(よりクソになっていく世界で)陽の落ちた水面が揺れ動く

 会社からコンビニに向かう道の途中に白壁のマンションがあり、その玄関前に赤い魚が泳いでいる。

 それが鯉なのか、鯉にしては小さい気がするけれど、とにかく俺には分からないが、魚種なんてどうでもよくて、そのマンションの前を何百回も通って俺はようやく初めてその魚の存在に気が付いた。そんな分かりにくい場所にその赤い魚は泳いでいて、だから俺は初めてその魚を見つけたとき、「あ、こんなところに魚がいる」と思ったのではなく、「あ、こんなところに水が溜まっている」とそもそも驚いたのだった。

 花壇に土ではなく水が蓄えられていると言えば伝わりやすいか、玄関前の壁に沿って設けられた花壇の、緑に汚れた水の中で、その魚は赤く静かに光っている。 

 おそらく自分のほかにあの魚の存在に気付いている人はいない。玄関前とはいえ、それほど分かりづらい、というかわざわざ目を向けない場所なのだ。だから俺はそのマンションの前を通るときには必ずちらりと視線を投げることにしていた。

 俺がそうしなければ、その魚はいないことになってしまうから。

***

 光。光を見ていた。

 プールの水面に太陽の光が落ちていた。揺れる波の形に合わせて、白い光が絶え間なく三角や四角に変わり、消えて現れて、目に見えないはずの日差しが、美しくそこにあった。

 作業員の人たちと歩きながら俺は、目を細めてその水面を見て、ああ、この光を美しく感じてはいけないんだな、と考えた。

 俺が働いているこの社会は美を優先するのではなかった。愛を優先するのではなかった。優しさを優先するのではなかった。この社会が優先するのは欲だった。金だった。己だった。5人で歩いていて、誰も美しい光について語らなかった。みんな、仕事の話をしていた。

 だから俺は、美しいものを見て美しいと感じる心を失いたい、と水上のきらめきを見ながら願っていた。

 陽の落ちた水面が揺れて輝いても、この世界はよりクソになっていくだけだから。

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