見出し画像

風消えて光散り

 トラブル対応を終えた帰り道、会社に向けて車を走らせた。途中、自分が知らないだけで名所なのか、桜並木が長く続く道路を通った。光に舞い上がった小さな花片がフロントガラスにぶつかり後ろに飛んでそれていくその光景に俺は美しさよりも懐かしさに目を細めた。5年前、風に巻き上がった桜の中を走り抜けていくことの美しさを知った。新入社員研修の頃で、あのときは助手席に座っていた。

「桜ももうピークは過ぎたねえ」
 と言ったのはWさんだった。予想外に早く咲いた桜も、昨夜の雨の雫に払われて、路の端に白く点々と散り落ちていた。Wさんは一昨日の夜、花見をしたのだとか。しかしこの人が年度末の最終日に休まなければ、今日おれは他の仕事を断る必要はなかったし、担当外のMさんにも朝から急遽対応してもらうこともなかったのだ。それなのに謝意の言葉はなく、Wさんは満開の桜の下で催した仲間たちとの宴会について語っていた。Mさんは爽やかに相槌を打っていた。俺は黙っていた。憤りではなく、Wさんと自分との違いをただ感じていた。俺はまだまだ明るく咲いているこれらの桜をすでに終わったものだとは思わないし、人に迷惑をかけたならまず詫びる。ありがとうございました、と言う。でもそれは自分の考え方やルールに則ってそうしているわけで、他人に強制するつもりはない。働き始めてからこういう人間がたくさんいることは嫌というほど知った、だから怒らない。というか何も思わない。いや、本当のことを言えば俺は静かに怒り狂っていたのかもしれない。仕事でこのレベルの人と関わらなければならないということ、この事実自体がそのまま俺の価値である。志は美しい人でありたい、と願って自分にとって模範的に行動しているが、結局は俺もこのレベルなのだ。何を気を付けようが、どう努めようが、すべて無駄であるらしかった。周囲の人間の欠点が目につくたびに、ここから抜け出せないお前が悪いと言われているようで、そのことがやっぱり俺はずっとずっと悔しかった。

 一昨日は職質されなかったな、とWさんは話を続けていた。そのあと、どういう脈絡だったか、28歳の頃に飲んだくれていたエピソードになった。Wさんは40近い年齢である。いくつになっても悪行や酒乱をまだかっこいいと思っている人がいる。それも結構な数いる。僕も酒を飲むようになったのはその頃からかなあ、と懐かしむようにMさんが言った。話題に参加していない俺こそ今まさに28だった。でも言わなかった。黙って運転に集中するふりをしていた。別にふりになってなくてもいいが。どうでもいい会話だった。28歳、おれは飲んだくれるどころか酒に酔うことに全く興味がない。花見をしたのは人生で一度きり。赤ワインでチノパンを汚した、それだけが思い出だ。きっと花見をすることはこの人生でもうない。悲しいほどに楽しくない人生だ。

 いま生きているこの日々を、僕はWさんやMさんのように楽しかった時期として懐かしみ、思い出すことはないだろう。なんだかもう、この世界に対して言いたいこともなくなってきていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?