち捨てられたようにそこに置かれてある。僕の歩んできた道のりを示すそれらのコートを眺めると寂しくはなるが、僕はこれからも自分の背後にいる誰かに向けてコートをぽとりぽとりと落とし続けるだろう。呼びかけみたいに。僕の心を拾ってください、というように。切実な願いを込めて。その人が救われたなら自分も救われる、という考え方がきっとあり、自分はそのような方法でしか救われない、と信じ込むことは悲しいだろうか。でも歪んだ心でまっすぐにそう信じている。


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